頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

2015年11月成都(西南交通大学招聘講演)

2019-04-16 22:50:27 | 旅行

5日
 早朝5時半に起床し、6時半のTXで成田へ向かう。行先の気候はつくばと似ているらしいが、風が強い日に備えて羊皮の黒コートも持参。上海で乗り換え4時間。相変わらず悲惨な換金レートなので以前のような感覚で飲食するのは危険だ。しかし空港の軽食屋で粘って講義用のスライドを仕上げる。
 成都到着は夜の7時過ぎ。上海とは実質1時間半ほどの天文学的時差があるが、既に暗い。成都は2004年に乗り換えで2回通過しただけ。市内はまだ未体験だ。重慶とは微妙にカルチャーが違うらしい。1990年の古い地図帳をコピーしてこなくて正解。西南交通大学の新キャンパスもこの空港も、1990年当時はまだ存在していなかった。新キャンパスも中心市街地からは地下鉄で北西へ30分の郊外にある。大学の出迎えの車で走ること30分、広大なキャンパスが出現した。確かに、都心ではこのような敷地は確保できない。
 宿泊は大学の敷地に面した(大学の)招待所風ホテル。施設は3つ星並か。習体制になって以降、以前のように都心の豪華なホテルへ宿泊し、公費で(?)宴会というパターンはなくなった。中国もようやく身の丈どおりの国になったようだ。食堂も既に閉まりかけていて担担麺しか出せなかったので、出迎えの先生方と解散後、一人近所を散策し、川沿いの大きな屋台テントで蛋白質をチャージ。農家風川魚のから揚げなど50元(1000円)、当然自腹(日当もなし)。

6日
 午前は建築学院の修士学生らとともに中心市街地にある本部キャンパスに向かう。建築学院の手配で、牽引動力国家重点実験室を訪問した。建設部(日本の国土交通省に相当)のCOEプログラムが西南交通大学に設置されているのである。日本ではJR総研のような位置づけだろうか。車軸や給電の実験施設のほか、高鉄(新幹線)車両の開発施設、60mの一人乗りリニアモーターカー周回コースなどがあり、すべて撮影禁止であった。
 また、となりの軌道交通実験室では、高鉄運転士の訓練や車両の設計、走向に関わる一連の数値シミュレーションが行われていた。世界一豪華な「電車でGO」といってもよい、CRH380A系のシミュレーターを体験。北京から南へ50kmほど走らせてもらったが、夜間、大雨、雪と、さまざまな天候を経験できるようになっている。トンネルですれ違う時の衝撃もリアルである。
 午後は犀浦(Xipu)地区の新キャンパスにある建築学院で、大学院生向けの講義。「頼子万里走単騎」なるタイトルが付けられていたので、世界漫遊記みたいなオチャラケの内容も準備していたが、会場には地球科学系や土木環境工学系の若手教員(大学院の先輩の教え子や職場の同僚の友人とかも)も招待されていたので、まじめな内容だけでまとめることにした。おかげで調子が狂ったのか、いつもより歯切れが悪く、思考がスタックしたり、単語が出てきにくくなったりと、どうも調子が悪い。予定の時間もはっきりしていなかったので、フレキシブルに準備しておいたが、早めに終わってしまったと思っていたら、結構時間ぎりぎりまで質疑が盛り上がったのでよしとしたい。2年前に広州で講演したおり、職場の紹介ビデオ(中文版)を上映しようとしたら、国外の中国語サイトにはアクセスできないことを忘れていてアウト。よって今回はDVDを持ち込んで上映。例の如く、温度で白濁するガラスや、最近進めているモバイルセンサーの実演も織り交ぜた。

7日
 小生滞在中の接待係に任命されたY君(修士学生、湖南人)と中心市街地へ。通恵門・琴台路、寛(kuan)・窄(zhai)・井(jing)3つの巷子(xiangzi: 清時代の兵士の駐屯地を近年再開発し歩行街に変身した通り)、太古里(上海新天地のような飲食購買街区)、大慈寺、武侯祠(諸葛亮と劉備が合祀されている)、錦里(三国時代の町並みを再現した歩行街)、文殊院(南北朝時代創建の仏教寺院)の順に現地考察活動を進める。
 巷子は観光客でごった返しており、道端には所狭しと小吃(Xiaochi:おやつ系やおつまみ系、お土産)の屋台が並ぶ。Y君は設計事務所のアルバイトで、大慈寺の保全修復にかかる設計(敷地内部路面の舗装デザイン)を担当したという。高層ビルにしがみついたパンダの張りぼてで有名な中心市街地へ。付近の著名レストラン2階で小吃のセットを堪能する。小皿が次々に出てくる。これは楽しい。

 三国志マニアの小生としては、武侯祠(拝観料60元)参拝は必須。このように君臣が合祀されるのは珍しいという。展示館には80年代にNHKで放映された川本喜八郎の人形劇「三国志」などが紹介されているほか、蜀で使われた武具や、三国時代の人口・兵力の推計(100万と記載された場合実際は10万程度)などのためになる展示が目白押し。錦里の奥では、よくテレビで紹介される耳かき職人が客の耳垢を掃除していた。

Chengdu is one of famous places in "Romance of the Three Kingdoms". Woody cattle is believed to be developed by a prime minister ZHUGE, Liang in the Shu-Han dynasty.

 世界中からの観光客でごった返す錦里とは対照的に、文殊院では厳粛な儀式が行われ、拝観客はみな静粛を保っていた。門前では、「阿弥陀佛(emituofo)」と唱えて物乞いが(一応僧形の)小生に近づいてくる。中国では乞食(ほとんどが偽者)はいい商売らしいが、真面目に働いたほうが効率よく稼げるはずだ。拙僧は合掌し「善哉(Shanzai)善哉」とだけ答え、何も渡さず(小生も偽坊主ゆえ)。
 地下鉄で犀浦へ戻り、駅裏から火鍋一条街へ向かう。駅裏にはタクシーは走っていないので、幌付きのオート三輪(中国版Tuktuk)を利用。値段は交渉制。タクシーより割高。乗車場は激込みで、前方で場所取りの殴り合いが始まった。やむなく方向転換。こういう時のフットワークも軽い。運転テクニックは一流。車間をすり抜ける場面はスリリング。火鍋一条街には火鍋店が密集。一番人気の店は30分待ちで断念。肉は分厚い。小さなナマズも生きているうちに投入。重慶のような鴛鴦(辛いスープと白湯スープ)ではなく、赤一色だ。

9日
 今日の講義内容は専門分野の話。相手は建築学院長らと修士学生たち(金曜日の参加者とは違う専攻)。金曜日の反省を踏まえ、内容を改訂。少しイメトレしていたおかげで今日はとてもスムースだ。現在エンジニアをしているここの卒業生らも参加してくれた。終了後、院長室で先生方と茶話会。李青院長は2000年ごろ九州大学で学位を取った方で、日本語を少し話せる。

My mission was completed.

HSK4級程度(中国語検定準2級くらいか)のボキャブラリーしかない小生が講義など分不相応だが、いまさら後戻りはできない。英検2級レベルの人が英語で講義するようなもの。

10日
 朝7時にチェックアウトし、9時半発の成田行き直行便(4時間半)で帰国。送迎任務のY君も日本留学希望なので、現状と問題点をきちんと話しておいた。搭乗直前に搭乗口わきの書店で「図解 山海経」なる1冊をゲット。実在と空想の動植物(アジア各地)が500pにわたって解説されている。ヲタ系の人にはたまらない一冊だ。いにしえの中国人の空想力・観察力にはまことに敬服する。最近マスターした速読術で、成田に着く前に読破した(絵と詩文調の解説が多いので以外に楽)。チェックインは長蛇の列。東京への団体ツアーだ。日本人はほとんど乗っていない。

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1 コメント

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Unknown (本人)
2020-11-10 00:28:12
学食でのドケチなノンアル接待に耐えかね、勝手に孤独のグルメ。
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