戦争が進むにつれ、資源の欠乏が起きた。国産が少ないのだから、当然のことである。町内会の役員が、各家をまわり、供出した。勿論、無料。多くの梵鐘・半鐘が、集められたのは有名である。
我が家では、金の指輪、銅の火鉢を出した。しかし、役員はナットクしない。東京出身でセンセイの家だから、“ダイヤモンドがあるはずだ”である。何度か来たことを記憶している。小学校の5年生ぐらいか。
戦後、集められたダイヤなどが、某氏にわたり、**レースや財団の基金になったとか。今も資金の豊富な大財団である。
終戦の12月、元・連隊長(鹿児島陸軍のトップ)の家に行く機会があった。その家には、“銅の火鉢”があった???
我が家では、金の指輪、銅の火鉢を出した。しかし、役員はナットクしない。東京出身でセンセイの家だから、“ダイヤモンドがあるはずだ”である。何度か来たことを記憶している。小学校の5年生ぐらいか。
戦後、集められたダイヤなどが、某氏にわたり、**レースや財団の基金になったとか。今も資金の豊富な大財団である。
終戦の12月、元・連隊長(鹿児島陸軍のトップ)の家に行く機会があった。その家には、“銅の火鉢”があった???