台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台中州 北斗神社

2009-03-13 23:59:50 | 台中州
北斗神社は現在の北斗高級家事商業職業学校にあった。光復後しばらくは石燈籠が残っていたが学校前の神社路が出来た際に全て取り壊されて土の下に埋められたようである。また、小公学校児童により北斗神社に奉納された狛犬が奠安宮内の奥に安置されている。
当時の北斗郡には台湾の中部における官営移民村が建設された場所であり、秋津村(昭和7年)、豊里村(昭和11年)、鹿島村(昭和12年)、香取村(昭和15年)、八洲村(昭和16年)および利国村(昭和17年)が続々設立された。四国および九州よりの移民が最も多く、九州では熊本、鹿児島および佐賀県からの移民が多かった
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台中州 金刀比羅社

2009-03-13 23:59:00 | 台中州
金刀比羅社は明治42年(1909年)に創立した新高製糖株式会社の構内神社であった。神社のあった場所は現在既に民家となっており、神社の遺跡は何一つとしてない。また、鳥居は1997年3月頃に取り壊されたようである。鳥居の柱には「大正13年10月吉日」の文字が刻み込まれていたようである。
国史館台湾文獻館のよると、唯一の遺跡である狛犬は1994年に和美の建業公司が南投県の国史館台湾文獻館に寄贈されたものである。和美鎮の住民が国史館で見つけ、最終的に長年の間行方が分からなくなっていた狛犬であることが判明し、国史館台湾文獻館の同意を得て2005年4月22日に現在の徳美公園入口に安置されたと説明書にある。
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