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統合失調症のおいらの思うこととか考えたこと書いています
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おいらはね

2006-12-30 14:17:00 | インポート
おいらはね

現実の声と幻聴とを聞き分けるために

耳に耳栓をしてすごしていたときがあったんだ。

耳栓をしても直接話しかけてくる声は

聞こえるんだよ。

そうやって何が現実で何が幻聴かを

確かめていったんだ。

現実の声でもうっとおしい声がそんなときに限って

多かったのも事実だ。

今の人は電車の中でウォークマン?見たいなのを

していて自然にマスキングしているね。

嫌な音を遮断するのに好きな音を聞く

これは理にかなっている。

僕も本当はそうしたかった。

でもね、僕の場合は耳栓だった。

音自体がうっとおしかったんだな。

できるだけ静かな環境がよかったんだ。

音を聞くのもある意味体力がいるんだなあ。

今はねガンガンにラジオをかけてるよ。

今年の紅白はどうなるんだろうなあ

なんて思いながらね。

嫌の音を聞くことが精神衛生上悪いのは

すごくわかったよ。

聞いている音で性格なんかも

わかるかもしれないね。

当たり前にみな感じているんだろうなあ。

こいつの音のセンスはどうだとか。

こんな性格だからこの音かとかね。

こいつは音楽に気持ちをたくしてるなあとか。

それがしんどいときがあったんだなあ。

「しんどい」って大阪弁?

しんどいは辛いってこと

辛いって言う字はシンって読むでしょう。

あえて表記すると「辛度い」かもしれないなあ。

あれえ、話がそれていく。

ほんじゃあ明日大晦日で今年も終わりってことで

めでたしめでたしやね。

良いお年を。

ひとつの幻聴に対する対処法

2006-12-29 22:02:00 | インポート
まず自分と関わる人は自分の鏡だから

相手が自分をどう見てると思う自分は

すなわち自分だから

自分の環境をよくしようと思ったら

自分を確認しまして、できてるかな?

自分を自分だと認め

自分のしたことを認めて

現実を許容しなくてはならなくなります。

自分を認めて許し、

それから相手に優しく接しなければなりませんが

現実できてるかな?

ほんでもって長いなあ…。

で、幻聴ですが

まず頭の物質がおかしいから

ヘンな声が聞こえて

現実に反応してしまうんですが

これをイマジネーションで戦うという方法に

切り替える必要があります。

幻の声は現実にしてしまうと

戦えませんし勝てません。

イマジネーションで戦うんですが

方法があります。

心臓に第二の脳があります。

ハートで幻聴に話しかけてみてください。

そして前頭葉からそのハートの声が抜けるように

ハートからおでこに向けて声を発してください。

このときには決して本当に声に出してはいけません。

思って念ずる。

決して声を発せずにいろいろいってみてください。

わけのわからない言葉を言ってみたり

呪文を言ってみたり

英語であえて話してみたり

汚い言葉を吐いたり

まだまだ対処法はあります。

甘えてみたり

けなしてみたり

とっぴよしもないことを言ってはぐらかしたり

最初が何やったんかわからんくらいに

話しまくったり

幻聴に対しては心臓の第二の脳で

言葉を生成しておでこから抜けるように発する。

そして上に掲げてみたとおりにやってみてください。

決してつらくても声を出してはいけません。

手首を切ってみたりして

声の言うことを聞いていては負けです。

現実化をさせないことです。

無効にしてみましょう。

神社で神に祈るとき声を出しませんね。

その祈りのような声を

幻聴と戦うときに使いましょう。

そして上に書いたとおり

幻聴は現実を脅かすものですから

うまいこと戦いましょう。

相手は自分の分身です。

これは最初に述べた僕の言葉を参考にしてください。

分身をどうしてもかまいません。

が、声はあなた自身かもしれません。

無意識状態のあなたかもしれないのです。

ある対処方法を書いただけですから

あなたにはあなたの対処法があるかもしれませんね。

まず受け入れることからです。

誰をかって言うと自分をです。

長いなあ。

まあこんな文章は本当に病気になった人にしか

わからんやろうし、

病気のもんでもわからんかも知れんなあ。

身のまわりの世界が

変わった世界に見えるようになってくるから

そして前よりも面白くなるよ。

でも体力がなくなってなあ。

ここからは僕の課題や。

さあ、長すぎた文章はもうやめようっと。

良いなあ

2006-12-25 21:50:00 | インポート
最近ネットで障害を持ったものも

発信できるようになってきている事が

すごいなあと感じています。

バーチャルっていえばバーチャルだけど

実際にこうやってネットの中でも

障害者が発言していく時代に 

なったんだなあと思いました。

ここにもいわゆる社会というものが

あるのかもしれません。

思いもしない優しい声や励ましの声

逆の声もあるかもしれません。

でも障害者が閉じ込められて

発言も何もできない時代でも

なくなったんだなあというのが僕の感想です。

こんな時代でも閉じ込められてたりしている

障害を持った仲間もいるかもしれませんが

ぼくは少なからず平成の今の時代に感謝しています。

では僕たちの声を聞いてみたりなんかして

どこがどう違うのかとか

聞いてみたりなんかするのもまた

知識になるんじゃあないかなと思います。

僕のリンクのホームページのところには

さらにこころの病の人たちとの

リンクを貼っています。

何がどうなのか見てみるのもよいと思います。

でわでわ。

2006-12-22 20:53:41 | Weblog
おいらは毎日が無事に過ぎていくだけで満足やねん

なんか障害持ってるからか

西部開拓みたいに毎日が感じられんねん

なんかなあ

温かい家庭を妻と暮らす

それもなあ体調があるから難しいんやなあ

妻の話を十分に聞けてんのかなあ

おいらは妻にいろんなことを話してるのかなあ

西部開拓の家庭って「大草原の小さな家」みたいな

そんな安穏とした?家でもないねんな

荒波にもまれてインディアンが攻めてきたり

そんな西部開拓で

早撃ちガンマンの無法者の何とかキッドも出てくるんやなあ

それでもおいら夫婦は何とかかんとか暮らしてて

お互いに疲れたときは冷凍食品でチンや

惣菜ですましたりなあ

体調の良いときは何品も食事が並ぶねん

洗濯機が置けないからコインランドリーや

溜めてから洗濯せんと金がいくらかかるかわからんから

週一の洗濯になるんやなあ

これが現実や

西部開拓の人々よりも命まではとられへんやろうから

まだいいなあ

そうおいらの体調はなあ

朝がやっぱ弱いけん

疲れが溜まったりしてたら目が二重になってるわ

ほんで持って無精ひげが出たら

もうそうとう疲れとるときやなあ

なんか普通に生活が送れんのがすごくありがたいんやなあ

無事に一日過ごせるだけでもう幸せなんやなあ

わかるかなあ

2006-12-22 20:06:16 | Weblog
おいらはこの十何年間は

病気がはっきりと出現せず中途半端に
 
キャリーしている状態やったな

そうそう十何年か前に地下鉄に乗って

今地上に上がってきたような感じがする

地下では真っ暗で景色が変われへんから

今どのあたりを進んでるのかわからへんねんけど

今地上に上がってきたら

時間は十何年か経って

今現在の地点に立ってんねん

障害を持った時点で結婚なんか諦めてたし

彼女を作ることすら申し訳ない気がしててんけど

2004年に入院してからなあ

なんか心の中が変わったし体調も変わってもうた

心はやっと人間らしくなりつつあり

体のほうは老化していっとるなあ

地下を走るタイムマシーンという列車は

時間を逆行することはでけへんみたいやねん

一秒一秒正確に刻んで

泣こうが叫ぼうが恨みつらみを言おうが

いやおうなく進んでいくねん

心が後ろを向いていようが時間は前に進んでいって

だから心が後ろなんか向いてたら

進行方向がわからんようになって

地下鉄のタイムマシーンに乗ってしまうねん

エス席で彷徨って

アイデンティティーをみつけるまで

迷ってしまうねん

何せ暗闇やから自分をまず確認せんとなあ

そうやって自分を認めたらあとは早いで

区別がつくからなあ

あかん語り出だしたからやめようっと…

2006-12-19 14:31:31 | Weblog
喜び 楽しみ 哀しみ 怒りの

出てくる根元の無意識のボクは

まだまだ幼いながらも

その無意識の中心は世界とつながっており

幼いボクは世界より発せられるメッセージに

現実の世界でも戸惑い

心の中の世界でも戸惑っていた

喜び 楽しみ 哀しみ 怒りの

出てくる根元に

自分は自分だというメッセージを挿入したら

戸惑いは薄れゆき

世界と自分とが区別できるようになってきた

そして幻の声は姿を消した

『ボクと彼女のメインストリート』

2006-12-17 21:27:28 | 統合失調症

ボクと彼女はデートを始めた。

デートと行っても

僕は女性のサインとかはわからないから

ただ寺院仏閣を巡り歩くというデートを

繰り返した。

お不動さん巡りがボクはいたく気に入っていた。

法善寺の水掛不動にはやたらお参りに行っていた。

そして笑顔で今日はさよなら。

ボクは女性の扱いというか

女性との付き合い方がわからなかった。

彼女はそんな僕を見限りもせず

一緒に歩き一緒にお参りをした。

僕がどうしても行きたかったのは

毘沙門天のお寺だった。

天邪鬼を退治したという毘沙門天に

ボクの幻聴を永久に消してもらいたくて

毘沙門天参りに行きたかったんだ。

まだそれは実現していない。

ボクたちがデートを始めて付き合うまでには

まだまだボクの方で時間がかかった。

そしてボクは相変わらず彼女の霊が消えるように

お不動さんに祈りを捧げていた。

メールは毎日のように打っていた。

そうどこかで繋がっていた。


2006-12-17 21:12:55 | Weblog
今年のクリスマスは特別に

何かイベントをすることができないかもしれないね

結婚指輪をイブの日に取りに行って

ケーキを買って帰ってくる。

特別大きなイベントはなくて

でもそれで幸せだったら

それでいいんじゃないかな。

何か特別の事をしなければって思っているうちは

まだまだなのかもしれないな。

今年のクリスマスは寒くなりそう。

ふたりで暖めあえればそれでいいんじゃあないかな。

2006-12-11 20:15:00 | インポート
どんなに筋の通った話でも時が違えば

理屈が通じなくなることがある。

論理を組み立ててした話も

時を間違えれば別のものになってしまう。

人間は必要なときに必要な言を発する。

それゆえ話が行き着いたところで

矛盾するときがある。

場当たり的かもしれないけど

理屈なんぞは感情の前では無意味になるし

時を間違えると違うものになるし

必要なときに必要な言葉を発するものだと

思ってしまえば

自分の理屈に矛盾が生じても

悩まずにすむし

相手の理屈がわけがわからなくとも

時が違うんだなあとか

矛盾していても今はこれを言うてんねんなあって

楽になる。

必要なときに必要な言葉を発する。

それが感情にも支配される人間の普通の姿。

うん。


2006-12-09 21:52:00 | インポート
今日は病院に行ってきました。

薬を何とかやってもらってと。

最近自分の犯罪を病気だからと

逃げる輩がいるそうで

それを見るにつけ聞くにつけ

腹が立ってなりません。

「まずは謝れよ」

そして病気が理由で犯罪を起こすなら

その病気を理由に次は

何をするかわかりませんから

やはり病気であろうがなかろうが

裁判を正当に受けて

そして裁判の条文の心神耗弱なるものをなくして

正しく裁判を受けるべきだと思うのです。

ひとりが病気を理由に犯罪に走ると

他の善良の病者が社会の風に怯えて

苦しむことになるのです。

ボクたちこころの病の当事者は

とても繊細で敏感です。

ひとりのために集団的に阻害感を味わうのです。

頭のよくない人はひとりのその犯罪者を見て

心の病を持つもの全員を非難します。

それはひとりやふたりといった少数でなく

一般的にそうなっていくのです。

言っておきますが

わけがわからなくなっていると

一般的に思われているときでさえ

こころの病の人はその時のことを覚えています。

わかりますか?

覚えている。

後に自覚もすれば反省もする。

罪に服さなければその人にとって悲劇です。

頭のいい官僚さんや裁判官の人、

人権派を名乗る弁護士さんならわかりますよね。

もういいません。

こうやって、差別感情を庶民に植え付けるのです。

これが社会です。

新聞記者もマスコミも社会の一部ですから

例にもれません。

僕が何を主張してるかわかりますか。

こころの病やそのような人にも

平等に裁判をするべきだといっているのです。

本人は自覚しています。

これは絶対にです。

で、都合が悪いからわけのわからないふりを

するのです。

妄想で世界の終焉まで見てきたボクが

その妄想の最中の出来事を覚えています。

いいですか。

罪と罰。

もう一度読もうかなあ。

ドフトエフスキー。

あれ話しが変わってきた。

ほんじゃあ、ね。