左上は「ラインの黄金」LP ボックス表紙、左下は「ワルキューレ」LP ボックス表紙、右上は「ジークフリート」 CD ボックス表紙、右下は「神々の黄昏」CD ボックス表紙。 上の歌手たちは「ラインの黄金」出演者、下は「ワルキューレ」出演者。
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2006年6月11日投稿分__
カラヤンがワーグナーの大作 四部作「ニーベルングの指輪 Der Ring des Nibelungen 」を DG に録音したのは、1966~69年の時期です。
58年から始まったショルティ指揮の DECCA 全曲録音が進行していた頃は、丁度カラヤンがウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任して、”指輪” も上演していました (56~64年)。 この時期 彼は、ベルリン・フィル常任/スカラ座のドイツ・オペラ部門指揮者/ザルツブルク音楽祭芸術総監督/英フィルハーモニア管指揮者も兼ね、”ヨーロッパの音楽総監督” とか “帝王” といわれていました。
「アイーダ」「オテロ」(59~61 DECCA)、「ベートーヴェン交響曲全集」(61~62 DG)、「トスカ」「カルメン」(62~63 Decca)、 64年「ラ・ボエーム」スカラ座公演の大成功 __ など一連の録音も高い評価を受けていた頃で、やることなすこと全てがうまくいっていました。
そうはいっても、スカラ座「椿姫」65年公演では「ラ・ボエーム」で成功したフレーニ起用でブーイングを浴びたこともあります (結局 カラヤンはこれでトラウマを抱え、「椿姫」正式録音を残しませんでした)。
ウィーン・オペラ監督時代には、DECCA による指輪全曲録音がショルティ指揮で進行、そのためのウィーン・フィルによる午後録音がある日などには、午前中ぎりぎりまでウィーン・フィルと練習を続けて 午後の収録の邪魔をしようとしたこともあるらしいです __ まぁ カラヤンも “焼餅を焼いて” 面白くなかったんでしょう。
DECCA は元々クナッパーツブッシュによる指揮で指輪を録音する積りでしたが、クナが録音に協力的でなく、DECCA はセカンド・チョイスのショルティに決定したらしいのですが、このあたりの経緯は不明です。
まぁ そうでしょうね。 そんな事を正式発表したら LP の販売に影響するでしょうから、発表などしないでしょう。 現実的にはこういった事例は多いものです __ 次期社長を決めた理由はと訊かれ、「消去法です」と応えた退任社長の例もありますが、これを聞いた次期社長は当然 面白くなかったはずです __ 電機大手の某S社です。
67年ワーグナーの楽劇を上演するために、ザルツブルク復活祭音楽祭 (3~4月) を創設、「ショルティの指輪を超える録音を作ってみせる」__ そんな意気込みがあって当然の心境だったのでしょう。 因に、この音楽祭はカラヤンのワンマンショーです。 夏のザルツブルク音楽祭とは全く違います。
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背景説明が長くなりましたが、肝心の音楽は__前半の「ワルキューレ」「ラインの黄金」は好評でしたが、後半の「ジークフリート」「神々の黄昏」はどうも そうではないようです。 ショルティ DECCA に当時の第一線歌手を握られたためか、新人歌手や無名歌手を使ったりしました。 成功した起用もありましたが、そうでないのも__と書くと、カラヤン信者にとっては噴飯ものかも。
しかし ベルリン・フィルが演奏、カラヤンが指揮、カラヤンが認めた それなりの歌手が歌っているのですから、第一級の仕上がり・録音であることは否定しようがないですね。
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DG 社が「ニーベルングの指輪」を再録音したのは 30年後のレヴァイン指揮メト、 DECCA 社はその後ドホナーニ指揮クリーヴランド管で前半2作を録音して 後半はなぜか棚上げ中止、Philips 社はスタジオ録音は行わず 専らバイロイトのライヴ録音に頼るなど、各レコード会社もこの大作を録音するのはよほどのことがないとできません。
日本の DENON 録音のヤノフスキ指揮ドレスデンの4作は出ましたが __ 評価は? 私は評価そのものよりも、よくぞ DENON は録音を敢行したものだと思いますね。 当時も今もこの指揮者の名声は変わってないように思いますから、一種の賭けだったんでしょうね (想像を逞しくすると、成功したインバル/マーラー全曲録音の2匹目のドジョウを狙ったのかも ...)。
以上
「噴飯もの」の意味を勘違いされていると思われます。
私も 49% の1人です。 しかし 言葉は時代とともに変わるものです。 「貴様」「おまえ」は今では相手をののしる言葉です。
過而不改、是謂過矣