黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

移動運用 (1)

2011年08月01日 23時33分29秒 | アマチュア無線 移動運用


 無線の世界に入って初めての移動運用は大阪時代にI先輩に同行した比叡山からの50MHzでのA3での運用だった。電源は乾電池方式で出力は確か1W程であった。其れでも高い場所に行くと1エリヤと交信出来て其れなりに楽しむ事が出来た。其の後徳島に帰り やがて2mの弁当箱スタイルの機械が出回ると皆、挙って車にホイップアンテナを取付け移動運用と言うより通勤の行き帰りの時間潰しや道路の停滞状況などの情報交換やローカルラグチューが主体の車同士の運用だった様に思う。

 

 丁度、其の頃にアマチュア無線の資格を得る為の講習会制度が出来て其の講習会を受講すると比較的楽に免許が取れる様に成るとアマチュア無線界の黄金期を迎えたが開局者は50MHzや144MHz帯を中心に運用され色々な場所での移動運用が行われたが何せ局数が多かったのでパイルアップが起こる様な事も無かった。どちらかと言うとグループの内々の通信手段で有った様だ。やがて携帯電話の普及でアマチュア無線局が減少しだすと需要と供給のバランスが崩れ全市、全郡レベルでさえ固定(免許人の常設場所)での完成が難しく成った。


 アマチュア無線の最盛期を知っている人なら全市、全郡位だとポータブル無し(免許状の常置場所)で完成は十分可能で挑戦している人達もそんな拘りが有った様に思う。少なくても私はそう思っていた。その意味において移動局の追駆けや自分が移動局を申請するなど考えもしなかったし、どちらかと言えばポータブルが付く局での完成には価値を感じない側に居た。


 今から4年くらい前に長年QRTしていた兄がアマチュア無線を再開、2メーターの移動運用を始めた、このバンドの移動運用は結構大型のアンテナを使うので『アンテナの設営を手伝ってくれ』と依頼が有り勝浦郡勝浦町の中津峰山頂移動に初めて同行した。無線設備やアンテナには興味が有ったが2メーターでの運用は移動局の免許が無かったので出来なかったし興味も無かった。設営が終わると後は車の中で寝ていた。3回ぐらい移動運用で御付合いする内に、この空いた時間帯にHF帯の移動運用をすれば暇潰しに成るし楽しいのでは?と考え2008年に移動局を申請をした。


 最初の内はハイエースに同乗しての移動だったので2メーターとHFの同時運用だったが、どうしても受信時のカブリコミが有るのでビッグホーンと2台で移動する様になった。100mも離れればカブリも無く同じ場所での運用が可能になった。この年は徳島県内を10箇所以上移動した。これらの移動運用は車、燃料、食事代等すべての費用は兄持ちの楽チンで甘えの移動運用だった。


 次の年に成ると兄の移動熱も次第に冷め腰が重くなったので私は甥の乗っていたワゴンRを貰い受け移動専門の車に仕立て県外遠征をするように成り香川県や高知県に移動した。特に高知県は地元の移動局が少なく安芸郡への移動運用で私の移動熱病は慢性化した。以前、移動局での全市、全郡、全町村の完成に否定的だった私が180度 路線変更し積極的に移動し供給側に回り、高じて全国行脚の移動運用をする事となった。