備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム113.古代山陽道を探す(その17・赤坂郡ルート)

2008-12-28 20:47:21 | Weblog
通説によれば、古代山陽道は、「高月駅家」とされる赤磐市馬屋付近から下市~日古木峠~可真上~沢原と進み、そこから方向を変えて、「珂磨駅家」とされる松木付近に至る(赤坂郡ルート)。「延喜式」に記された「高月」と「珂磨」の両駅を結ぶ安全なルートが想定されたわけである。
中村太一氏が「上道郡ルート」を原初山陽道とする前提として、「延喜式」が編纂された10世紀は、実は既に律令制が緩み、官道制度は消滅しつつあった時期に当たるということがある。すなわち、「延喜式」に記された駅家は、整理・改変されたルートのものかもしれない、ということである。
さて、今度は、通説の「赤坂郡ルート」を辿ってみる。赤磐市馬屋付近の「高月駅家」及び「備前国分寺」のことは、「備前国府の所在地(その1)」の項(2008年10月27日記事)で触れた。「高月駅家」からは県道27号線(岡山吉井線)を東に進み、山陽自動車道の高架の下のところからバイパスができているが、旧道に入る。すぐに両宮山古墳(前方部に古社「伊勢神社」(通称「両宮神社」)がある。)の周濠の土手が見えてくる。古代山陽道は、この周濠の縁に沿っていたといわれており、現在道とすこしズレている。県道は河本のところで多少の湾曲があるが、古代道は岩田の大池とゴルフ練習場の間を直進し、下市の手前で県道(旧道)と再び合流する。下市から先は宅地開発のため、わからなくなっている。特に、日古木峠付近は「岡山ネオポリス」という大規模な住宅団地になっている。もし下市から直線的に進むとすれば、赤磐市役所の東側を通って、日古木大池の東側を経て、不死ノ大池の東側に出る。その辺りが可真上で、北東に進んでいた道が、東に方向を変える。現在道は、下市から桜ヶ丘東六丁目までは県道253号線(可真上山陽線)で、その先(東)は県道403号線(町刈田熊山線)になる。この県道403号線が可真上から沢原まで概ね直線的になっている。沢原の磐梨中学校と磐梨小学校の間を抜けて、突き当たりT字路で右折(南東へ)すると、「珂磨駅家」があったとされる松木に至る。ここに「伝和気清麻呂公墓所」という史跡があり、「墓所」というのは疑わしいが、その周辺が本来の松木(馬次)集落だったとされる(「和気清麻呂の墓」の項参照。2008年11月13日記事)。沢原からの現在道は県道79号線(佐伯長船線)であるが、小野田川の堤防上の道路なので、当然、古代道とは異なるだろう。あるいは、山麓を走る「伝和気清麻呂公墓所」の前の狭い道が古代山陽道だったかもしれない。


赤磐市のHPから(古代山陽道):http://www.city.akaiwa.lg.jp/kouhou/200708/jpg/p32.jpg


写真上:両宮山古墳説明看板。絵でも、周濠の縁と県道27号線が少しズレているのがわかる。


写真中:日古木大池(北から南を見下ろす。)


写真下:可真下と沢原の境目辺りから東を見る。県道403号線は湾曲しているが、ほぼ直線に連結する旧道?がある。なお、少し西に「於奠神社」がある。