きままな旅

きままな旅ときままな日記

2024/04/26 名古屋市守山区大森寺と尾張旭市良福寺の古刹を散策した。

2024-05-09 | 尾張文化の会

2024/04/26 名古屋市守山区大森寺と尾張旭市良福寺の古刹を散策した。
散策コースは八剣神社、大森寺、良福寺、渋川神社、退養寺、新居の厄除弘法です。
《名古屋市守山区》
✿八剣神社(やつるぎじんじゃ)
 八劔神社は平安遷都前年の延暦十二年(793)この地方を支配していた豪族(山田の連)により 大森北八剣の地に創建されたと伝えられています。 また、宝暦十年(1760)矢田川近くの元郷の地に移されますが、 度重なる洪水などの被害もあり昭和二年(1927)町全体が見渡せる現在の地に遷座されました。
 古くから大森の人々に敬愛されてきた由緒のある神社です。
 主祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。
 
石柱  参道
 
拝殿  蕃塀
  
弁財天  天王社 秋葉社
 
天神社の石柱   祠

✿大森寺(だいしんじ)興旧山
本尊は阿弥陀如来で、山号は「興舊(旧)山」です。
 二代藩主光友は生母歓喜院(かんぎいん)「乾」の方の菩提を弔うために、寛永十四年(1637)に江戸小石川伝通院(でんづういん)内に大森寺の前身となる廟所を建立し、寛文元年(1661)に「乾」の方の出生地である尾張国大森村に廟所を移転し大森寺と寺号を改めて創建されました。
 中門に掲げられた山号は光友公御真筆額と伝える。
 大森寺は「尾州御寺(びしゅうみてら)」の1つとして、江戸時代から尾張徳川家による手厚い庇護を受けました。尾州御寺は六寺で建中寺・相応寺・大森寺・高岳院・性高院、清浄寺で江戸時代には尾張藩主の格式ある寺院でした。
 墓地には乾の方の墓と加藤唐九郎(人間国宝)の碑がある。
 
山門  石標
 
参道  中門
 
説明版  中門の扁額(光友公御真筆額)
 
本堂  鐘楼

尾張名所図会(後編四ノ十二)

墓地入口
 
乾の方の墓  板塔婆

加藤唐九郎の碑
 加藤唐九郎氏は桃山時代の織部、志野、黄瀬戸の復元に成功した人物で、
 加藤唐九郎(翠松園陶芸)記念館は守山区小幡北山に有ります。

◎2024年3月2日から5月7日間、名古屋城の西の丸御蔵宝館で特別展 
「守山の御寺 大森寺の宝物」が開催されました。

✿尾張三大弘法大師像
 第一番は小幡緑地公園内(名古屋市守山区)に有る御花弘法大師、第二番は良福寺(尾張旭市印場元町)の開運大師、第三番は新居の弘法像(尾張旭市新居町)です。
 
御花弘法大師
 
開運大師
 
厄除弘法

《尾張旭市》
✿良福寺(りょうふくじ)萬安山
 良福寺は尾張旭市で最も古く、平安時代の創建と伝える。
 戦国時代末期には土岐氏、織田氏の保護を受けており、天正十年(1582)に織田信雄(信長の次男)が良福寺の寺領を保証した織田信雄書状(市指定文化財)があると伝える。
 その後、太閤検地のとき寺領を没収され、寛永八年(1631)尾張藩主徳川義直の命により政秀寺三世槐山和尚(かいざんおしょう)が中興しました。
 良福寺山門(市指定文化財)は、この折に清州城の裏門の一つを譲り受けたものと伝えられています。

参道
 
本堂  紋
 
庭  燈籠
 
開学発祥之地
明治六年(1873)頃、この地に学校を開いたと伝える。

✿良福寺 山門
 山門は中興の折に、清州城の城門ひとつを譲り受けたとされています。
 昭和五十一年(1976)には門扉などの部分修理が行われ、平成十一年(1999)は地盤及び袖塀を含む山門の全解体修理行われた。
 
山門

柱の修理跡
 
説明版  棟札


 
開運弘法大師
 
石柱(安産子安弘法大師)
 
薬師堂
 
御砂踏み

馬頭観音(渋川神社南側の旧瀬戸街道筋にあった)

✿旧瀬戸街道筋
 県道61号線は現在「瀬戸街道」という通称で親しまれています。古くから名古屋から瀬戸へと続いていました。江戸時代には信州と名古屋の間で馬を使って荷物を運搬に利用され、明治以後は瀬戸からの陶器輸送の馬車が通ったと伝える。
 ところどころに昔の瀬戸街道の道筋が残っています。

説明版(渋川神社前)

✿渋川神社
 渋川神社は尾張旭市内で山田郡総社であり、唯一の延喜五年(905)から編さんされた「延喜式」の神名帳の部分に記載されている神社で「式内社」です。
 天武天皇の悠紀斎田は天皇が即位するときに行われる大嘗祭に献上するお米を作る田んぼのことを言います。

入口の鳥居
 
拝殿  由緒
 
天武天皇斎田跡の石標  説明版
 
連理木  説明版

渋川稲荷社

✿退養寺(たいようじ)安生山
 新居の開拓の祖である水野又太郎良春の菩提寺で開山は良春の弟の報恩和尚と伝えられています。御寺には応安七年(1374)に亡くなった良春の位牌が残り裏山には良春とその一族の供養塔と伝えられる石塔があります。
 
山門

本堂

✿水野又太郎良春の墓
 水野又太郎良春は、南北朝時代に奈良県吉野の金峰山寺の僧兵で、南朝方として戦いを終えて祖先の地である志段味に帰って来て、この地で田畑を開墾し新居村を開いた。
 水野又太郎良春の菩提寺である退養寺の裏山には良春とその一族の墓と伝えられる宝篋印塔と五輪塔があります。

宝篋印塔と五輪塔

説明版

✿新居の厄除弘法
 昭和六年(1931)に瀬戸電気鉄道により新たな観光名所として建立し尾張三大弘法のひとつとなる。

お参り場所
 
厄除弘法  

不動明王

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2024/04/17名古屋市中村区史跡散策路 笈瀬川筋散策コースを訪ねた。

2024-04-20 | 尾張文化の会

2024/04/17名古屋市中村区史跡散策路 笈瀬川筋散策コースを訪ねた。
 伊勢神宮の御神領地で、お伊勢川と名付けられた川がやがて笈瀬川となった。庶民のまち名古屋駅太閤通口から巨大な予備校群を横に見て、八雲琴の水野社へ。カッパ伝説の椿神明社から旧笈瀬川筋をたどり、牧野5社を巡る。
 牧野5社は椿神明社、厳島社、天王社、稲穂社、牧野神明社と云われる。
✿水野社
 700年以前よりこの地にあるといわれる水野社は、かつて八雲琴が伝承されていました。文政三年(1820年)伊予国中山吉士通郷が神託により創始し、世に広めたといわれる八雲琴は、竹を二つ割にした胴に二弦を張って弾奏し、神聖な神曲を演じて神に奉ずるものです。
 一説によると八雲琴「五十鈴川」は、三種の神器たずさえて伊勢神宮を祀られたやまとひっめに思いをよせた曲と云われている。
 
鳥居 石標 

拝殿
 
護国社  身代地蔵尊

大松稲荷

✿ 椿神明社
 御祭神は豊宇氣比売命(トヨウケヒメノミコト)を祀っている。
 尾張名所図会には「椿の森 河童乃怪」が記載されているのが、この地域であろう。かっぱ伝説は『わしはおいせ川のカッパ太郎だ。川岸にはお宮の森がある。何十本もの大椿が繁っているので椿の森とよんでいる。・・・力自慢で男の子に化けるのが得意なカッパの話が伝わる』

参道 石標 

参道 拝殿 

神殿 


尾張名所図会 付録

✿ 稲穂社
 御祭神は宇迦之魂神(ウカノタマシカミ)を祀っている。
 天保二年(1831)ごろの牧野村住民がこの地に移住して新たに一集落が造られ守護神として祀られた。

鳥居 

神殿 

稲穂社 

稲荷社 

秋葉社 

✿ 牧野神明社
 御祭神は天照大御神が祀られている。
 言い伝えによると境内には大きな藤の木があり、この木を伐採したところ村中に疫病が流行した。陰陽師が占うと藤の木の祟りであり、酒を醸して神に献ずれば癒えるということで、「おいせ川の水」で甘酒を造り、神に献じたら、たちまち疫病がなくなったといわれ、以来今日に至るまで神事として伝えられている。

鳥居 参道 

神殿 

この辺りから眺める名古屋駅のビル群

名古屋駅

✿ 須佐之男社
御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)と火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)が祀られている。
一説には牧野5社の1社とも伝える。

鳥居 

石標(須佐之男社) 石標(迦具土社) 

✿河童伝説『かっぱの由来』
 昔、笈瀬川(今の笈瀬本通り)に、子共好きの一匹の「かっぱ」が棲んでおったそうな。このかっぱは力持ちの男の子に変身する特技があったんじゃ。ある日、川でおぼれている子供を助け、それからみんなに「人助けのかっぱ」と親しまれたそうな。笈瀬本通り商店街も、このかっぱにちなんで家計を助ける「かっぱ商店街」へ生まれ変わったんじゃと。(笈瀬本通商店街振興組合説明板より)

河童の銅像 

✿ 厳島社
 御祭神は市杵島比売命(イチキシマノミコト)が祀られている。
 古くより椿神明社、牧野神明社とともに牧野村三社の1社である。

石標

祠 

✿ 天王社
 御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオミコト)と火之迦具土神(ヒノカグツチカミ)です。

社 

右の石標(天照皇大御神 熱田皇大御神   須佐之男・迦具土・水大大神)
左の石標(白玉龍神)

✿ 福田兼助碑
 智興寺前に福田兼助の碑が建っています。この地区近代教育の祖といわれた兼助は、農家の出で学問を好み、徳川時代末期に村の子弟の教育に尽くし、明治になり学制が敷かれた時に推されて村校の教師になった人物です。
 明治三十四年(1901)に建てられました。

石碑

説明版

山門

智興寺本堂

✿ 熊野社
 御祭神は伊邪那美大神(イザナミノミコト)が祀られている。
 境内はクス、ケヤキの保存樹がうっそうと繁っている。
 子安社は安産の守護神、木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を祀っています。

鳥居 

参道 

参道燈籠の上部(宝珠、笠、火袋、請台)

参道と拝殿

拝殿 

拝殿 

神馬 
 
子安神社 鳥居

✿ 金山神社
 御祭神は金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。
 鎮火・農耕の神としてあがめられている鍛冶業の守護神と伝える。
 名古屋城の石垣の石(残石垣)は名古屋城築城の際、この辺りを流れていた笈瀬川を使って石材を運んだ際に現在の露橋付近に石切場が有った、付近の笈瀬川から出土した築城の残石とされる石と伝えられる。

鳥居 石標 

拝殿 
 
残り石  説明版 

✿ 円福寺
 本堂には本尊阿弥陀如来立像が祀られている。
 天正六年(1578)北一色村善行寺の二世海善が米野村に隠居して一宇を創建した。
 二世海善は織田信長の親族であったと伝える。

山門 

本堂 

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2024/04/12 春日井市 落合公園 桜です。

2024-04-12 | 尾張文化の会

2024/04/12 春日井市 落合公園 桜です。
 落合公園の桜見物に行ってきました。
 4/12日市役所近辺の桜は前日の雨と風で道路が桜の花が散ってジュウタン状態でしたが、天気も回復して温かい日和になり桜も元気になっていました。
 園内でも西側は葉桜のはじめでしたが東側は満開で4/13,14の土日曜日は大勢の市民が楽しめる日になりそうです。
              
 様々な桜の咲き具合が見られました。

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2024/04/08と09 春日井市の桜

2024-04-10 | 尾張文化の会

2024/04/08と09 春日井市の桜
 今年の桜は二日前に咲き始め8日には葉桜が始まり、翌日の午前は雨で昼頃に見に回ったら雨と風の共演で桜のジュウタンでした。
《4月8日》
✿二反田池跡地
    
二反田池跡地

《4月9日》
✿尾張広域緑道
 
尾張広域緑道

尾張広域緑道(春日井高校西側)

✿乙輪公園
   
乙輪公園

✿篠木公園
   
篠木公園(グランドは水浸し)

✿関田公園
   
関田公園

✿小木田公園
   
小木田公園

✿貴船神社

貴船神社

《4月9日》
✿上ノ町公園
   
《4月10日》
✿上ノ町公園
     

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2024/03/21 名古屋市緑区史跡散策路『大高城下コース』を訪ねる。

2024-03-30 | 尾張文化の会

2024/03/21 名古屋市緑区史跡散策路『大高城下コース』を訪ねる。
JR大高駅→八幡社→辻の秋葉社→大高城跡→朝苧社→玉根社→神明社→元宮→石神白龍大王社→氷上姉子神社(熱田神宮摂社)→石神白龍大王社→春江院→津島社・天満社→(和風🍴福島)→長寿寺→鷲津砦跡→JR大高駅

✿大高駅(おおだかえき)
 
大高駅  駅前のモニュメント

名古屋で一番古い駅の説明版
 明治十九年(1886)三月一日、官営の鉄道駅として武豊線(武豊線―熱田間)の開通と同時に大高駅が開業し、熱田駅とともに名古屋市内で最も長い。 歴史を有する駅です。
 明治政府が当初計画していた東京―京都の鉄道ルートは、中山道沿いとしており、その後ルートが東海道へ変更された結果、大府駅で東海道線と武豊線が接続され、大高駅は東海道線となった。
 昭和六十二年(1987)四月、JR東海が発足し、大高駅も「JR大高駅」 となった。

✿八幡社
 祭神は応神天皇、神功皇后、玉依姫命(たまよりひめ)。神木はクロガネモチ。
 治承四年(1180)源頼朝が鶴岡八幡宮の分霊を勧請、相模国に鎮座、その後花井備中守(大高城主)がこれを大高の里へ遷され、現在のご鎮座地と城山(大高城址)の両地に祀ったと伝えられている。
 
石柱  鳥居

拝殿

説明版

✿秋葉社
 祭神は迦具突地神、創建は不詳。
 手洗い石には、くぼみが多く見られる、これは「盃状穴」で、村人が願掛け石でつついたと云われる。
 
社  
 
手洗い石  案内板

✿大高城跡(おおだかじょうあと)
 築城年代は不詳。永正年間(1504から1521)のころ花井備中守が、天文・弘治(1531から58)のころには水野忠氏父子が居城した。永禄三年(1560)桶狭間合戦のときに、今川の支配下にあり、松平元康(徳川家康)の兵糧入れは有名である。合戦後元康は三河に帰り、廃城となった。その後、元和2年(1616)志水忠宗が三の丸に宅を設けたが明治三年(1870)に廃した。(昭和十三年(1938)国の史跡指定された)
 
入口  石標

案内板  

✿本町公会堂の鬼瓦
 屋根の鬼瓦は大黒天(福徳円満)と恵比須(商売繁盛)です。
 
公民館  説明版
 
大黒天と恵比須

✿酒蔵(さかぐら)
 大高川の左岸(南方向)に煙突や黒囲いの酒蔵の町並みがある。大高町の酒造の起源は不詳だが、かなり古くからあったらしく、酒株帳によると大高村200石という記録があり、樽舟によって遠くは江戸まで送られていたことからとても盛んであったといえる。現在は三軒で清酒醸造が行われている。
 


✿朝苧社(あさおしや)
 氷上姉子神社の境外末社で祭神は火上老婆霊(ひがみうばのみたま)で氷上の里の地主の神で宮簀媛の母神と伝えられる。また、「乳の神」として尊崇している。
 
朝苧社
 
入口  参道

✿大高大農園

名古屋高速と菜の花
 
あんずの木  あんずの花
 
菜の花と畑  

✿国道23号(名四バイパス)、名古屋高速3号大高線
 
名古屋方面   豐田方面

✿玉根社(たまねしゃ)
 祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)で医薬、医療、酒造りの神さま。長寿、病気平癒の信仰が厚い大国主命と国造りに力を尽くした神様です。
 
参道  説明版
 
玉根社

✿大高斉田
 御用植祭(6月)と抜稲祭(9月)が行われる。
 
斉田

✿神明社
 
神明社

神明社の千木、鰹木、棟持ち柱、鞭掛け等が観られる

✿元宮
 
元宮社の参道

元宮社
 
宮簀媛命(みやずひめ)宅趾の碑

✿氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)
 祭神は宮簀媛命。仲哀四年(195)の創建。熱田神宮の摂社で延喜式内社。宮簀媛命は日本武尊が東征の帰途この地に留まられた際に結婚され、尊が亡くなった後草薙神剣を奉斉守護して、やがて熱田神宮におまつりした。のちに熱田神宮の創祀である。その後、持統四年(690)に現在地に移した。境内末社として、元宮、神明社、玉根社が現存している。
  
石柱と鳥居  参道

鳥居と拝殿

拝殿

説明版
 
西入口 西入口の神社側

✿平ノ池地蔵菩薩

平ノ池地蔵菩薩

✿石神白龍大王社
 この神社は氷上姉子神社に関係した神様と伝えられていましたが内容は定かではなく、久しく荒廃していました。
 昭和26年1月近隣住民有志で御嶽講先達にお伺いをたてたところ、この地の神はおよそ1500年前に遡る「石神と白龍の二神からなる石神白龍大王である」とのおつげをうけましたと伝える。
 
参道  説明版

石柱と鳥居
 
境内と祠
 
御塚ノ石

石神ノ碑・塞ぎ石
 一説にはオシャクジ(石神)とも呼ばれ、この辺りに有った古墳の石室に使われた石とも伝える。

石神ノ碑(左)と塞ぎ石(右)

✿春江院(しゅんこういん)曹洞宗
 弘治二年(1566)水野大膳(大高城主)が創建。本尊は多宝如来。本堂は文政十三年(1830)に、入母屋造りの鐘楼は慶応元年(1865)に再建された。
 
石柱  山門
 
参道 本堂

鐘楼

✿津島社・天満社
 津島社の祭神は、素盞鳴尊。創建は不明。江戸時代前期には既にあったようです。疫病・厄難除けの神として 信仰されている。
 向かって右側には学問の神である菅原道真を祀った天満社(天神様)もある。 大高歴史の会

鳥居

津島社・天満社
 
津島社の紋・天満社の紋

北参道と石柱
 
大高村南部農車道開墾之碑

✿長寿寺(ちょうじゅじ)臨済宗
 創建年月は不詳。本尊は阿弥陀如来座像。当初は真言宗長祐寺と称したが桶狭間合戦のとき、兵火によって焼失。大高領主志水忠継の子忠時は祖母長寿院の禅寺建立の遺命に従い、天和二年(1682)に伽藍竣工し、宗派を黄檗宗に寺号を長寿寺に改めた。その後元禄四年(1691)に臨済宗に改派し今に至る。
 
山門  説明版
 
本堂

✿鷲津砦跡(わしづとりであと)
 永禄二年(1559)に信長が大高城の北東700mの丘陵上に、丸根砦とともに築城。永禄3年の桶狭間合戦のとき、今川勢に攻められ、砦を守っていた飯尾定宗ら大半の兵士が討死した。現在は公園にもなっており碑石が建っている。(昭和十三年国指定文化財)
 
石標  説明版

石標

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