シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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バヴァリアの伍長

2006年08月27日 | 歴史をひも解いて
左から 幼少期、描いた絵、第1次大戦時 (X 印がヒトラー)。
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枢軸国のヒトラー、ムッソリーニ、東条らは多くの逸話を残しています。

前の大戦で伍長を勤めたので、「バヴァリアの伍長」「伍長総統閣下」と陰で呼ばれ、チャップリン映画によって「チビのチョビ髭」のイメージが他国民に浸透していたヒトラーは、173センチという身長は決して低くはなかったのですが、靴の中に細工をして身長を高く見せようとしたり、自分の机は段差の上に置いたりしていました。 なお バヴァリアは英語 Bavaria で、ドイツ語ではバイエルン Bayern といいます。
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以下は Wikipedia から … オーストリア出身の独の政治家。 国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチ党/NSDAP) 党首。 1933年に首相、34年には大統領に就任、首相を兼任し総統と称する。

第二次大戦を引き起こし、過激な民族主義を唱えてユダヤ人根絶計画 (ホロコースト) を推し進めた。 しかし ヒトラー本人は一度もユダヤ人政策に関して「殺害」に関する言葉は用いなかった。 民主主義を衆愚政治の元凶としてしりぞけ、独裁者の典型とされる。

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第1次大戦はオーストリアとセルビアの半目が原因で、第2次大戦はオーストリア出身のヒトラーが引き起こしましたから、2つの大戦の大元 (おおもと) はオーストリアだ、との記事もあります。 そういわれれば、そうですね。 ドイツではなかったのかも。
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少年時代のヒトラーは、成績不良で二回の落第と転校を経験した劣等生で、1903年 厳しかった父を亡くした後は学業を放擲、画業に専念する。 05年実科学校を退学した後ウィーンで画家を志し、美術大学を受験するが 二回とも失敗。 教授に作品を見せると、「君には建築家のほうが向いている」と助言・暗に誹謗を受ける。

その言葉を愚直に信じたヒトラーは、今度は一年間 彫刻家の下に通い、真面目に勉強したにも関わらず、持参した作品を試験官に見てもらうことさえかなわなかった。 画風は写実的だが独創性には乏しかったとされ、画題として人物よりは建築物の廃墟などの風景を好んだ。

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美術大学に進学したとしたら、ヒトラーのその後の人生はどう変わっていたでしょうか? 残っているヒトラーの絵は、あまり評価されていないようですから、絵描きとして大成したとも思えません。 けれど 美術大学を卒業したら、少なくとも 絵描きとして細々ながら、それなりの人生をおくっていたかも知れません。

そうしたら、ナチス党にも入党せず、ナチスがドイツ第1党にならず、第2次大戦も引き起こさなかったでしょうか? 私は、あの時代の狂気がヒトラーを生んだのであって、ヒトラーがナチス党首にならなくても、同じような 他の人物がナチス党首になり、第2次大戦に突き進んだだろうと推測しますね。
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07年には母を亡くしたが、ウィーンでの生活は両親の遺産や自作の絵葉書の売り上げなどによって比較的安定していた。 このころのヒトラーは独身者むけの合宿所に住み、食費を切り詰めてでもオペラ座に通うほどワーグナーに心酔、特に「ローエングリン」が気に入っていた。
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彼は毎日図書館から多くの本を借りては独学する勉強家で、偏ってはいるものの 歴史や哲学・美術などに関する豊富な知識と、疑似科学的な人種理論や反ユダヤ主義などを身につけた。

13年ミュンヘンに移住、14年検査で不適格と判定され 兵役を免除されたが、第一次大戦で独帝国の志願兵となり、西部戦線のババリア歩兵連隊にて有能な伝令兵として負傷と叙勲を経験、しかし昇進は伍長に留まった。 終戦の知らせを聞いたときには、毒ガスによる負傷で野戦病院にいた (Wikipedia)。

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ドイツ民族の優位性を説いていたヒトラーですが、父親はドイツ人だったのでしょうか? 実は 彼が忌み嫌っていたユダヤ人だったという説もあります。 ヒトラーの血統を調査するのは禁じられていましたから、彼自身 自覚があったのかも知れません。 どちらにせよ 民族の優位・劣等を唱えるのは、今ではあり得ません。
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第2次大戦の原因は第1次大戦にあるともいわれるのが、その根拠の1つです。 その経緯は次のブログ “演説と脅しのうまい男” でお読みください。

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