クラスの子に、いじめの指導? 信じられない先生である。
私は、小4で級友のいじめが始まり、灰色の小学校生活になった。小6では、担任のいじめにあった。
1年の先生(後の県立図書館長)は、動植物や自然の見方を教えてくれた。理科が大好きになった。
父は師範学校(今の教育学部)の教官で、多くの本があった。平凡社の大百科事典(54冊)が愛読書だった。体育、修身、音楽以外は今のオール5だった。
小4のとき、誰かが“鈴木の成績がいいのは、先生に付け届けしているのだ”、“そうだ、そうだ”になった。無視、揚げ足とり、遊びではつねに馬の胴体になった。騎馬戦の馬で、その上に誰かが乗る。クラスのいじめを、親は知らない。
5,6年の担任は、示現流の教師である。戦時中、尚武の鹿児島で、軍人を志望しない私を許せなかった。皆の志望は、陸・海・空軍のどれかである。私1人だけ、科学者だった。
県立1中(現・鶴丸高校)の受験を希望した許されず、2中(現・甲南高校)を受験させられた。2中は、陸軍士官学校、海軍兵学校等、職業軍人の学校の合格者数は全国一である。2中で、軍人組の級長だった。受験成績で決めたらしい。担任の作戦は成功である。
級友が、普通に付き合ってくれるのが嬉しかった。
その8月に終戦になり、軍への道はなくなった。国立研究所、大学と、科学・工学の一生を過ごせたのは幸いで、ツキもあった。
小学校の教育にも関わったが、教官の教え方の大切さも知った。
なお、過ごした小学校のクラスは、実験学級だった。2学年が一組で、授業の半分は自習である。20人の級友は6年間変わらない。20人の中で疎外されたら、生きる場所がない。クラス替えも必要である。
自分の能力を隠す術を知っていたら、世の中も過ごしやすかったかも知れない。