黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 兄との思い出の場所

2018年01月10日 19時02分35秒 | その他


          


 先日に椿自然園に椿の写真を撮りに行った帰りに椿坂トンネルの椿町側に有る記念碑の前に車を止めた。此処は兄がトンネル工事としては始めて測量と技術的な監督として4年間現場に泊まって心血を注ぎトンネル工事を完成させた場所で有る。トンネルは福井町側と椿町側から同時に掘り進められて私が高校三年生の時に漸く穴が開通し其の数年後にトンネルは完成した。確か高校卒業前の冬休みだったと思うが兄から測量の手伝いのアルバイトを頼まれ此のトンネル現場へは何回か訪れたが当時はゴツゴツした岩肌丸出しの坑内を歩いて此の場所に出た事は今でも鮮明に覚えている。そして写真の竹薮に上がり男竹を切り出して家に持ち帰り28MHz帯のCQまがいのループアンテナを初めて自作した思い出の場所でも有る。


 当時の兄は26歳で私が18歳で有った。トンネル完成時は私は県外に就職して居たので知らなかったが開通式は県知事を迎えて盛大に行われた様で当時此の地区の奥にある阿部や伊座利地区は其れまでは「陸の孤島」と呼ばれる程に非常に交通の便が悪い場所で此のトンネルは近在の人達の悲願であったらしい。実際に私は社会人に成って初めて此の地に仕事で訪れるまでは知らない地区で有った。最期の写真の四国最東端の蒲生田岬には当時原発の候補地として最有力地で有った為に本決まりに成れば此のトンネルは物資の輸送には絶対欠かせないルートであったが原発誘致は地元の強力な反対に合い反対側の四国の西端部の伊方町に決まった。


 完成して50年近くを経過した此のトンネは現在、可也古びた感じに成って居り工事に携わった兄も既に天国に召されている。其の当時、全国から集まったトンネル抗夫の人達も兄以上の年齢の人達だったので其の殆どの方が既に亡く成って居る事だろう。然し人間より遥かに寿命が長い建造物や施設は古びれても未だに確りと其の役目を果して人々の役に立って居り、此れこそ男子の本懐と云う物、私は兄が二人居るが父親が此の世界(土木業界)の人だったので兄達は父親の後姿を追ったのか?上の兄は長男の責任を全うする為に我慢して県内の建設業者に就職、直ぐ上の兄は四国電力へ就職し其々と土木技術者として活躍した。私も上の兄達の影響で将来の仕事として技術職に進む事は小学校の高学年の時には既に決めて居たが三兄弟全てが土木業界へ行くのは面白く無いと思って(今思うと優秀な上の兄達と比較されるのが厭だったのかも?)弱電の世界に進んだが退職した今思う時、兄達の様に自分が携わった建造物や施設に匹敵する物が全く此の世に残って行かない職種だったので兄達が凄く羨ましくて仕方が無い。此のトンネル工事に全く関係の無い私でも兄が関係して居ただけで今回は車を止めて暫し懐かしく感慨に耽るのだから当人は此処を通る度に人には言わなくてもさぞ自慢で有ったに違いない。先日に此の場所で昔を懐かしみながらも同じ男子として生まれて返り見る時に少し寂しさを感じて残念に思って仕舞った。



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