くぅも晴れるや!!てぃらさんさん!!

統合失調症のおいらの思うこととか考えたこと書いています
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今はだいぶとりもどした

2019-05-20 22:26:02 | Weblog
おいらね

自分に対する自信を

失っていたことがあるんだ

自分を信じられなくなったんだな

なにをするにも

自信がなくて

もうあかんのんとちゃうかなぁと

思うようになっていた時がある

なんでやろうなぁ

なんもあかんねん

なんかなぁ

世の中には

根拠のない自信でもって

生きている人間がようさんおるやん

でも

その根拠のない自信すら

なくしてしまっていたんやなぁ

そん時は自分自身に対しても

否定的な見方をしていて

自分なんかって

思っていたんやなぁ

でもな

よ~考えたら

自分が自分にOKださんと

誰もそんな確認でけへんやん

そやねん

自分が自分にOKだしたらええことやねんなぁ

自分を否定しても始まらんねん

まず存在してるんやから

それでもって

OKをだしたらないかんねんなぁ

こんな自分でもええねん

そうして

気がついたんやなぁ

返事がな

すみませんが多かったんやな

ありがとうでないねん

すみませんやねん

どっちでもいい時があるけど

どっちでもええことないねんなぁ

ほんでな

自分採点っていう機会があって

そこで足し算で採点するって気が付いてん

100点から何があかんでって

引いていったら

そらぁしんどいわなぁ

でも

何ができるって

足していったら

全然しんどくないねん

何ができるじゃなくて

どんな自分とか

こらぁええなぁ

って考えていったら

しんどくないねん



またな

考えすぎなんにも気が付いてん

なんで明日には覚えてないことを

考えまくってんねんやろうって

思ったら

あんまり考えても意味ないんかなぁって

思うようになったら

考えへん練習を始めたんやなぁ

なんやそれって

思うでしょう

でもこれよかったみたい

まぁ

だいぶ取り戻してきた感じやねんけど

いまさらやな

まっええかぁ

妄想の世界で

2019-05-19 12:40:12 | Weblog
急性期入院を4度したけれども

その時の体験

一度目は自分で自分の首を絞め

こいつに殺されるんやったらしかたない

そう思ったら救われ

二度目は仏陀のように悟りを得たけど

悟りを得たら死んでもいいのかなぁ

なんて思ったら

死神にとりつかれて

何とか死神を追い払って

三度目は

キリストのように神と契約をしかけて

どこぞの神さんかわからないから

契約をしないといって

四度目は

アマテラスみたいに真っ暗な

ユニットバスに閉じこもって

なんか知らないけど

出てきて

おいらの知りうる神さんや仏さんを

身近に感じた

妄想の世界はこれだけ感じたら

もう終わりなのだなぁと思った

そして

その話の中で

いろいろのことを学びつつ

いまなんか

お金もないけど

なんとなく幸せを感じている

なんだろうね

しあわせなんだよ

妄想の世界の話は

ブログ内の入院顛末記に書いているけれども

こういうのを体験するものなのかなぁ

一度目の体験は

ほかにも同じようになっている人を知っている

同じ体験だと思い話を聞いた記憶がある

この四度の体験も

同じように

なる人がいるのだろう

なんかいま幸せだ

価値

2019-05-03 18:07:45 | Weblog
おいらには生きる価値があるのか?

おいらには価値があるのか?

そう考えるところがあるでしょう?

でもね

逆なんだよね

この世界のほうに価値があるのか?

おいらがこの世界で生きるだけ

この世界に価値があるのか?

ってことなんだと思うんだ

この世界のために

生きているんだとしたら

この世界には価値がある

とみなされるんだよ

この世界のほうに価値はあるのか?

よくよく考えたらさぁ

精神の障害のある人って

この質問のように

逆質問とかしていないよなぁって

感じるんだ

声に責められたりしたら

素直に受けてしまうんだよなぁ

聞き流してしまえばいいのに

素直に受け取るんだよ

しょうもない

根拠のない自信だけで

自分の価値をダイヤモンドのように

生きている人もいるのに

精神の障害をもった人は

だいたいおいらの主観だけど

自己肯定感とか自己評価とかが低いんだよなぁ

根拠のない自信すらないんだよ

自分の価値に悩んだりするんだよ

でもね

世界のほうにその価値があるかって

とうてみたら

なんかね

アホかぁって

なってくるんだよねぇ

おいらの評価をするお前のほうは

そんなに価値があるのかってこと

評価するほどの価値があるのかってこと

なんかね

あんたらすぐに自分の物差しで評価するけど

そんなにあんたらには

世界に対して価値があるのかな?

っていうか

なにさま?

言葉には裏もある

だからどっちの側からでも論評は可能なんだよね

正義をふりかざすのが正しいのか

って言ってもそれだけのものを持っているのかってこと

なんかね

いろいろ言うやつもおるけど

それを言うだけの器をもっているのかな?

それを言うだけの価値のある人間なのかな?

とやかく言うだけの何かがあるのかなぁ?

この世界に生きるのに

そんなになんかあるのかな?

この世界にはそれだけの価値があるのかな?

って中学生くらいの問い







どうでもええわ

話す扇風機とクーラー

2019-05-02 22:20:57 | Weblog
おいらには聞こえていた声

話をする扇風機とクーラー

それら2台はなくなった

扇風機は捨てた

今年は新しい扇風機を買わないといけない

クーラーは壊れたので

新しいのが来ている

音はというと気にならない

いまのところ

声はいろいろある

いまのところ

声はおさまっている

雑音と思って気にしなければいい

近所の騒音と思って

気にかけないようにすればいい

聞き入ってしまうと

声として認識して

何か話しかけられていると

勘違いしてしまう

世界は思っているほど

おいらのことを気にかけていない

そんなに注目が集まることもしていない

しいて言えば

50歳になるおっさんが

20代の妻と暮らしている

そんなことくらい

男前でもない

金ももっていない

無精者

そんな男に何でと

まわりは思うかもしれない

それくらいだ

クーラーと扇風機は

新しいものになる

なんのことはない

音に敏感なのだ

その音の認識が

訳が分からないだけだ

音源はあるのだろう

自分とは関係ないと

ほっておけばよいのだ

受け取らずに流せばいいのだ

いずれ音源も疲れるだろう

自分の音につかれるだろう