テレビ朝日のこの番組は、世界の各地をゆっくりと紹介する。知って居る地がでると、うれしくなる。
最近はハンガリーである。23日は、ブダペストから200キロ、南端の都市セゲドSzegd(人口12万、1971年)だった。
1971年、シンポジウム参加のためこの街を訪れ、3泊した。懐かしい風景を期待したが、昨夜は市場と広場のカフェ・レストラン・パプリカだけだった。
当時、食は豊かだったが、言葉が通じないこと、非能率的なシステムには参った。鉄のカーテンの向こう側だから、今とは大違いである。
夕食をとろうと、よさそうなレストランに入った。何語を話すか、聞いて居るのはわかる。露、独、仏・・と聞かれたが、英語はなかった。メニューは見ても、理解できない。
他の人と同じモノと、ペプシを頼んだ。“ペプシ”は通じる。
Tisza河のほとりに、14世紀に建てた教会があり、花嫁が着いたところだった。カソリックか、ロシア正教、ギリシャ正教かはわからない。共産圏だけに、ほっとした覚えがある。
普通、観光では行かないような地だが、いい経験だった。
写真は市役所、広場(サーカスの案内がある)である。

最近はハンガリーである。23日は、ブダペストから200キロ、南端の都市セゲドSzegd(人口12万、1971年)だった。
1971年、シンポジウム参加のためこの街を訪れ、3泊した。懐かしい風景を期待したが、昨夜は市場と広場のカフェ・レストラン・パプリカだけだった。
当時、食は豊かだったが、言葉が通じないこと、非能率的なシステムには参った。鉄のカーテンの向こう側だから、今とは大違いである。
夕食をとろうと、よさそうなレストランに入った。何語を話すか、聞いて居るのはわかる。露、独、仏・・と聞かれたが、英語はなかった。メニューは見ても、理解できない。
他の人と同じモノと、ペプシを頼んだ。“ペプシ”は通じる。
Tisza河のほとりに、14世紀に建てた教会があり、花嫁が着いたところだった。カソリックか、ロシア正教、ギリシャ正教かはわからない。共産圏だけに、ほっとした覚えがある。
普通、観光では行かないような地だが、いい経験だった。
写真は市役所、広場(サーカスの案内がある)である。

