
秋山真之は同級の森山慶三郎に対して、物事ができるかできないかの差は性格の違いだけだと告げた。
朝鮮半島での日本と清国の権益争いは一触即発の危機にあった。
軍は、「日本公使館は兵員若干をおき、護衛すること」という済物浦条約の条項を拡大解釈して合法的な出兵を画策。慎重派の首相であった伊藤博文に対しては「一個旅団を派遣する」と報告しながら、通常は兵員数2000名の旅団を戦時編制の8000名にして派兵。これをもって既に5000名を韓国に派遣していた清国に対抗することとした。
日清戦争の勃発である。
弟・秋山真之が巡洋艦に乗り込んで第二線で駆け回っていた頃、遼東半島に上陸していた兄・好古は自らの支隊を率いて偵察を実施。旅順要塞攻略を立案していた。
そしてそのとき、病床の正岡子規は近代短歌・俳句を確立しようと旧弊な文学勢力と戦っていたが、自分の余命が長くないのを良いことに、言いたいように言って暴れ回っていた……。
日清戦争や義和団事件を経て、米西戦争に観戦武官として参加した秋山好古が軍略家としての基礎を学ぶまで。
「俺には嫁が多すぎてこまる」
水雷屋である海軍大尉、広瀬武夫にとっての妻は海軍と柔道と漢詩だった。
趣味の対象を嫁と言い切るのは、どこから始まったんだろうか。
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