*『リンゴが腐るまで』著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。6回目の紹介
『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-
著者 笹子美奈子
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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介
第1章 オフサイトで起きていること
触れない話題
郡山市の住宅街にあるヨーロッパ風の色調でまとめられたカフェには、穏やかでゆっくりと過ごす時間を求めて多くの客がやってくる。原発事故後、オープンしたこのカフェは、母親同士がおしゃべりを楽しむ憩いの場にもなっている。
カフェを営む佐山由佳さん(53歳)は、オープンキッチンでケーキを焼きながら、客が笑顔で食事を楽しんでいるかどうか目を配る。「原発事故の直後は余震が頻繁にあって、外出してゆっくり食事を楽しむこともできなかった。今は落ち着いたけれど。ここにいる時はほっとしてもらえれば」。
店内で客同士、そして時に佐山さんも加わって交わされる会話は、ごく普通の日常の話題だ。
子供に何を食べさせるのか。福島県産のものを食べさせる、食べさせない。放射性物質検査をしているから大丈夫だ、大丈夫でない。
「こだわるところが人によって全然違う。人によっては福島県産のものは絶対食べない、買わないという人もいる」という。
だが、意識や考え方の差だけが、意見の対立を生み出しているわけではないようだ。
「人によって経済状況が違うので、こだわるところが違うというものもある」
スーパーに並ぶ食材は、産地によって値段が違う。値段が高くても九州産や四国産など福島から遠く離れた地域のものを選ぶのか、値段の安い福島県産や近県産のものを選ぶのか。
「中には、スーパーでもなるべく買わず、取り寄せをする人もいる」という。だが、カフェの客から、使用している食材が福島県産のものかどうか聞かれたことは一度もない。」
「気にする人は、そもそも外食しない。食べる人は割り切っている。そんなこといろいろ考えると、何も食べられなくなってしまうしね」
(中略)
原発事故当時、小学6年生だった子供は今、高校生だ。それほど厳しく外遊びを制限したつもりはなかったが、それでも、成長期の子供への影響は大きく、筋力が落ちてしまった。
子供だったら誰もがする当たり前の遊びができなかった。道路の側溝は放射線量が高いため、子供はみんな、道路の端っこは歩かないよう注意されていた。側溝の水たまりに石をポチャンと落とす遊びも原発事故後、できなかった。草も触るなと言われ、落ち葉をかき集めてヒラヒラとまき散らすこともできなかった。砂場遊びもできなかった。当たり前のことができない。
子供が将来、福島県外で暮らすようになった時、どういうことを言われるのだろうかと考えることがある。「『福島?』とまゆをひそめて言われることがあるかもしれない。『子供を残してはいけない』と言われもするかもしれない。広島や長崎の人たちが受けた苦しみを、福島も背負うことになるかもしれない。でも、福島で育ったことを伏せてほしくない。(略)
※次回は「オリンピックと福島県」
2016/6/22(水)22:00に投稿予定です。