*『リンゴが腐るまで』著者 笹子美奈子 を複数回に分け紹介します。3回目の紹介
『リンゴが腐るまで』原発30km圏からの報告-記者ノートから-
著者 笹子美奈子
----------------
**『リンゴが腐るまで』著書の紹介
第1章 オフサイトで起きていること
バリケードの先に咲く桜
(前回からの続き)「毎年夜のライトアップがきれいで、家族で見に行っていた。原発事故後、初めて見たけど、ちょっと花が小さくなったかな。でも、桜は春を忘れないで咲くんですね。心が落ち着きました」
大谷礼子さん(55歳)はバスからの束の間の花見を終え、そう語った。自宅は富岡町の居住制限区域にあり、現在は娘と2人で福島県内の仮設住宅で暮らしている。夫は福島第一原発で働いており、いわき市で単身生活している。「今は富岡を思いながら、近所の桜を見ています」
桜並木の沿道には中学校や食堂、理容室などの商店や住宅が立ち並ぶ。原発事故後、原発から20キロメートルの県内の警戒区域となり、2013年3月25日から日中の立ち入りはできるようになったが、夜間の宿泊はできない。原発事故から3年がたち、商店や住宅は荒廃が進んでいる。伸び放題になった草木、ひびが入った窓ガラス、ところどころに置かれた除染で出た土などを入れる土嚢袋ー。3年前から時が止まったままだ。住民は、福島県内の仮設住宅や県内外の借り上げ住宅などでの避難生活を余儀なくされている。
田中幸代さん(69歳)は原発事故前、桜並木の近所に住んでいた。現在は、いわき市の仮設住宅で家族と避難生活を送っている。
この春、原発事故後初めて、夜の森の桜を見に行った。
「亡くなったお父さんに桜を見せたかった。だから『おじいちゃん、桜とってきたよ』って、写真を引き伸ばして仏前に飾ったんです」
自宅は半壊だが、雨漏りしてカビも生えており、「帰りたくてももう帰れない」と思っている。義父は大熊町出身で、富岡町で長く暮らし、2013年11月、肺を患って亡くなった。89歳だった。旧国鉄に勤め、線路管理の仕事をしていた。健康なのが自慢で、原発事故前は入院することもなかった。
「義父は夜の森の自宅に帰りたいと、いつもいつも言っていた。『帰れなくても、せめて富岡に近いところに住みたい。仮設住宅では死にたくない』とずっと言っていた。原発事故さえなければ、もっと長生きできたのに。まさかこんなことになるとは思わなかった」
義父の最後の言葉は「(富岡の)うちを頼むな」だったという。
※次回は「見えない境界線」を紹介します。
2016/6/16(木)22:00に投稿予定です。
==『リンゴが腐るまで』著書の目次==
第1章 オフサイトで起きていること
バリケードの先に咲く桜
見えない境界線
原発被災者と津波被災者
住宅バブル
「被災者、帰れ」
賠償金の罪
パチンコ、アルコール依存症の真偽
帰れない人、帰らない人
おじいちゃんの米
触れない話題
オリンピックと福島県
アメ玉の限界
第2章 原発と生計
汚染水タンクの森
電源立地地域対策交付金
協力企業
一次下請け企業
孫請け会社
原発技術者
第3章 復興が進まないワケ
放射線と避難者
避難者は戻れるのか
たまるフレコン
第二の沖縄
三流官庁
病める自治体
官庁不在
リンゴが腐るまで