シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

狐の皮を被った虎だった中国? 米分析家2

2015年12月28日 | 歴史をひも解いて
左は『The Hundred-Year Marathon』(中央下に円形の星条旗が描かれ その下に小さな楕円形の五星紅旗が描かれているのは何?)。 中央は2月 Hudson Institute での Book Discussion (https://www.youtube.com/watch?v=u-QRVYVg50g)。 右は紀元前260年の戦国七雄。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今年3月以降のピルズベリー関連記事を付け加えると、※記事には、はっきりと書いてあります __ 最近になって 中国人は、私及び米国政府を最初 (1969年) から騙していたと実際に語った。 つまり すっかり自信を付けた中国人が自分から「100年の計」を吐露したらしい (A) のです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「米の中国分析のベテランが告白 “自分の対中認識は間違っていた”」(6月12日 岡崎研究所/Wedge Infinity ※)
 「米国の対中 “口だけの介入” の元凶――オバマの外堀は埋まった」(7月5日 湯浅 博/月刊正論8月号 ⁂)
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
記事には ピルズベリーは、ある極秘文書を入手し、共産党指導部に影響力をもつ強硬派が、米国を初めから「帝国主義者の敵」であると見てきたことを明らかにした (B)、ともあります。 Aが先なのかBが先なのかは分かりませんが、いずれにしろ 彼は、「100年の計」を中国人から聞き、極秘文書でも読んだということですね。

そして 9月に『The Hundred-Year Marathon』の訳本『China 2049』(日経 BP 社) が発刊されると、タイアップされるかのように ピルズベリーへインタビューした日経ビジネス記事が4回連続で出ました。 内容が実に興味深いものです。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「第1回 中国に欺かれ続けてきた米国」(9月11日 石黒 千賀子/キーパーソンに聞く/日経ビジネス)
「第2回 中国は2049年の覇権国を目指す」(9月18日 同上)
「第3回 中国の国家資本主義の考案者は世界銀行」(9月25日 同上)
「第4回 習近平 vs オバマ会談は中国の圧勝だった」(10月2日 同上)
 書評__「China 2049 覇権狙う中国100年戦略に迫る」(10月25日 塚本 勝也/日経)
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
第1回の日経ビジネス記事の中で、まず明かされたのは、”国交回復を米国に働きかけてきたのは中国だった” ということです。 これまでは、”ニクソン大統領とキッシンジャー補佐官だった” と信じられてきたことです。

第2回の記事の中で、建国から20年経った1969年の中国が置かれた環境が述べられています __ 当時 中国はソ連軍から脅威を受けていることに加え、経済成長が63~64年以降 停滞していた。 69年5月 4人のトップクラスの将官が集まり、会合を重ね、中国が進むべき道について議論し、それを戦略としてまとめ、毛沢東にメモを提出した。

 会合ではこんな会話が交わされた __ 今の時代 (1969年) は、2500年前の “春秋戦国時代” に似ている。 ソ連と中国に対する米国は、まさに『戦う二虎を山頂から眺める』だ。 米国は、共産主義の一国がもう一国をむさぼり食うのを待っている __ 将官たちはソ連からの攻撃に備えて、米国をまず味方につけることを中国の外交・軍事戦略の基本方針とした。

この2500年前の歴史から 中国が引き出した主な教訓・戦略の中で一番重要なのが、覇権を握っている国に対して “自分の野心を決して見せないこと” です。 覇権国は当然、金も資金も技術も抱えています。 春秋戦国時代にあったように もし覇権国が、台頭し始めた新興国を見て “野心あり” と疑い始めたら、その新興国を必ず潰しにかかると見通しています。

流石に 中国人は自国の長い歴史をムダに記憶していません。 その時の状況を現在のそれに置き換えて、どうするのがベストなのか応用する技を持っています。 そのためには、ツメを隠す “能ある鷹” にならなくては __ 弱い狐の皮を被った “野心ある虎” になった中国ということでしょうか。

1970〜80年代 覇権国・米国に対抗していたのは新興経済国・日本でした。 ただ 当時でも、政治外交力・軍事力を伴わない国が経済だけで大国になった例は歴史的にないといわれていました。

1980〜90年代 米国は日本にどう対応したか __ その新興国を潰しにかかりました __ 結果的に 日本は牙を抜かれ、この四半世紀 経済が停滞する “失われた10年” (Lost Decade) が2つも続いています。 中国はこれを既に2500年前の自国の歴史から学んでいたのです!
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
春秋戦国時代は、中国史において 紀元前770年に周が都を洛邑 (成周) へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。 この時代の周が東周と称されることから、東周時代と称されることもある。

 紀元前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂する前を春秋時代、それ以降を戦国時代と分けることが多い (ウィキペディアから)
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
まず 中国は、国力をつけるために資金と技術、科学、そして政治的な支援をその時代の覇権国 (今は米国) から取り付けることだとして 2年も米国に働きかけて、ようやくキッシンジャー補佐官を訪中させることに成功しました。 どのように歓迎したか、それは想像に難くないほどの盛大なものだったのでしょう、中国は “弱い貧相な狐” を演じたわけです。

覇権国に追いつき追い越すには、まず 米国から知識とスキルを得ることで、そうした共産党指導者の中で 鄧小平は、米国から強力な支援を取り付けることに最も成功しました。 78年 鄧小平が来日して "日本の産業をべた褒め" していたのを思い出します。

2010年に中国で出版された『中国の夢』という本を書いた人民解放軍の大佐が、この本で初めて “100年マラソン” という記述をしています。 米国を抜き、再び世界の覇権国となることは毛沢東、中国共産党にとっては建国前からの悲願だった …

関連記事を追いかけていると 長くなるので、とりあえず ここまで。

つづく

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。