goo blog サービス終了のお知らせ 

黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 四国八十八箇所霊場 第10番札所「切幡寺」

2019年02月15日 | 四国88箇所霊場

        


 切幡寺は切幡山の中腹、155mの高さに境内が有り此の寺の大塔から眺望は素晴らしく眼下には吉野川がゆったりと流れ前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。切幡寺の歴史や由来に寄ると古く、此の山麓に機を織る乙女がいた。此処で修法して居た弘法大師は結願の7日目に綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は織りかけて居た布を惜しげも無く切って差し出した。大師は此の厚意に大変感動し「何か望みはないか」と尋ねると乙女は「父は薬子の変に関係して島流しと成り、母は身籠って居たが、男の子が産まれれば其の子も咎を受ける。どうか女の子が生まれる様にと、清水の観音様に祈願し、やがて此の地に来て生まれたのが私です」といい「亡き父母に代わり、観音様を作ってお祀りし、私も仏門に入って精進したい」と願いを告白した。


 大師は強く心を打たれて、早速に千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身したという。大師は此の時の事を嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願に寄り堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置し本尊にしたと伝えられて居る。得度山、灌頂院、切幡寺など其々の名称もこうした由縁による。


 切幡寺は山麓から本堂まで約800メートル在り333段の石段があり女厄坂、男厄坂を上り切ると本堂がある。寺務所の下まで車で登る道も有るが道幅が狭く車同士の対向時には苦労する事に成る。今回は境内に紅梅の花が咲き始めて彩を添えていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八ヶ所霊場 第9番札所「法輪寺」

2019年02月03日 | 四国88箇所霊場

         


 四国八十八箇所霊場 第9番札所「法輪寺」此の寺の縁起によると弘法大師が此の地方で巡教されていた弘仁6年、白蛇を見つけた。白蛇は仏の使いである云われて居る事から、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基したとされて居る。涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西向きに、右脇を下にして涅槃の姿を表しているが、傍の沙羅双樹は白く枯れ、釈迦を慕い嘆き悲しむ羅漢や動物達の像も安置されている。此の寺の本尊御開帳は5年一度と成って居る。


 此の寺は古くは「白蛇山法林寺」と称されて現在の地より北に4Km程の山間部の「法池ヶ渓」にあって壮大な伽藍を誇っていたと伝えられているが天正10年(1582年)の戦乱の際に兵火で消失し、現在地に移転再建されたのは天保年間(1644~48)で当時の住職が「転法林で覚りを開いた」とされ山号と寺名を「正覚山 法輪寺」と改めた。しかし、安政6年(1859年)またしても火災みまわれ鐘楼堂だけを残し全焼し明治時代に再建されたのが現在の堂塔と成って居る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八箇所霊場 第8番札所 「熊谷寺」

2019年02月01日 | 四国88箇所霊場

        


 四国八十八箇所霊場 第8番札所の「熊谷寺」は四国霊場の中で最大級の仁王門を構える。残念ながら下調べが悪く駐車場から可也引き返した場所に其の仁王門が在ったのに気付かず私達は写真の門から入って仕舞って家に帰り着いて其れが中門で在る事に気付いた。残念なり!


 此の寺の縁起に寄ると弘仁6年に弘法大師が此の地で修行をされて居た折に紀州の熊野権現が現れて「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ5.5cm程の金の観世音菩薩を授け、虚空はるかに去って行ったという。大師は其の場にお堂を建てて、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、其の体内に金の尊像を納めて本尊にされたと伝えられて居る。元禄2年(1689年)の寂本著「四國禮霊場記」には境内は清幽で、谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には126粒の仏舎利が納められある。」という意の記述があるという。境内に其の鎮守堂があり、其処に熊野権現が祀られている。


 此の寺の本堂まで行くと珍しく開放的で堂内が見渡せて写真を撮ろうとしたら写真撮影禁止の表示があり撮影は出来なかったが非常に有難かった。


        


 此の寺の境内は非常に広大で其の中に在る鐘楼堂、多宝塔、中門の作りは本当に素晴らしい建物であったが私達の不注意で四国霊場随一の仁王門が見られなかったのは返す返すも残念であった。道路から駐車場に入ったら多宝塔が直ぐ傍に、そして少し上がった所に山門が見えたので勘違いして奥に進んでしまった。帰りに駐車場から道路に出たら正面に随分と立派な山門が在ったのは見えたのだが一寸距離的に遠く違和感があり別のお寺の物か?と勘違いして仕舞った。機会を作って写真を撮りに行こうと思って居る。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八箇所霊場 第7番札所「十楽寺」

2019年01月30日 | 四国88箇所霊場

          


 四国八十八箇所霊場の第七番札所の「十楽寺」は大同年間に弘法大師が此の地を巡教して逗留された時に阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられて居る。其の際に大師は生・老・病・死などの人間として避ける事の出来ない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られる様にと「光明寺十楽寺」の寺名を授けたといわれる。創建から暫くは此の阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが天正10年(1528年)長宗我部元親による兵火で全ての堂塔が消失した。幸い本尊は時の住職が背負い出して難を免れ後の寛永12年(1635年)に現在の地に移り再建されたと云う。


 明治時代に成り本堂が再建され、本格的な大師堂、書院などを整え、更に平成6年には立派な本堂を建立して居る。上段最初の写真は山門(竜宮門)其の山門をくぐると直ぐ正面に水子地蔵(二番目の写真)がある。



          



 三番目の写真は本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵」は古くから眼病、失明した人達に霊験があるとされ眼病に悩むお遍路さんの参詣が多く尊像の前には熱心に祈る人の姿がよく見られる。此の寺には宿坊もあり第1番札所の「霊山寺」から歩きの「お四国巡礼」だと調度此の辺りで一泊目と成るのだろうか?私達は車で廻ったので夕方少し前には第9番札所の「法輪寺」までの納経を済ませたが此れが歩きだと本当に大変な事であろうと想像出来る。此の冬の最中でも何人かの歩きのお遍路さんを私達は車で追い越して行ったが「ご苦労さまです。道中お気を付けて」と自然に祈る気持ちと歩きでの「お四国巡礼旅」と私達の様な安易な自動車に寄る「お四国巡礼」では最終的に得るものが随分違うのだろうなぁと思った。


 


  
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八箇所第6番札所 「安楽寺」

2019年01月28日 | 四国88箇所霊場

        


 平安時代の弘仁6年、四国を巡錫中のお大師さまは此の地にて温泉を発見なされ此の温泉をご覧に成ったお大師さまは「此の地は病魔から人々を救う薬師如来様と御縁の深い土地である」とおっしゃられ、万病の治癒に効果が在る此の温泉のほとりにお堂を築き、薬師如来を刻んで安置されて山号を「温泉山」寺号を「安楽寺」と名付けられられました。お大師様が我が国に温泉湯治の御利益を伝えた全国でも珍しい旧跡の様です。



        



 其の後に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉から天下統一や四国平定に戦功のあった蜂須賀正勝と其の嫡男、家政は秀吉から阿波の国を与えられ家政が阿波藩の藩祖と成り以来、明治維新まで蜂須賀氏が徳島を治めました。藩祖、家政の時代には阿波の国にはお遍路や旅人の為の宿泊施設が無く、家政公は宿に困る人々の為に当山を駅路寺(官寺)と定め、お遍路や旅人を保護しました。此の時以来、四百年以上の長きに渡り安楽寺は宿坊(宿泊施設)を続けて居て上の写真の茅葺屋根の建物が其の宿坊と成って居り温泉山の山号の通り温泉があり今もお遍路さんや旅人の疲れを癒して居ます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八箇所霊場 第5番札所「地蔵寺」

2019年01月27日 | 四国88箇所霊場

        



 四国八十八箇所霊場の第5番札所の地蔵寺は嵯峨天皇の勅願に寄り弘仁12年に弘法大師が開創された寺で大師は自ら5.5cmの勝軍地蔵菩薩を彫られ本尊に安置されたと伝えられて居る。其の後、淳和天皇、仁明天皇の三代にわたり(809~883年)天皇家が篤く帰き依えされた。さらに紀州、熊野権現の導師を務めて居た浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、其の体内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられて居る。此の勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経を始め後の蜂須賀家などの武将達の多くの寄進に寄り寺領は拡大し現在でも其の寺領は40000平方メートル(12000坪)にも及ぶ古刹である。



        



 上段写真の本堂左の参道を通り石段を上った所が奥の院で五百羅漢堂が有ります。此の羅漢堂は18世紀に実名、実聞という兄弟の僧が諸国を行脚した際に得た浄財で作ったと云われています。然し其の当時のお堂は大正4年に起きた火災で焼失して仕舞い、現在の建物は其の後に再建された物です。因みに「羅漢」とは阿羅漢の略で、煩悩を脱した尊敬されるべき修行者の事で小乗仏教においては仏弟子の到達する最高の階位として、厳しい修行の末に到達する究極の仏弟子の事で五百羅漢とはブッダに常に付き添った五百人のお弟子さんの事です。


 此の五百羅漢が居る回廊は第5番札所の本堂から少し離れて居る為に此の日は人影は少なかったのですが四国内の他の寺院には無いので一押しのお勧めの場所です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国八十八箇所霊場 第4番札所「大日寺」

2019年01月25日 | 四国88箇所霊場

        



 四国八十八箇所霊場の大4番札所の「大日寺」は弘法大師が42歳に当たる弘仁6年、此の地に長く留まり修行をして居た時に大日如来を感得された。大師は一刀三礼をして5.5cm程の大日如来像を彫造され、此れを本尊として創建し、寺号を本尊に因んで「大日寺」と命名したと伝えられて居る。また[黒厳山」の山号は、境内が三方を山に隔たれて降り人里端なれた此の地は「黒谷」と称されて居たのが由来と言われ、地元では「黒谷寺」とも呼ばれて居たという。


 阿波の国を治めた阿波藩主の蜂須賀家は代々、大日如来を守り本尊としており元禄~宝暦年間には手厚い保護を受けて寺塔の大修理が施されたが現在も山門の修復が成されている様で上部が円柱の鐘楼と成って居り1階部分は角柱作りという珍しい作りと成って居る。


 此の寺は街道筋から山手に入った場所にありカーナビの設定をせずに見当を付けて進んだら此の日に廻った1~10番札所の中で唯一 道に迷い40分程の時間ロスに成って仕舞った関係で遅れを取戻す為に昼食は車を走らせながらおにぎりをほうばる破目に成って仕舞った。各札所の納経の締め切り時間は17時までに成るので何処かでタイムロスが発生すると此の様な事に成るので注意しなければ成らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八箇所3番札所 「金泉寺」

2019年01月24日 | 四国88箇所霊場

        



 四国八十八箇所の3番札所の「金泉寺」は聖武天皇の勅願に寄り行基菩薩が寺塔を建立し「金光明寺」と命名されたと伝えられ其の頃の本尊は釈迦如来像で脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間に成って弘法大師が四国内を巡教された際に、村人達が日照りに苦しんで居るのを見て、此の地に井戸を掘られたところ此の井戸から湧き出た水は霊水で「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ寺名の「金光明寺」を改め「金泉寺」と成ったと伝えら其の井戸も観音堂の隣の祠に現存し現在でも水はこんこんと湧き出て居ます。


 私達は昼前に此の寺に訪れましたが春の様な日差しと真っ青な空をバックに朱色に塗られた仁王門に圧倒されながら門をくぐって境内に入ると遍路姿の人々が大勢で本堂で納経するのにも時間待ちをせねば成らぬ程に賑わって居ました。此の日は偶々日曜日であったので観光バスでの団体遍路客も多く1~3番札所までは其の人達と一緒に成って納経所では可也混雑しましたが此の札所辺りで追い抜いたのか?4番札所辺りから此の混雑から抜け出す事が出来ましたが矢張り、リタイヤ組は平日に廻られた方が良さそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 四国八十八箇所霊場 第二番札所 「極楽寺」

2019年01月22日 | 四国88箇所霊場

          


            
 

 四国八十八箇所霊場の第二番札所は「極楽寺」で此のお寺は行基菩薩の開基と伝えられて居るが弘仁6年(西暦815)に42歳の弘法大師が此の地で37日間「阿弥陀経」を読誦し修法された。其の結願日に阿弥陀如来が出現されたので大師は其の姿を彫造して本尊とされたと言う。


 私達は駐車場に車を停めて朱塗りの仁王門をくぐると右側に三方を山に囲まれた奥に閑静な境内が広がり奥に進んだ右側に水屋(手水場)があり反対側は庭園と成って居る。(雲海の浄土、極楽浄土をイメージした様な庭)更に奥手に進み左折して44段の石段を上ると本堂があり此処も団体のお遍路さんが沢山おいでて皆さんで一心不乱で納経をされていた。本堂の右側には大師堂があり安産祈願に霊験有ると県内で有名なお寺である。


 納経所に向かう途中に弘法大師の御手植えとされる写真の樹齢1200年余りの「長命杉」があり家内安全ばかりか長寿も授かる霊木で家内と2人で御利益に授かる為に触れて来た。此の日は冬の最中に在りながら早春を思わせる暖かい好天で然も抜ける様な青空が広がり「お四国参り」を始めるには幸先の良い一日と成った。


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お四国参りを始める。

2019年01月19日 | 四国88箇所霊場

        

 
 私はリタイヤしたら是非、四国八十八箇所の巡礼の旅を遣りたいと思って居た。私の親爺の世代では四国に生まれた真言宗の檀家の男は厄年頃に地域の同世代がこぞって白装束に身を包んで巡礼する風習があった。現在は少し様子が変ったが私も遅まきながら何時かは行かなければと思いながらも煩悩の成せるが侭の生活態度でリタイヤして10年間が過ぎてしまった。昨年に満70歳に成り来年には6回目の年男を迎え自分の残りの人生を冷静に考えた時に平均的な寿命だと残りは一回りか?「人は生まれる時と自分の死ぬ時は自分では選べぬ」従って此の歳に成ったら明日に何が起こっても?何ら不思議では無い年齢に私は達している。


 其処で前々から考えては居た物の実行出来て居なかった此の事を年が明けたらソロソロと始めねばと年末辺りから計画して居たが同伴予定の家内が急遽娘の所に手助けに出掛けて居たので実行する事が出来なかった。其の家内も此の木曜日に関東から帰って来たので天候に恵まれた本日から早速始める事と成り徳島県の第一番札所の霊山寺へと向かった。此処は仕事で何回か訪れた事があったがお四国参りで訪れたのは初めてで到着した駐車場横の売店で必要な物を買い揃え以前の訪問時とは全く違った気持ちで合掌一礼後に山門をくぐった。境内の水屋で手と口を清め本堂に向かおうとしたら本堂前は先着の大型バス3台分の人が犇めき合い可也の混雑だったので時間帯をずらして納経した。購入した納経帳や掛け軸には購入した段階で既に黒書と御朱印はされて居たので確認して山門を出て合掌一礼を行い全ての所作は終了した。


 其の後に2,3番札所と進み以前より早く実行せねばと思いながらも思う様に進んで居なかった「お四国参り」が愈々スタートした。


 


 


 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする