北斗神社は現在の北斗高級家事商業職業学校にあった。光復後しばらくは石燈籠が残っていたが学校前の神社路が出来た際に全て取り壊されて土の下に埋められたようである。また、小公学校児童により北斗神社に奉納された狛犬が奠安宮内の奥に安置されている。
当時の北斗郡には台湾の中部における官営移民村が建設された場所であり、秋津村(昭和7年)、豊里村(昭和11年)、鹿島村(昭和12年)、香取村(昭和15年)、八洲村(昭和16年)および利国村(昭和17年)が続々設立された。四国および九州よりの移民が最も多く、九州では熊本、鹿児島および佐賀県からの移民が多かった
当時の北斗郡には台湾の中部における官営移民村が建設された場所であり、秋津村(昭和7年)、豊里村(昭和11年)、鹿島村(昭和12年)、香取村(昭和15年)、八洲村(昭和16年)および利国村(昭和17年)が続々設立された。四国および九州よりの移民が最も多く、九州では熊本、鹿児島および佐賀県からの移民が多かった