シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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韜光養晦 (とうこうようかい) の本質は? 米分析家3

2015年12月30日 | 歴史をひも解いて
左は1979年の訪米時 小平とカーター大統領 (当時)。 右は習近平 (WSJ 記事 ※から)。
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第2回の日経ビジネス記事の中で、2010年に中国で出版された『中国の夢』という本を書いた人民解放軍の大佐が、この本で初めて “100年マラソン” という記述をしています。 米国を抜き、再び世界の覇権国となることは毛沢東、中国共産党にとっては建国前からの悲願だった … とありますが、”中国の夢” は、習近平・中国最高指導者が2012年11月に発表した思想として知られています。
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「第1回 中国に欺かれ続けてきた米国」(9月11日 石黒 千賀子/キーパーソンに聞く/日経ビジネス)
「第2回 中国は2049年の覇権国を目指す」(9月18日 同上)
「第3回 中国の国家資本主義の考案者は世界銀行」(9月25日 同上)
「第4回 習近平 vs オバマ会談は中国の圧勝だった」(10月2日 同上)
書評__「China 2049 覇権狙う中国100年戦略に迫る」(10月25日 塚本 勝也/日経 ※)

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習近平は2012年11月に中国共産党総書記に就任してすぐ、それまで中国が隠してきた野望を認めました。 最初のスピーチで、「強中国夢」という言葉を口にしました。 以来、習はスピーチで何度となく「強中国夢」という言葉を使っています。

2013年3月13日付けウォールストリート・ジャーナル記事 (“For Xi, a ‘China Dream’ of Military Power” By Jeremy Page  March 13, 2013 ※ __ 習にとって 軍事力の ”中国の夢”) によると、習は2049年をその夢が実現する年としています。

また 1970〜80年代の最高実力者 鄧小平が、天安門事件で西側諸国による制裁を受けて出した外交方針 “韜光養晦 (とうこうようかい)” は、これまで「中国は、経済発展を最優先するので、海外との摩擦は最小限に抑え平和を求める」方針だと理解されてきました。

しかし ピルズベリーは、「韜光養晦の本質は『野心を隠す』で、中国共産党には 中華人民共和国を設立した時から “再び世界の覇権国としての地位を奪還する” という目標があり、その実現のために100年に及ぶ戦略を実行している」と指摘しています。
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韜光養晦 (とうこうようかい) とは、光を韜 (つつ) み養 (やしな) い晦 (かく) す__才能や野心を隠して、周囲を油断させて、力を蓄えていくという処世の姿勢 (はてなキーワード)。
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韜光養晦 (とうこうようかい) とは、中華人民共和国の国際社会に対する態度を示す言葉であり、一般には 小平の演説が根拠となっているとされる言葉である。

言葉のもつ意味__「韜光養晦」という言葉は、中国語の中でありふれた単語ではなく、中国の対外政策を形容するために用いられる以前は、多くの人に聞き慣れないものだった。

辞書の中には「韜光」の本来の意味は名声や才覚を覆い隠すこと、「養晦」の本来の意味は隠居することと記されているが、一般には、爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術を形容するために用いられてきた (ウィキペディアから)。

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確かに 日本のマスコミは “韜光養晦” を多くの記事で、善意に解釈してきたフシがあります。 どの記事も疑いを持って解説したことはないと記憶しています。 恐らく それら多くの執筆者自身も中国語に堪能ではなく、聞きかじりをそのまま写して書いていたのでしょう。

それだけ 鄧小平の演技がうまかったといえるのかも __ 冒頭写真でも、カーター大統領の隣で 鄧小平は好々爺を演じていたのかも知れません。 日本の記事でも 鄧小平は中国の最高実力者で、中国は遅れた発展途上の老大国だから、その発言を “ごもっとも” と丁重に扱い、受け取っていたのかも …

どうも日本のマスコミは、中国要人のことを書く時には 日中戦争への贖罪 (しょくざい … つみほろぼし) 意識もあり、おっかなびっくり、要人発言を鵜呑みにし、腫れ物に触るかのように扱う傾向があると感じています。

書評 (※) とは別に、”日経 BP 書店蘭での内容紹介” に、「90年代後半のクリントン政権時代 ピルズベリーは国防総省と CIA から、中国のアメリカを欺く能力と、それに該当する行動を調査せよ、と命じられた」とあります。

つまり 20年ほど前から中国の “韜光養晦” を『野心を隠す』として疑っていた人物が既にいたということです。 私は何でも疑うのが CIA の性 (さが) だから、CIA ではないかと想像しています。 このような諜報機関も、国益のためには必要なのです。
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1978年に日中平和友好条約を結び、日本を訪れた小平は、新幹線への乗車で日本の経済と技術力に圧倒された。 また シンガポールの外資誘致の実態を見学した。 これらの海外視察から帰国した小平は、それまでの階級闘争路線を放棄し、「経済がほかの一切を圧倒する」という政策を打ち出した (ウィキから)。
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第3回の日経ビジネス記事の中で、中国が『自分たちを常に実力より低く見せて、注意深く動く』ことで、「米国に追いつけ、追い越せ」の戦略が最も成功したのが経済分野だ、としています。 中国が米国に接近し始めた1969年時点で、中国の経済規模は米国の10分の1に過ぎませんでした。 その中国が、今や経済規模では米国とほぼ肩を並べるまでに成長したというのは、ある意味 奇跡だ、とピルズベリーは述べています。

鄧小平が目をつけたのが世銀で、世銀のスタッフは、「低い経済水準から先進国に追いつき、追い越した国が過去に一カ国だけある。 その国は、国民一人当たりの所得が毎年 5.5% 成長した。 だから中国も毎年 5.5% 成長する必要がある。 でなければ 1000年経っても先進国に追いつくことはできない」と指摘、以来 中国は日本がどう経済成長を達成していったのかについても大いに研究したといいます。

その成果の1つが、リーマンショック後の2008年11月に 前年の GDP の 16% に相当する4兆元 (数十兆円) 規模の “景気刺激策” を打ち出したことでしょう。 中国は、日本が1991年のバブル崩壊後に不況をなぜ起こさなかったか研究したはずです。 但し この景気刺激策は、副作用も産みました __ 株価と不動産の高騰です。
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「中国経済、大型景気対策が奏効し好転」(2009年4月30日 Bloomberg Businessweek/日経ビジネス)
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ともあれ 2009年の第2四半期以降 内需拡大による景気刺激策の効果が出て、2009年には中国の名目 GDP は日本の GDP に肉薄、2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国になりました。

2014年の GDP は、米国 $17.3T、中国 $10.3T、日本 $4.6T と中国は既に日本の倍以上になっています。 ちなみに 1人当り GDP は米国が11位の $54K、日本27位の $36K、中国80位の $7.5K (IMF - World Economic Outlook Databases 2015年10月版から)。
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“100年の計” と “韜光養晦”、これらの秘策で中国は経済面で大いに成功しました。 経済で自信を付けた中国が次に目論むことは、政治外交力・軍事力以外にありません。 それが習近平の前述の発言に現れています。

“お腹が一杯” になれば、次に考えることはプライドや他人の目など 精神面に関心が向かうのが普通です __ アヘン戦争以後 これまで中国は強い軍隊を持たず、外国との戦争に負けてばかりいたが、もう弱い中国ではないぞ。 カネは幾らでもある。 ドンドン資金を掛けて世界最強の軍隊を作れ。 最強の覇権国 米国を圧倒する軍事力を持つゾ __ などと妄想をたくましくしても不思議ではありません。

建国100年目の2049年の建国記念日 (10月1日) には、どんな軍事パレードをする積りなのか? 今年6月下旬 中国に行ってかなりの数の将官に会ったピルズベリーに、「おまえもパレードに来たいか」と聞いたそうです。 彼らは版権も取らないで、ちゃっかり私の本を既に中国語に翻訳して読んでいたという …

関連記事を追いかけていると 長くなるので、とりあえず ここまで。

つづく

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