黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 富山県中新川郡上市町での移動運用 (2010/07/28)

2012年09月03日 23時14分06秒 | アマチュア無線 移動運用

 野辺山の宇宙電波観測所を見た後、清里~韮崎を経て太平洋側に出て東名高速で西に走り岐阜県に向かう帰り道の予定で有ったが0、7、8、1エリヤを運用したので太平洋側よりも運用していない9エリヤの方が今後来るチャンスが少ないと考えて急遽計画を変更して韮崎ICから中央道に入り長野自動車道~上信越自動車道と乗り継ぎ長野県を縦断し高速を降りるのが面倒で有ったので上越ジャンクションから北陸自動車道を通り9エリヤの富山県に行く無茶苦茶なコースを進んだ。其の後富山県で運用した時「神出鬼没やな~」とか「訳解らん動きをする」「予測出来ん動きをしてる」とか散々言われたが少々根性捻じ曲がって居る私は「旅は風の吹くまま気の向くままが最高」と惚けた。



北陸自動車道の立山ICで高速を降り先ず食料の調達の為にスーパーに立寄り次にカーナビ検索で温泉を探す事にすると近くの152号線沿いに大岩神子温泉を見つけ向かう事にした。温泉は北相木村、上野村と1500mH近い人里離れたの峠の車中泊で温泉に入る事が出来なかったので3日振り、長時間を掛けゆっくりと温泉を楽しんだ。外に出ると日は暮れて真っ暗、上市町の役場を廻り山手側の上市川第二ダム湖の方に向かいダム湖の畔に有る自然ビジターセンターの上の駐車場 北緯36度39分44秒 東経137度27分00秒 海抜463mHで車中泊した。翌朝、釣竿アンテナと発電機で05:52~08:56jstまで7Mhzで運用開始、77局と交信した後、閉局した。

 


野辺山宇宙電波観測所と脱線した話(2010/07/27) 

2012年09月03日 06時23分01秒 | 日記

        



 群馬県多野郡上野村での運用を終えて長野県側に戻り小海町に入り141号線(佐久奥州街道)を南下して南佐久郡南牧村野辺山に行く事に、目的は野辺山宇宙電波観測所のパラボラ・アンテナを見に行く事に有った。

 

 私は子供の時から星に興味が有り夏に成ると家の中での食事は暑いので天気が良い夕方には実家の庭先に「いっきゃく」と呼ばれる横1,8m縦3、6m 高さ50cmの確りした作りの木製の台(フラットのベッドの様な夕涼み台)を置き家族で食事したり風呂上りの夕涼みをしたり、今思うと質素な食事では有ったが風情としては随分優雅な事をしていた様に思う。

 

 当時はテレビの無い時代でその様な中で家族間のコミニケーションがあった様に思う。今思うと戦後で経済的には大変な時代で有ったが実家が農家で有った為、質素では有ったが食べる事に事欠かなかった事と精神的には恵まれていた。その様な演出をする「いっきゃく」なる物は近所の農家には何処にも有った様に思う。昼間は日陰での昼寝のベットに成ったり遊びの卓球台にも早変わりした。

 

 私は夏休みの夜など、其の上で大の字に寝て星空を眺めるのが大好きで何時間も見ていて寝てしまい母親に「風邪をひくよ」と起こされた経験が何度も有った。其の頃は当然、望遠鏡が欲しくて欲しくて堪らなかったが高値の花で親に買って欲しい等と言えない経済状況は子供なりに十分理解していたが、大人に成ったら大きい望遠鏡を買う事が一番の夢で有った。

 

 この頃から手が届かない遠くに対する憧れや、「冒険ダン吉」だったと思うが漫画でハムの世界をオボロゲながら知り、行った事の無い外国と話が出来る無線の世界を知った様に思う。兎に角、貧乏な家に生まれた割には夢は持って居た様に思う。其れと長兄のJA5CHQの影響も絶大で有った。とにかく兄は欲しいと思ったら何でも手に入れる天才的な手腕を持っており中学生か高校1年生くらいの時に当時高価なカメラや空気銃や剣道の防具や自分で和船等を作ったりして同級生が遣らない事を楽しんでいた。

 

 兄は優秀で有ったので親父は可也期待をしていた様子で特別扱いも有ったが上記の才能も(欲しい物を手に入れる才能)人一倍有った様に思える。私は先進性の有る物や、遊び等に関して兄の御蔭で随分と恩恵を被った。アマチュア無線も其の一つで兄が居なければ学生時代での開局も夢と成って居ただろうしアマチュア無線の世界に入る事も無かったかも知れない。此れは「好奇心の塊」の兄の御蔭と感謝している。私は現在アマチュア無線に夢中だが子供の時の夢を実現して月に1度くらいは条件の良い日に手に入れた反射望遠鏡を庭先に出し天体を覗いている。



 例によって随分脱線したが天文とアマチュア無線と関係の深い野辺山の45mのパラボラ・アンテナを見ずに素通りする事は出来なかった。広大な敷地に宇宙からの微弱な電波を捉える大型パラボラアンテナや小型のパラボラアンテナの集合体である電波望遠鏡など目の当りにして興味が尽きなかった。従ってこの村からの運用する時間が無く訪れる事だけで終わった。最初の2枚の写真は野辺山駅周辺のメルヘンチックな風景と土産物店


 道路愛護デーと言う名の行事と常会 (2012/09/02)

2012年09月03日 01時33分31秒 | 日記

 今日は年に2回有る「道路愛護デー」と言う名の奉仕活動の日、私の住んでいる阿南市下大野地区は田舎で農村地帯で有る。この地に来た34年前はこの近辺は未舗装の道が所々に有り、4月と9月に出役が有り路面の傷んだ所の修復や農面道路のコンクリート打ち等を常会(各地域毎の集まりと言うか親睦団体)総出で行っていた。近年、其の整備も終わり最近は路肩の草刈や道路掃除が主たる役割と成って来た。本日も朝8時に作業が始まり近所の5軒程が家の近くの道路の草刈と清掃に励んだ。



 昼前の11時に近くの集会所に集まり懇親会が始まり、農繁期の為、皆さん忙しい時期なので25軒の内の半数しか出席が無かったが連絡事項や世間話が弾んだ。思えばこの集会所も基礎工事、鉄骨の組立て、外装のトタン板の取付けまで出役で皆さんと協力して建てた。流石に内装は常会内に大工さん3~4人居たのでその人がした様に思うが中に有る落成記念の写真には若い家内に抱かれた長女30歳が3歳くらいだろうか写っていた。考えると月日の経つのは早いもの既に30年以上経ってしまった。私は31歳から家長として常会に主席する様になったが其の当時は若い人でも50代で最年少で有った。其の当時、御世話に成った父親世代の諸先輩は大半が天国に召され其の頃は常会に出て来ていなかった同世代も4所帯の御主人さんが既に亡くなっている。皆さん1~2歳年上だが其れでも皆さん早すぎる働き過ぎなのだろうか?私は仕事無しの浪人生活、そんな私に来年は常会長の大役が廻って来る事に成った。最近は現在の会長さんの下で各行事の準備や実行方法に付いて見習い中である、その様な訳で来年は少し忙しい年に成りそうな気配がする。家内も来年の為に休みを取り昼食の準備など勉強した様子、久し振りの夫婦揃っての出席となった。