備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム109.古代山陽道を探す(その13・牟佐の渡し)

2008-12-21 19:38:58 | Weblog
岡山市北区玉柏から旭川を越えて牟佐に渡るには、現在では「新大原橋」による。かつては渡船によった。「牟佐の渡し」である。
旭川が大きく湾曲した場所で、玉柏側が東に張り出している山(「たいしょうじ山」というらしい。)の麓に「八幡宮」(宮本八幡宮)がある。JR津山線は、こ
の神社の社殿のすぐ横を、巻くように走り、旭川を渡らずに津山方面に向かう。社殿の東に小道があり、JR津山線を横断して山の東端に続いている(ただし、踏切がないので、「立入禁止」となっている。)。そこに「野神さん」という小祠がある。これは、かつて旭川の水をそのまま飲み水に使っていた頃、疫病が流行ったので、川から石を拾ってきて祀ったところ、疫病が止んだという。
この「たいしょうじ山」にも古墳があるようで、元はこちら側に元宮があったのではないか(妄想)。この神社は、僧・行教が八幡宮を勧請したものという伝承があるらしい。境内には、行教の墓と伝える宝篋印塔もある。行教といえば、貞観元年(859年)に、宇佐八幡神を山城国男山に勧請した(=「岩清水八幡宮」)僧である。伝承の真偽は別として、相当古くから、ここに神が坐したのだろうとは思われる。
ところで、「牟佐」という地名は、大和国の式内社「牟佐坐神社」(奈良県橿原市)に由来するともいう。


岡山県神社庁のHP(八幡宮(通称・宮本八幡宮)):http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01031

岡山市のHPから(牟佐の渡し):http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/asahigawa/history/history-01.html

「岡山市宮本地区の風土記(2)」(津川稔男さん記)から:http://townweb.e-okayamacity.jp/makiishi-r/hudoki-022.html
この記事だけでなく、この「風土記」を大変参考にさせてもらいました。ただし、街道の話が全く出てこないのが不思議。

「神々の坐す杜」さんのHP(牟佐坐神社):http://yasaka.hp.infoseek.co.jp/musa.html


写真上:宮本八幡宮


写真下:旭川。新大原橋の西側。この辺りに渡しがあった?