台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台湾の神社跡を訪ねて 第七回 移民村の神社 その1 吉野神社

2011-04-08 22:19:11 | 台湾の神社跡を訪ねて
平成23年04月04日付の神社新報に掲載された「台湾の神社跡を訪ねて 第七回 移民村の神社」です。今週はその1 吉野神社です。


 明治の終はりから終戦まで、台湾の各地(花蓮港庁、台東庁、台中州、台南州、高雄州)に移民村が建設された。農民の多くは主に四国・九州から新天地を求めての渡台であったが、遠くは北海道や新潟などのまったく気候や環境の異なる土地からの移民もゐた。これらの移民を苦しめたのはマラリアなどの風土病や毒蛇の脅威であった。
 今回はこれら移民村に守護神として造営された各地域の代表的な神社の遺跡を紹介する。


吉野神社

 台湾東部地区の開発を促進するため、官営移民村として明治四十三年にまづ吉野村が花蓮港庁に建設された。吉野村に続いて豊田村・林田村が建設されたが、いづれも入植後二年内に神社が造営されてゐる。
 現在、吉野神社の跡地には慶豊市場が建ってをり、建物の裏側に「拓地開村」の記念碑が残ってゐる。近所の御老人の話によると、記念碑横のクスノキは神社造営の際に植ゑられたものであり、終戦後、神社横に建てられた兵舎に勤める人が伐らうとしたところ鋸の刃が折れたとのことで、それ以来クスノキの伐採を禁止し、神木として扱ってゐるとのことであった。このやうな不思議な話はよく聞く。
 さらに記念碑のちゃうど裏側にある雑木林を入っていくと、「鎮座紀念」「明治四拾五年六月八日」と刻まれた石碑がある。また、神社の手水鉢が吉興四街の中華工商といふ建物の右手奥に残ってゐる。手水鉢には「水」の文字と、裏側には「昭和九年春季」の文字と奉納者の名前が刻まれてゐる。

吉野神社▼鎮座日=明治四十五年六月八日▼祭神=大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王▼例祭日=十月十八日▼社格=無格社▼鎮座地=花蓮港庁花蓮郡吉野庄字宮前▼現住所=花蓮県吉安郷慶豊村中山路三段四七三号


鎮座紀念碑


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