原発問題

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『除染が続く福島での悲劇』<リンゴが腐るまで ~オリンピックと福島県~> ※10回目の紹介

2016-06-28 22:03:10 | 【除染が続く福島での悲劇】

*『リンゴが腐るまで著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。10回目の紹介

『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-

著者 笹子美奈子

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**『リンゴが腐るまで』著書の紹介

第1章 オフサイトで起きていること

オリンピックと福島県

(前回からの続き)  

 建設予定地の地権者は公共用地の取得制度に基づいた補償を受けられる。だが、国道6号線の道路1本を隔てた敷地外の土地で暮らしていた住民は、補償を受けられない。目の前に高濃度の放射性廃棄物が保管された施設が造られ、安心して暮らせない、事実上帰れないに等しいという点では建設予定地の地権者と同じなのに、道路1本で扱いは全く異なる。それはあまりにも理不尽だという意見が多く聞かれた。

「私の家は国道6号線から西側に300メートルほど入ったところにある。果たして、私の土地、建物、近い将来に民間不動産で売買ができるでしょうか。私はできないと思っています。隣に中間貯蔵施設、6号線は放射線量の高い廃棄物を1日に数千台運ぶ、そういうメイン道路になる、誰がこんな場所に好きこのんで土地を買ってくれて引っ越してくるのか。そうなると、40年先の原発の廃炉まで私たちの土地、建物の資産価値というのはゼロということになる。どうしたら良いのか。教えてください」

「私も熊川を境にして、その中に入らない組だ。大熊町全世帯の住民、双葉町全世帯の住民、全部の世帯の人たちに賠償してください。施設の外にいる人たちにも全世帯、全住民に賠償してください」

 双葉町のSさんの自宅は、中間貯蔵施設の建設地から約300メートル離れたところにある。2階建ての家に、手入れの行き届いた庭木が並ぶ広い庭。双葉郡の温暖な気候に会う南洋系の植物も育ち、彩りを添えていた。庭木の手入れをするのがいつも楽しみだった。

 原発関係の仕事をしていたSさんは、福島第一原発のメルトダウンを知り、「もううちには戻れないな」と悟った。郡山市の借り上げ住宅で約3年間暮らした後、2014年、郡山市に新居を購入した。閑静な住宅街にある新居だが、庭先には除染で出た放射性物質の汚染度が爪れれたフレコンが埋まっている。Sさんの家だけでなく、周辺のそこここの家の庭先にフレコンがあり、日々の暮らしの中でフレコンから目を背けることはできない。

 そうしたフレコンを見るにつけ、Sさんはプレッシャーを感じている。

「このフレコン、いつ持っていくんだろう、早くどこかへ持っていてほしい。双葉町の人たちが中間貯蔵施設の交渉で了解しないから、フレオンはいまだにここに置かれているんだ。双葉の人はいったい何をやっているんだ。あの人たちのせいだ。みんな陰ではそう言っているんだろうなと思う」

 ※「オリンピックと福島県」は、次回に続く

2016/6/29(水)22:00に投稿予定です。 

リンゴが腐るまで 原発30km圏からの報告‐記者ノートから‐ (角川新書)


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