台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台中州 金刀比羅社

2009-03-13 23:59:00 | 台中州
金刀比羅社は明治42年(1909年)に創立した新高製糖株式会社の構内神社であった。神社のあった場所は現在既に民家となっており、神社の遺跡は何一つとしてない。また、鳥居は1997年3月頃に取り壊されたようである。鳥居の柱には「大正13年10月吉日」の文字が刻み込まれていたようである。
国史館台湾文獻館のよると、唯一の遺跡である狛犬は1994年に和美の建業公司が南投県の国史館台湾文獻館に寄贈されたものである。和美鎮の住民が国史館で見つけ、最終的に長年の間行方が分からなくなっていた狛犬であることが判明し、国史館台湾文獻館の同意を得て2005年4月22日に現在の徳美公園入口に安置されたと説明書にある。
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新竹州 山神社

2009-03-01 21:19:31 | 新竹州




山神社は昭和8年に台湾礦業株式会社竹東油業所構内建立された。祭神の天香具山命は石油発祥の地である越後(現在の新潟県)弥彦神社を勧請した。
山神社には新竹駅から内湾線に乗り換え、竹東駅で下車。駅からタクシーで10分ほど行くと東峰路の小高い丘にある員崠国民小学校がある。山神社の参道は学校への入口ともなっており、石段の両側には2つの石燈籠が残っていた。石燈籠には「昭和10年7月吉日」の文字が刻み込まれていた。石段を登るとこじんまりした石柵に囲まれた基壇あった場所には孫文の石像があった。
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新竹州 大湖神社

2009-03-01 21:17:58 | 新竹州
本殿の場所は大湖中学校校舎後方のバスケットボールコートの横である。本殿の基壇がわずかに神社の存在を示すものとなっている。
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