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黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 父親の7回忌の法要に思う

2014年04月01日 | 日記

 今日3月29日は父親の7回忌の法事が行われ久し振りに兄弟夫婦が集結した。今回は父親の母(私の祖母)33回忌も兼ねたもので有ったが出席者は甥や姪が出席したので其の子供達も来て日頃会わない者や初対面の子供も居た。親父も祖母も90歳を越すまでの長生きをしたし兎に角 元気な人で有った。



 初代の分家した曾祖父は質素倹約を旨とした其れなりの財を築いたらしいが(私は顔も知らない)世間良くある話で2代目は仕事もよくしたらしいが結構な遊び人で女姉妹の中で最後に出来た男児で大事にされ過ぎたのか?好き放題をしたらしい。当時の遊びと言えば今と違い「酒と、・・・・、・・・、」が定番、今もそうなのかな?私には縁が無かったので解らないが・・・聞く所に寄ると貧農の二代目が当時ポマードを使って綺麗どころを連れて遊んで居たらしいから驚きである。

 

 しかし孫の私から見ると酒はよく飲んでいたが余り怒らない気の良い爺さんだった。しかし私が小さい頃から既に仕事はせずに朝は日向で新聞を二部を隅から隅まで読み特に貧農の家に似つかわぬ産業経済新聞をとっていた。(株を遣っていた様子は無いので今思うと不思議なのだが)昼からは小説を読んだり昼寝をして3時が来ると銭湯の一番風呂に入りに行き、帰り掛けに近所の一杯飲み屋へ立ち寄りキューと一杯遣る日課を「羽ノ浦町の庄助さん」を地で行く生活を忠実に実行していた。

 

 此の爺さんは今思うと結構な道具マニアで有ったので我家には子供の時から工作をする為の道具が色々有ったので私は結構自由に使わせて貰い色んな物を作って楽しんでいたので同級生と比較したら其れ等は得意な方で私が工業高校へ進む大きな要因に成ったし農家の爺さんの割りには博識で特に世界の情勢等が詳しく小さい頃に外国の話を聞いたりしていたので私の海外に向けての興味は其の頃の影響があったのかも知れない。



 よく聞く世間の話の「家の浮沈」は3代目に有ると言われるが貧乏くじを引いたのは私の親父で農家の長男に生まれたが為に(当時の農業は現在の様に機械化されておらず人力を頼りの農繁期は1~2ヶ月を要していた。)現在の兼業農家の様に会社勤めをする事も出来ずに専業農家の状態であった。そして3男2女の子沢山、今、私も2人の子育てが終わり此の歳に成ると其の大変さを理解する事が出来るが定期収入の無い父親にとっては可也、厳しいもので有ったろう事は容易に推測する事が出来る。

 

 兎に角若い頃は近所の子供達に「原爆親父」と恐れられる存在で可也厳しく育てられた。当時の我家は隣近所と比べれば経済的には少し落ち込んでいた様に思え、父親は私には一言も言わなかったが子供心に「近所の何処の子供にも負けるな」と期待して子育てをしていた様に思う。只残念な事に上の4人の子供は近所の誰にも負けないずば抜けて優秀だったが最後の私だけは私の人生が全てそうだが「今一の感」賢明な親父は其の事を察知していたのだろう私にはプレッシャーを与えなかったが私は上の兄を見ながら其れ等を肌で感じていた。



 三男坊と言う事も有って何時か家を出て行く身、長男の兄と比較すると親父からの制約も無く自由気侭な生活を送っていたが結婚問題で「花の三男坊」で婿養子の話が有ると私は余り拘りは無かったので母親に冗談に「屋敷の4隅にアンテナ・タワーを建てれる広さとアマチュア無線を思い切り遣らして貰える所なら何処でも良いよ」と言っていたら『お前は何を考えとるじゃ!』と親父に怒られた。其の時にしみじみと此の家も4代目に入ろうとしているのに幹が一枝も出ていない。親爺の自身弟は高知へ婿養子に行き、自身息子の私の兄は私が見ても婿養子に行くタイプには見えなかったが相手に請われて婿養子に入ったので残ったのは私だけ、折角、男子を3人も作ったのに枝葉が無いのは情けない婿養子に行く事は駄目だと釘を刺されてしまった。実家の兄と比べたら制約無く自由に遣らせて貰ったので親父の唯一の頼みを無視する事も出来ずに名も無い日下の家を分家する事を決心をした。



 今思うと一人の人生、然程大した事は無い様に思われるが名も無い一組の夫婦から5人の子供が生まれ、其々に伴侶が付いて10人に成り、其々に孫が生まれて12人、其の孫が其々に結婚して20人に成りひ孫が現時点で20人に成っている。現在は未婚の孫も居るのでひ孫の数は最終的に25人近くになる予定で玄孫の代になると100人近くに成るに違いない。私は輪廻転生は信じないが古いと言われそうだが薄く成りながらも血筋は今後も脈々と繋がる事を考えると人として生まれて来た意義を感じるし、そして其の中でも苗字が伴う流れを思う親父の気持ちも此の歳に成ると十分理解する事が出来る。親父の墓を大勢で参りながら其の様な事を感じる今日一日であった。

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 質より量の我等 似た者夫婦

2014年03月23日 | 日記


 今日は青空の広がる春らしい天気、何時ものように無線三昧も如何な物かと?家内と外出する事にした。今日のメイン・イベントは甥の入院先に見舞いをする事で有ったが、普段は徳島市内に出向く事は稀なので序でに前々から行こうと思っていた北島町の電子パーツ屋にも足を伸ばす事にした。徳島にも他にパーツ屋さんは有ると思うのだが私は以前の勤務先の近くの此の店しか知らないので何かを作ったり修理用の抵抗やコンデンサー、半導体等は調達の為に此の店まで行く事に成る。



 先週の高松への飛脚便の帰りに立ち寄ったが偶々其の日は水曜日で定休日で店が閉まって居た為、ガックリした事で有ったが今日は日曜日なので多分開いているだろう。見舞いの後吉野川を渡り北島町に向かっていたら家内が「何処へ行くの?」と聞いたので「ちょっと・・・」と口籠ってしまった。パーツ屋さんの前に車を駐車したら「やっぱし・・そうだと思った」と家内の台詞、日頃出不精な私が「何処かへ昼御飯を食べに行こうか?」と珍しく切り出したので何か企んで居るなと思ったらしい。私としても一人で1時間以上掛けて行くのは退屈なので誘ったのだが只のドライブだったら「家で寝ている」と言われるのは重々察しがついて居たので昼御飯で誘いを掛けた訳で敵は敵で何か有るな?有るとすれば無線絡みとの察しが付いて居た様で有った。

 店には照明が点いて居なかったので家内が「残念様、今日は定休日の様子よ」と意味有りげに言ったので「残念でした照明は点いて居ないけど営業はしています」と言い返して店に入ると奥さまが開口一番「閑古鳥が鳴く位 暇でお客さんが来ないので照明は点けていません」と笑いながら話掛けてきた。「最近は物を作る人が少なく成りましたからね」と言うと「そうよ本当に少なく成りました」と毎回訪れると同じ様な会話が始まる。家内を待たすと機嫌が悪いので予めメモしていたパーツを取出して購入した。今回はダイオードとコンデンサーとプリント基板と12Vの小型のリレーを3個買って2500円近くを支払った。



 車に戻ると正午に成ったので御約束の昼食に行く事に此処まで来ると藍住の「夢タウン」(徳島随一のショッピングモール)が近いので行こうと言う事に成り少し足を伸ばした。此の地区は大型店舗の制約が無いのでヤマダ・デンキ、Ksデンキ、エディオン、DIYのコウナンなどの大型店舗が犇き合う一角に在る。中に入ると買い物に便利な近くの駐車場は満杯状態で遠くの駐車場しか空いていなかった。1階の食堂が立並ぶ一郭の「とんかつ屋さん」に入ろうとしたら家内から家で食べれる以外の店へ入ろうと言われて和食の大きい店に入ろうとしたら40分位の時間待ちと成り店舗の前の椅子に座り時間待ちの体制に入った。

 

 今日は3連休の最後の日、通路は若い家族連れが大半、35歳以下の家族連れが殆ど、する事が無いので行き交う人の様子を色々観察していたら結構面白かった。順番が来てテーブルに着くと私は「鯛ずくし定食」を家内は何を思ったのか「五穀米定食」を其々に注文した。店舗の雰囲気や接客サービスは良かったが味の方は今一の感じで家内は やや不満気味、正午過ぎに40分近く待たされておなかが空いた状態で物足らなかったのだろう帰り道で「マクドナルドへ寄ろう」と言い出したので「行こう」と私も直ぐに返事したら「お父さんも物足らんかったのね?即座に返事が返って来るとは思わなかった」と大笑い。息子の分も含めてハンバーガーと照り焼きバーガーを計6個買って帰り(合計1380円)家でユックリと寛いで食べたらそちらの方が安くて美味しかった。家内と二人で「貧乏人の口には質より量やな・・・」と言って大笑いをした。

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 尽いて居ない昨日と今日

2014年03月18日 | 日記


 今日も定刻に実家に集合し7時過ぎに那賀奥に向かう。途中の阿南市と鷲敷町の境の道の駅辺りでフロントガラスにポツポツと水滴が当たる程度の雨が降り出した。更に奥の旧、木沢村に入ったら心許無い太陽が見え隠れする天気、昨日からの現地の天気予報は「昼から雨」の情報、9時過ぎから背負子に道具を入れて九十九折の山道を400mくらい登ると早くも薄っすらと汗が出て息使いは「はぁ~はぁ~」と苦しい状態に歳が行くと本当に情けない状態になってしまう。


 作業を始めて40分程で本降りの雨に成って来た。上の方で作業をしていた兄が「雨が降ってきたので今日の作業は止め」の一言で本日の作業は終わって帰る事に成った。私も外での作業の中で雨具を着ての作業は大嫌い。ヘルメットと首の間から入った雨が背中を流れて下着を濡らした時の感覚は大嫌いだ。其れが終日続くと自分の体温で乾かしていく感覚は幼少の頃に誰もが経験した誠に嫌な感覚である。


 外での作業は春夏秋冬、其々の大変さが有るが、色んな場所に行く事により其々の景色や季節感を味わう事が出来て楽しい事も多い。其れでも其れ等は天気が良ければの事で一度連続の雨が降ると憂鬱で鬱陶しいものだ。最近の天気予報は確実に当たるので今朝から予想はしていた事だが約束事なので其の時点で雨が降っていなければ予定通りに現地に行かねば成らない。今回は現地まで車で1時間強掛かるので非常勿体無い状態・・・・結果的に30~40分の作業の為に往復2時間半をついやする結果と成ってしまった。


 会社で昼飯を御馳走に成り1時過ぎに我家に帰ったら玄関の鍵を家内が会社に行く時に施錠していて家に入る事が出来ない。私の場合は何時も何処か1箇所、他人が解らない所を施錠せずに置くのだが用心深い家内の事、完全に施錠していた。それでは最後の奥の手の小太郎(昨年亡くなったペットの猫)の非常脱出口の洗濯乾燥機の上の小窓があったと向かったら小太郎が居なくなったので脱出窓の外一面に網戸を打付けてあり、奥の戸は開くのは解っているが網戸を小太郎が遣った逆に大太郎が外から中に向かって蹴破らなければ成らない事に・・・其のことは簡単だが後の張替えが大変なので家に入る事は諦めた。


 鍵束を前回何処かで落として見付かっていないので「早く終わったのでユックリ無線でも楽しもうか?」の思いは無残にも打ち砕かれた。家内が帰って来るのは4時前後、可也時間がある。自分の車で昼寝も考えたが玄関先の車内で昼寝も世間体が悪いし、仕方なくピョンピョン二世号の洗車とワックス掛けをして時間稼ぎをする事にした。実家周辺は木沢村とは違い曇り空では有ったが雨は降って居なかったので無事終了した頃に家内の車が帰って来て開口一番「あれ 帰りが遅いと言って居たのにどうしたん?」と言われ「なんで施錠やしたんじゃ お前が施錠したから家に入れんかたんじゃ」と言い掛けたがぐっと堪えた。

 

 外出する時に施錠するのは道理の叶った事、迂闊に言えば「鍵を掛けるのは当たり前の事、鍵を無くしたのは貴方の落ち度、そんな事言われても知らんわ・・・」と返り討ちに合うのは必至、言うだけ損な事は解り切っている。そして家内と一緒に家に入ったら雨音がして小雨が降り出した 折角車にワックス掛けしたのにマンの悪い事は続く様で昨日の足を踏み外して横転から悪い事が続いている。今日は三隣亡の日、明日はこれ等を振り払らわぬばと思う。

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 思わぬアクシデント

2014年03月17日 | 日記


 今日から那賀奥の作業の後半線が始まった。作業用具の積替えがあったので7時前に実家に行き車内の荷物の積み替え中にわからない事が在ったので甥に携帯電話を掛けながら(確認しながら)歩いていたら(下をよく見ていなかったので)左足を出した所に地面が無く 約80cm位の高低差を踏み外し隣のセメント舗装の土地へ左手の肘先から横倒しに下の地面に落ち、体の左側面を中心に強打した。周りの人に見られていたら恰好が悪いので直ぐに起き上がったが暫くは「うぅ~ん」と唸っていた。暫くは痛みがあったが現場に向かい作業が終わる1時頃には少し痛みは残っていたが気に成らない程度、処が何時の飛脚便の高松市内からの帰り道の運転中に肘の折り曲げをすると異常な感覚で最後まで肘が折り曲がらず肘の先端の外側を擦ってみると変な違和感がした。運転中なので其の場で確認する事も出来ずに自宅に帰って下着を脱いで鏡に映してビックリ 左手の肘の先端部が右の其れよりも1.5倍以上に晴れ上がっていた。



 腕も肘も違和感は有るものの(肘曲げの時に腫れを引っ張るのでゴムか何かで反対側から引っ張る動きにブレーキを掛けている感じ)十分動くので骨折の心配は無いのだが今までに経験した事の無い腫れ様、打ち身は暖めると駄目な様なので今日のお風呂は止めて大人しく寝る事にした。明日起きて腫れが引いていれば良いのだが少し心配、されど「生来の病院嫌い」なので此の程度で医者にかかる気持は更々無い。だが其の強がりが今週最後まで続けば良いのだが??

 
 

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大きな地震に驚いた

2014年03月14日 | 日記


 本日の真夜中に可也大きい地震があった。人間の潜在的な感知能力なのか?不思議と大きい地震の前は目が覚めた状態で迎える事が多い、神戸の大震災もそうであったが今回も4~5分前に何故か目が覚めて確りした意識の中で地震を感じた。最初のぐらぐらと家が揺れた後に家がある方向に向いて移動する様な感じで限界まで揺れて其の後、反対方向に揺れ戻しが来る感じで「がしゃがしゃ」と大きく揺れた。言葉では上手く言い表せないが風呂の水がある方向に移動して浴槽の壁に当たって返ってくる感じの揺れ方で後半の揺れは30秒間以上揺れた様に思った。

 私の感じでは体感的に淡路神戸の大震災並に感じたので直ぐにテレビの電源を入れたら徳島で震度4との事で地震による津波の心配は無いとのアナウンスで一安心した。幸い棚の上の物や食器類が落ちたり壊れたりする事は無かったが久し振りの大きい揺れを感じた。最近ニュース等で30年以内に南海地震に匹敵する大地震が発生する可能性などが報道去れているが意外と四国は地震の少ない所の様に思える。地層の加減か神戸の大震災も震源地が近くで在りながら大きい被害も無く事無きを得た。

 しかし天災は何時、何処で発生するか解らない 其れ等に対する心構えは日頃から確りと心掛けなければ成らないと思う。今日は其の様な事を強く感じた一日であった。

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ノートパソコンの修理完了

2014年03月13日 | 日記




 此の前に預かったノートパソコンの故障でHDD交換分、昨日にOSのインストールも無事完了、元気に復活した。故障原因はすぐに解ったがIDEタイプのHDDだったので部品が手に入るか?心配したがインターネットで探し回ったら新品が見付かって一安心、各種ディスクが届くのを待って仕上げた。Windows XP も直ぐにサポートが切れる日が目の前に迫っているが古いソフトを使用している方々には重宝している様子、私も最近に主要機種のOSはWindous 7の64ビット版に入れ替えたがノートパソコンの1台は Windws XPを残している。色んな点検やソフトを走らせる為には必要で暫くは利用価値が有りそうである。

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 つくしんぼう と 鶯の初鳴き

2014年03月12日 | 日記



 今日は朝から日差しの有る 暖かい天気、夕方前に1週間振りに散歩コースに出てみた。そろそろ「つくしんぼう」が頭を出しだす季節だと思って土手の草むらを探したが中々見付からず20分程探して漸く頭が出た背丈の低い「つくしんぼう」を発見しデジカメのシャッターを切った。今年は先週も寒かったので顔出しが遅い様に感じる。しかし茶褐色に覆われた土手の傾斜地にも所々に緑の一帯が現れて春の訪れを実感する。散歩が終わって家に帰る途中に繁みの中から鶯の初鳴きも聞こえていたが太陽が雲間に隠れると堤防の上を吹き抜ける風は少し肌寒さを感じる。あと1週間もすれば春独特の生暖かい風が吹く陽気に切替わる事だろう。梅の花も散り始め、此れから桜の季節へと移行し始めている。

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 6年間の仕送りの恩恵?

2014年03月10日 | 日記


 今日は終日、無線卓周りのパソコンのメンテ作業で終わってしまった。このパソコンのセキュリティーソフトはノートンを使用していたのだが時々、「パソコンの信頼率は68%」のメッセージが流れ画面の輪郭が赤色に変わってしまう。多分此の侭では危険と言う意味の表示と思える。しかしサイトで日々のアップ・デート動作をしたらグリーンに変わり暫く其の状態なのだが30分~1時間以内に同じ様な状態に成ってしまう。



 セキュリティーソフトのノートンはパソコンを遣り始めた頃から使用していたが少しパソコンには負荷的に重いので此処7~8年はウイルス・バスターと交互に使用していた。どちらにしてもソフトを外すとインターネットの閲覧は早く成るが此の御時世では余りにも危険なので必須のアイテムと成っている。いろいろ遣ってみたがパソコンの専門職では無いので問題は良化出来ずに思い切ってソフトを変えてみる事にした。



 今回はスーパーセキュリティーZERO成る代物を購入した。中身の事は解らないが前者の二つのソフトと違い1年毎の更新料が不要な事と本当か如何か良く解らないが世界NO-1の総合性能との謳い文句に踊らされて買って帰った。



 ソフトを導入するパソコンのOSはVistaの32ビット版、説明書通りにインストールを終えて再起動を掛けるとWindowsが立ち上がる途中の(多分認証段階で)エラーメッセージが流れてWindowsが立ち上がらない。色々調べて行ったら英文のページに飛んで如何も違法ソフトなので正規版の購入を進めるサイトに飛んだ。それ以前のページではWindowsの何かが書き換えられたので・・・・云々の文言 冗談では無い私としては珍しく日本の名の通ったメーカー製の型は古いが新品を1年程前に買ったのでバッタ物と言われても納得が行かない・・・・・・



 状況も解らず迂闊に作業すると取返しがつかなくなる事を考えて其の晩は寝て次の朝 情報工学が専門の息子に尋ねる事にした。翌朝は息子は休日だったので見て貰う事に、息子は英語が解るので(親の好い加減なDX用の英語力とは違い英文で論文が書ける程度の語学力)暫くして「お父さんの言う通り認証段階で違法ソフトと判断されOSが立ち上がらない状態に成っている 一体何をしたの?」と聞かれたので「新しいセキュリティーソフトを導入しただけ」と答えると「今から色々遣ってみるけど何が起こるか解らないので消えたら困るデーターが有ったら教えて先にバックアップをしておきたいから・・・」「Windowsが立ち上がらないのに如何するのか?」と聞いたらDOSコマンドでコピー出来るか確認してみるからと作業を始めた。そしてデーターファイルの場所と階層を聞かれたが そんな事一々覚えていない・・・・最終的に1時間くらい掛かって各種のデーターファイルの取り出しに成功した。



 その後、色々遣って最終的にOSは立ち上がってパソコンは正常に動作したが一度終了して再度、起動したら同じメッセージが出てアウト、そういえばソフトの導入段階ではパソコンは正常に動作し正常に終了した次の朝に症状は出たので同じ状態である事が解った。此処で色々悩んだがVistaも2世代前のOSでメモリーの認識も限界が有るしWindows7の正規版も持っていたので思い切ってOSの入替えをする事にした。当然インストールはOSが立ち上がらないし立ち上がっても負の要因を持つ可能性のOSへのアップグレードよりもアプリの再インストールの手間は掛かるが疑心暗鬼の残らない完全入替えの方法(64ビット版)を選択した。



 インストールは別段問題も無く順調に進みセキュリーティーソフトの導入の段階で少し迷ったが、折角買ったソフトを無駄にする事も勿体無いし原因は良く解らないが此処で諦めるのは余りにも悔しいと思うと同時に全てが新規導入なので相性の問題の可能性も考えにくいと判断、ZEROの64ビット版をインストールして終了、再起動の段階での不安は有ったが無事正常に起動し事無きを得た。



 パソコンのど素人の作業なので実施時間は半日以上に及びWindows7の購入から月日が経っていたので新規導入後のアップグレードのファイル数や大きさも半端な物で無く其の後、完全な状態にするには数時間を要したが現在は快調に動いている。原因は良く解らないが相性問題の様に思えるのだが???今回 お世話に成った息子のキツイ一言「処でお父さんパソコンは何台持っているの?」と聞かれ「現用はデスクトップが3台にノートが3台かな?ジャンクなら解らない位」と答えたら苦笑いしながら「そりゃ 持ちすぎやわ」と言われた。息子が高校時代前から私のパソコン熱は始まっていて其の当時から家に有る沢山のパソコンにも見向きもしなかった息子が大学進学時に情報工学を目指すと言った時、正直に親としては現役として通用する寿命の短さや物事を創造する能力の適性を考えたら賛成出来なかったが今と成っては私のパソコンの先生として非常に役立っている。本人とすれば休日に早朝から起こされて迷惑で有難くない状態であろうが6年間仕送りをした私としては其れ位の御利益が有っても良いのでは?と思っている。

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 世話役を終えて今一番感じる事

2014年03月02日 | 日記


 本日を持って1年間の世話役も終わり、晴れて完全リタイヤ組みに戻りました。此の地に移り住み約35年に成りますが現役中は地域活動にも余り熱心で無く、地域の連帯感も余り無く自分の気持ちの中も「来たり人」でしたが今回、世話役を仰せ付かり其の役目を勤める中で常会内の全ての家庭に色んな用事でお伺いする機会を得て、お顔と家が完全に結び着いたり会話の中から其々の人柄を知る事が出来ました。そして其の事以上に皆さんに此の機会を通じて私を知って貰って今回、漸く此の土地への仲間入りが出来たと実感しました。農家の多い地域親睦団体の中で非農家が世話役をすると正直、関係無い事や解らない事も数々有りましたが以前よりは少し理解する事が出来ましたし特にサラリーマンとの兼業農家や後継者の居ない農家の将来を見据えると考えさせられる場面も多々有りました。



 そして退職後の私の大袈裟に言えば考え方や生き方である「此の世の事は遣って見なければ解らないし、遣って見て無駄な事は一つも無し」を正に実行していく中で世話役の大変さを身を持って知る事が出来ました。正直な話、現役中の煩雑な時代に折角の休日に地域行事に参加したり集会所で材料持ち寄りで昼食を作って懇親会など若い頃は時代錯誤的に感じて居ましたが?此れから先行きが危いと思いつつも其の行事の中にも良い物が有る事を実感しました。



 しかし一番大変だった事は色んな模様仕事に財政的な負担を御願いすると御理解を頂き費用の分担も気持よく負担頂くのですが、運動会や地域行事の人の参加を御願いする事は大変でした。個人個人には其々の予定や都合も有り時代の風潮が個人主義に成って折、楽しみ方も団体的なものより個人的に成ったり気の有った者同士で楽しむように成った現在では運動会や花見会で地域の方々の集客は難しく大変でした。振り返って見れば私自身もこれらに対して比較的消極的な方で有ったので個人的には心情は十分理解出来るのですが?さりとて世話役に成るとそうは行きません。心情は理解しつつ参加を頻繁に進め無ければ自分の務めが務まらぬジレンマは結構辛いものが有りました。集客が出来ずにギブアップする事は簡単な事ですが誰しも自分の世話役時には終わらせたくない其の様な一念で有ったろうと思います。少なくても私はそうでした。



 此の1年間を通じて一番感じた事は過去に世話役をされ方々の痛みが解った事で(以前の私は常会活動に協力的な住人では無かったが)今後は出来るだけ行事へ協力や参加をして行こう思っています。其れが今回支えて頂いた方々への最終的には恩返しに繋がると思えるからです。



 今回、家内には裏方として頑張って貰ったので夕方に感謝の打上げ会の形で散財してきました。此れで何時でも何処でも出掛けられる体制には成りました。
 

 

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 寒い冬を頑張った後には良い事が?

2014年02月13日 | 日記


 此処3~4日は可也ハードな日々を過ごして居た為に無線を聞く事も出来ずに家に帰って食事をして風呂に入ったら即、寝床に直行し翌朝は5時半起きの6時半には我が家を出発の毎日が続いた。 


 今日は大型漁船に乗り徳島市内の沖から鳴門市の沖にかけての海の水質調査で寒風吹き荒ぶ中を船で2時間半くらい走り回った。鳴門方面は最近行く機会は殆ど無かったが以前の現役最後の勤務地は板野郡北島町だったので此方は通勤で5年間程通った道順、以前は徳島市内を通過するのに時間が掛かり阿南の実家を出発する時間が10分ほど何時もより遅れると会社に到着が30~40遅れる通勤時間の読めない自動車通勤者泣かせのコースで私は9時始まりの会社に7時20分頃に到着する為に朝6時頃に我家を出発していた。其の習慣の性か?退職して約8年も経過しいるのに染み付いた習慣と相手を待たせてはいけない事から9時30分待ち合わせの現地には7時30分頃に到着してしまった。


 仕方が無いので車内で仮眠を取って時間待ち、全員が揃った10時過ぎに船は出港したが港内は波が無かったが突堤を出た途端に船は大きく揺れ始め前からバサバサ波を被り始めた。幸いな事に私は船に酔う事は無く、比較的スムーズに作業は進んだが其の寒さには恐れ入った。日頃よりインナーを余分に着込み其の上に雨具を着て尚且つライフ・ジャケットを付けても震えるほどの寒さと鼻水が止まらない状態、作業中の私たちを見て(船長はキャビンの中)「寒いだろう?」とコーヒーを出してくれたが冷えた体には最高に有り難く日頃コーヒーを飲まない私だが大変有難かった。途中の徳島空港の滑走路の沖でサンプルを採集中に旅客機が着陸の為に進入してしてきた時は車輪の部品が確認出来る程の高さ、数十メートル上空を飛行機が飛ぶので迫力があり写真に撮りたかったが遊びでは無いので御叱りを頂くと拙いので諦めた。此れ等の観測時期は春、夏、秋、冬の年4回らしいので今回の冬の様な厳しい時で無く、次回、もしチャンスが有れば気候の良い秋の青空の下で御呼び頂きたいと思った。作業中は「夏に北海道に行く為ならエンヤ~コリャ」と心の中で自分に言い聞かせ乍、頑張ったが其の寒さは半端で無く隠岐の知夫村の赤ハゲ山で経験した歯が自然にガチガチ鳴る寒さには及ばなかったが其の次の寒さで有った。



 今年の年一回の旅行は過去の5年間の私だけ楽しむ旅行では申し訳ないと此の夏は家内同伴の旅の予定で有ったが「狭い車内で寝る様な旅行はお断り、貴方とは行きません」と向うから一方的に引導を渡されたが内心は此方の読み通りのパターン、其れなら余りにも申し訳無いので家内が自分で自由に楽しめる毎月一回程度の一泊の温泉めぐりが出来るプレゼントを提示して、私の自由気侭な旅と少し無線が出来る長期の旅が出来る為の示談が成立、此の冬は頑張った事から軍資金も確保出来そうなので再度、東北~北海道を巡る旅を計画中で毎晩布団に入ると彼是と考えている。今の気持ちは「早く来い来い6月」状態に成っている。
 

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 ブログを書く元気も失せた大チョンボ

2014年02月11日 | 日記


 今日は発電所の仕事の仕上げ日 出発時の阿南市は曇り空の天気であったが那賀奥に着くと時々に小雪の舞う天気で非常に寒かった。只、天気は回復傾向にあったので昼前には時々青空が見えて仕上げの作業も順調に進み遂に千秋楽を迎えた。しかし今回は個人的に大チョンボをやらかしてしまった。惚けた叔父さんが鍵束を紛失させ「偉いこっちゃ~」状態に・・・



 此の鍵束には家の鍵、ピョンピョンⅡ世号の鍵、キャリア・ラックの開閉用の鍵、其の他で、困った事にキャリア・ラックが開け無い為に移動運用のアンテナ一式、アンテナ関連部品、延長コード、非常食、その他の重要な物が取出せない始末、家の玄関の鍵は交換するとしても?鍵束が出てこなければキャリア・ラックは(最初からスペアーキーが付いておらず)最終的に鍵が見付からねば取壊さなければ成らない事に成る。作業現場も隈なく探したが現時点では見付ける事が出来ずに気分は落込む一方、無くした日は解って居るので毎晩寝る時に当日の行動を思い返しながら紛失した場所を探って居るのだが・・・・・

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流石に今日は疲れた・・・・

2014年01月30日 | 日記


 今日は朝から雨、昨日の天気予報が報じていた様に午前中は小雨で有ったが降っていた。外の斜路の作業は危険な為、最高部の建屋の中の作業と成ったが久し振りに狭い機械室の空間を這い回り さすがに疲れた。帰ってコタツの中に入ったら何時の間にか眠ってしまい。気が付いたら今日の2メーターDXクラブのロールコールは終了していた。其の後14MHzを待ち受け受信していたら14.185MHzにFT5ZMが強力に入感してきたので暫く呼んだが当局のレベルではかすりもしなかった。相手は14.190~205MHzで呼べと指定していたが呼んでいるJAやEUの信号が殆ど聞えないため相手が どこらの周波数を聞いているのか?探る事が出来ず暗中模索の状態、最終的に今日は疲れたので諦める事とし土、日曜日に頑張る事に今日は今から寝る事にします。

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急斜面での命綱頼りの作業

2014年01月29日 | 日記


 今日は定刻で作業が終わり家に帰り着いたら18時30分過ぎ、家に入って一番最初に無線機の電源を入れた。FT5ZMの21MHzのCWの信号は其れ成りに強く入感していたが昨日の此の時間と比較すると可也強さが違う様だ。21MHzは両モード共に交信済みなので14MHz帯を聞き始めたが14.185MHzにSSBで運用中の情報はクラスターに書き込まれていたが、最初ショートパスで聞いたら信号が確認出来ない。「もしやロングパスでの入感かも?」と思いアンテナを振ると弱いながらも信号は受信出来たが何故か今日はSメーターでノイズレベルがS6まで振れて受信状態は悪く呼掛け出来る状態では無い。暫くの間、受信したが状況が良くなる気配が無い為に諦めてQRTした。



 今日も良く晴れた春の様な暖かさで上天気、今回の作業は発電所内の発電機の水車に水を落とす可也斜度の有る水管(並列の3本で各100m近くあるかと思われる)の板厚調査で接続された各セクションの前もって定められた部分の板厚を測定し磨耗状態を調べる事、水管の横の階段を一番上まで上がり最上部から命綱を垂らし水管下の急勾配のコンクリート斜面を綱一本を頼りにロリップと言う安全装置を使用して上がり降りしながら管体の塗装面を剥離させた後に超音波で板厚を測定し其の後、剥離面を清掃し其の上に指定の塗料を塗り元の状態にすると完成なのだが其の中で塗装面をサンダーに取付けたワイヤーカップで剥がすのが本日のメインの作業、両手は剥離作業で使うので安全帯に取付けたロリップと両足で体を固定し作業する事に成る。解りやすく言えば消防署の隊員が垂直の壁を上がり降りする状態の壁が急斜面に成って居る所が違うくらいか?



 私はタワーの上がり降りを定期的にしているので高さに対する恐怖感は余り感じないが今回は何か操作を間違うと急な斜面の為に下に滑落し無事には済まない為に絶えず緊張を感じながらの作業と成った。日頃此の様な作業や筋肉を酷使する事は珍しく、先程、風呂に入って筋肉を十分に伸ばしたが出て来て筋肉が攣り、暫く元に戻らなくて痛い思いをした。明日もこのような作業の連続に成るので今晩は早めに寝て体力の回復を図ろうと思っている。

 

 

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 今週のお空のコンディションは如何だったのだろうか?

2014年01月24日 | 日記

 
 今日も青空の広がる上天気で早朝8時過ぎに現場に到着、朝は木立の関係で日光が当らない事と放射冷却現象で少し寒かったが正午前には春の様な天気に成り此の時期としては可也暖かかった。外で作業をする者にとってこれ程有難い事は無い其の意味では感謝、感謝 是で前半の5日間は終わり2日の休みの後に後半に入る。リタイヤ組に入って自堕落な毎日を送って居たので健康管理も出来ず、其の間に体重が10Kg以上増えて今回は体力的に自信は無かったが始まってみると自分が心配していたよりは体も動いたのでホットしたが来週の後半からは今までと違い発電所に入る部分の可也斜度のある水管部分に成るので道具の上げ下げや人間の移動などで体力勝負と成りそうである。



 今回は思ったほど疲れた実感は無いが、其れでも好きな無線のトランシーバーの電源を入れる事は5日間で一度も無かった。従って当然ながら実績は無し、此の分は明日からの2日間で取り返そうと思って居るがお空のコンディションの方は如何なのだろうか非常に気に成る。
 



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 此処数日の充実感

2014年01月22日 | 日記


 今日で丸3日、珍しく交信実績が途絶えた。途絶えたと言うより無線機のスイッチをいれなかったので当たり前の事なのだが・・・・ しかし 其の反面、此処3日間は充実感を感じながら実に規則正しい日常生活を送っている。朝、5時頃に起床し6時半には家を出て帰宅は18時頃、そして23時前には寝床に入る生活



 御蔭さんで体調は頗る快調である。早寝、早起きと決まった時間に食事を取り日中は確り体を動かし、寒くても日が昇ったら仕事を始め日が落ちると仕事を終えて家路に着く 当たり前の事を当たり前の様にして過ごす事が健康維持にとって如何に大切なのかを実感する。此れまでの私の生活環境は起きるのも寝る時間もまちまち、日々が休日同様で自堕落な生活で時々、家から一歩も出ない日もある。更に日々、無線三昧と其れをしない時はテレビのお守り役、「日常生活を規則正しく過ごす」とは随分かけ離れた日常生活を送って居る様に思える。



 今回は此の状態(日常生活)が月末で続くので是非、此の機会を利用して少しでも規則正しい生活習慣が身に着く様にしたいと思う。今日も十分体を動かして来たら夜の食事も美味しかったし、先程に終えた入浴も日頃の「烏の行水」とは違い20分くらい熱めの湯に確り浸かり若干の疲労感は有るもののリフレッシュ出来た。

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