備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム104.古代山陽道を探す(その8・笹ヶ瀬川~三野)

2008-12-14 21:57:49 | Weblog
古代山陽道は、「津高駅家」跡と目される「富原遺跡」(岡山市北区富原)前から、そのまま直進して笹ヶ瀬川(写真上)を渡り、更に直進する。現在では、川を渡る道路が直線的でなく、周辺が住宅地化されているため、笹ヶ瀬川の左岸(東岸)との連絡が明確でないが、地図に定規を当ててみると、日蓮正宗「妙霑寺(みょうでんじ)」の辺りに出るように思われる。
古代山陽道は半田山の北を通っていただろうとしたのは故足利健亮氏(京大教授)で、その後、実際に半田山山腹に直線古道が発見された(乗岡実「岡山市津高確認の直線古道について」(「古代交通研究第2巻」所収))。現在、国道53号線(旧道)から「津高団地」(岡山市北区津高台)に向かう道路があるが、どうやらこの道路ではなく、山腹にわざわざ道路を作って直線的に進んでいたようなのである。発見された直線古道が古代山陽道であるとは断定されていないが、あえてこんなことをするのは古代道路だから、という言い方もできよう。
なぜ山中を通るのかということについては、古代道路は単に国家の権威を見せつけるためだけでなく、兵員の移動のためだったからという説もある。道幅を広くしたのもそうだが、谷を通るより山を通るほうが待ち伏せの攻撃を受けにくいという利点がある。ちなみに、古代道路は兵部省の管轄だった。
さて、地図に定規を当てて更に直線的に進むと、ダイミ山(160m)という峰の北を抜けて、ちょうど岡山理科大学(岡山市北区理大町)キャンパスの北端にぶつかる。ここは町境も東西に直線的になっている。更に進むと陸上自衛隊三軒屋駐屯地にぶつかり、道路もわからなくなっているという。なお、都月坂より東は入山禁止になっているようで、地図で想像するしかないが、理大町から東に下りてくると、式内社「天神社」(岡山市北区三野本町。2008年6月20日記事参照)が鎮座する妙見山の西側へ出る。そこから「牟佐の渡し」に向かうなら妙見山の北側へ進み、「釣の渡し」(岡山市中区今在家方面)に向かうなら妙見山の南側へ進む。
なお、自衛隊駐屯地の地名は「宿」で、その東には「宿本町」もあり、中世以降は宿場町であったと思われる。


写真上:笹ヶ瀬川右岸から半田山を望む。手前の峰は「烏山」と呼ばれている。


写真中:「妙霑寺」の向かい側辺りから半田山方面を見る。直進すれば、いずれ山越えをすることになる。


写真下:「三野公園南」交差点付近から北を見る。旭川に左から妙見山がせり出している。奥が牟佐方面で、右端の山が龍ノ口山(旭川左岸)。