原発問題

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『死の淵を見た男』<現場の窮状は手にとるようにわかった ~土壇場の葛藤~> ※56回目の紹介

2016-05-16 22:18:29 | 【吉田昌郎と福島第一原発の500日】

 *『死の淵を見た男』著者 門田隆将 を複数回に分け紹介します。56回目の紹介

『死の淵を見た男』著者 門田隆将

「その時、もう完全にダメだと思ったんですよ。椅子に座っていられなくてね。椅子をどけて、机の下で、座禅じゃないけど、胡坐をかいて机に背を向けて座ったんです。終わりだっていうか、あとはもう、それこそ神様、仏さまに任せるしかねぇっていうのがあってね」

それは、吉田にとって極限の場面だった。こいつならいっしょに死んでくれる、こいつも死んでくれるだろう、とそれぞれの顔を吉田は思い浮かべていた。「死」という言葉が何度も吉田の口から出た。それは、「日本」を守るために戦う男のぎりぎりの姿だった。(本文より)

吉田昌郎、菅直人、斑目春樹・・・当事者たちが赤裸々に語った「原子力事故」驚愕の真実。

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**『死の淵を見た男』著書の紹介

第18章 協力企業の闘い

 「土壇場の葛藤」 P279~

「誰か助けてください!大型免許をもっておられる方はいませんか。消防車を運転できる人はいませんか!」

 暗闇の福島第二原発の体育館に佐藤眞里の声が響き渡っていた。体育館の入り口付近にだけ灯りがついている。かろうじてついているその光が、手にメガホンを握って叫んでいる防災安全グループの佐藤の姿をぼんやりと写し出している。それは切羽詰まった涙の訴えだった。

(俺がいる。俺が行けます)

 その時、日本原子力防護システム(JNSS)の新潟事務所に勤める阿部芳郎(63)は、そう思った。阿部は、地震発生直後にはるばる柏崎から福島第一原発まで”応援”に駆けつけた協力企業の一人だ。原防は、昭和52(1977)年に主に原子力関連施設の警備をおこなう目的で設立された会社である。

 だが、阿部は37年間、新潟県内の消防署勤務を経験した消防マンだ。60歳の時に原防に入った阿部は、警備よりも「消防」のエキスパートが要求されるプラントとへの給水活動の応援のために、若手2人を連れて地震翌朝には福島第一原発に乗り込んでいた。ただちに同じ協力企業の南明興産と共に給水活動を展開し、15日朝、吉田所長の指示によって福島第二原発への退避を命じられるまで、不眠不休で活動していた。ちなみに南明興産は、1号機と2号機の水素爆発で計3名の負傷者を出している。

 だが、福島第二の体育館の退避してきた阿部たち協力企業の前で、佐藤眞里が泣きながら叫んでいた。

「皆さん、助けてください。誰か助けてください!」

 佐藤は必死だった。この日の朝、死に装束をまとって座っているように見えた吉田ら幹部たち「69人」を除いて、福島第一原発の免震重要棟から退避してきた東電社員と協力企業の人々は、600人近かった。

 福島第二原発の体育館に、彼らは収容されている。しかし、「69人」の懸命の闘いにも、限界があった。特に原子炉への注水活動の人員不足が時間を経るにつれ、露呈し始めたのだ。


(中略)

 そんな葛藤を見ながら、佐藤地震も泣きながら「助けてください」と叫んでいたのである。阿部を突き動かしたのは、その佐藤の懸命な訴えにほかならなかった。すでに3日にわたって、注水活動をおこなってきた阿部だけに、現場の窮状は手にとるようにわかった。

「佐藤さんが暗い体育館の中で必死で訴えていました。爆発で消防車がやられましたから、現場の絶対数が足りなくなっていたんです。要請に応じて、近くまで消防車が何台も到着するんです。でも、一定の場所から中には入ってきてくれないんですよ。要するに、放射能が怖いから消防車を置きっぱなしにして帰るわけなんです。

それを現場まで運転していって、さらに給水口につないだり、いろいろ操作をしなくちゃいけない。同じ消防車でもメーカーによってとりあつかいが違いますから、操作は簡単ではないんです。でも、その人手がない。佐藤さんが手にハンドマイクをもって、”誰かいませんか!”って叫んでね。最後の方は、もう泣きながらでしたよ。大型免許があれば、現場まで消防車を運ぶことができるかもしれないが、でも、そこから先もあります。そこまでできる人って、やっぱり限られているわけです。」

 それこそが消防署に37年間も務めていたその道のエキスパートである阿部だった。運転はもちろん消防車を使った注水活動については、どんなことだってできる自信が阿部にはある。行って助けてやりたい。阿部はそう思った。だが、それは許されなかった。

「やはり私たちは協力企業ですから、自分たちの社長の指示に従わなければいけません。東京本社にいる社長が、社員をそんなところに行かせるわけにはいかないと、現場に行くことを許してくれなかったんです。社長の気持ちとしては、当然だったと思います・・・」

  (次回は「男泣きに泣いた」)

※続き『死の淵を見た男』~吉田昌郎と福島第一原発の500日~は、

2016/5/17(火)22:00に投稿予定です。

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日


5月15日(日)のつぶやき

2016-05-16 02:43:36 | つぶやき

hiyochann
TV局オーナーは原発爆発直後
すぐ国外に逃げたって

官僚の奥さんと子供さんとかも
実家に返してるとも

onodekita
TV局に知り合いがいて
関東のホットスポットから避難した人がいる。

ということは、TV局内では
本当のことを知ってるわけだ全員が

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"calmix32 2012年10月
原発爆発後

報道のお偉いさん達は
皆社屋に閉じ籠って、

数日間一歩も外に
出なかったらしい。

報道という職業は
情報をいち早く手に入れ、

多くの人に伝える役割なのに
自分達だけの秘密にしてしまった。

醜い奴等。まさにハイエナ。
"

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"onodekita
今まで
政府はマスコミを使って、

国家にたてつかないように
国民を教育してきた。

自分の頭で考えることをやめさせ、
テレビのたれ流した知識を信用するように。

苦しくとも、自分の足で立って、
かんがえよう。

苦しいかもしれないが、
そこに未来がある
"

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牛丼「吉野家」の野菜は福島産「米・玉ねぎ・白菜・ネギ・キャベツ」
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/f0d95…

商 号: 株式会社吉野家ファーム福島
所在地: 福島県白河市表郷金山字
設 立: 2013年10月1日

>生産者にとって、食べる人の命は
大事じゃないのかな…

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フクシマの影響
日本における死産と乳児死亡(論文)
csrp.jp/wp-content/upl…

最も放射能で汚染された茨城県、福島県、宮城県、岩手県では、
自然死産率が2011年12月以降約13%上昇し、
統計上さらに有意な増加を示した。

13 件 リツイートされました

2012-07-24
【医療被曝】英国のある地域では、定期健診の際のレントゲン撮影を中止。
それに伴って、ガンが徐々に減少。
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/1ddd1…

利益目的だけで巨大な歯車として回っている
現在の医療体制を抜本的に改革すれば
国民医療費は劇的に下がる

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leomarukun 2016年1月
関東→福岡

福岡2日目
母がずっと痛がってた
足の関節炎が治ってしまった。

私の体に出ていた発疹が薄くなり
目の痛みが完治。

たった2日、関東から離れ
これだけ体に良き変化が。

放射能被曝の影響がどれだけ深刻なものか
福岡にきて痛感

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"nochemtrail 2015年4月

関東住みの友の近況は
Facebookで確認する。

友の一人は痛くも痒くもない赤い発疹が
たくさん出てるそうだ…

その子は去年
若くして子宮を取出した…

311直後はホも気にしてる子だったのに、
もう諦めているのかもしれない
"

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kiki_cutie1325 2014年12月関東
私も家族も
喉の不快感がなくならない。

最近ふくらはぎに
今迄経験した事のない発疹も出た。

お腹もすぐ痛くなる。

被曝症状にありがち。

身体の免疫力、抵抗力のない
もしくは他人より劣っている者は
確実に身体を蝕まれてる

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我々はフッ素について3か月間も調査した
フッ素は骨に蓄積する毒物である
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/8b686…

フッ素の製造工場で作業していた労働者
・大部分の労働者に歯がない
・フッ素の発煙が靴のなかの爪をダメにしてしまうため
ゴム製の長靴を履かなければならなかった

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殆どの人は知らない
トリチウムという除去不能な猛毒放射性物質が、水道水に混入している事
blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/e40b6…

敗戦前夜のような状態が約二年続いてる。

フクイチの事故も過小評価
何もなかったような生活をしてる。

「知識の無い民は、滅びる」(ホセア書)

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