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岩波講座 『天皇と王権を考える 3 生産と流通』 2002 岩波書店 

2013年04月20日 | 王権

岩波講座 『天皇と王権を考える 3 生産と流通』 2002 岩波書店

この巻の構成は以下のようになっている。 

3巻  生産と流通
  王権のもつ権威と権力の構造を,それぞれの社会の基盤をなす生産のあり方から検討する.農業社会の王権と遊牧社会の王権,あるいは交易社会の王権とでは,その構造はどのように異なっているのか.また王権は,それらの生産諸関係をどのようにして支配に組み込んだのか.アジア・アフリカの多様な王権を素材とする。

【序論】 網野善彦

 王権と農業

1 農業と日本の王権 大津 透

2 古代エジプトにおける灌漑と王権 畑守泰子

3 王権と農業支配―古代中国 鶴間和幸

 

 王権と狩猟・牧畜・織物

4 狩猟と王権 中澤克昭

5 遊牧民族の王権―突厥・ウイグルを例に 林 俊雄

6 絹と皇后―中国の国家儀礼と養蚕 新城理恵

 

 王権と都市・流通

7 職能民と王権―西アフリカの事例から 川田順造

8 王権と都市 今谷 明

9 天皇と鋳物師 桜井英治

10王権による山野河海支配 盛本昌広

11貨幣と王権―中国と日本 山田勝芳

 

それぞれ面白い論考が目立ち、引用したい誘惑に駆られるものが多かった。

今回は川田順造 「職能民と王権―西アフリカの事例から」 のピックアップ

川田順造が、西アフリカ内陸社会で長期にフィールド・ワークした事例からの王権の考察(現マリ共和国中部、西部)など

1 狩人と王権

「王権の由来を外来王に求める起源神話は世界に多いが、異常な力を具えた外来者として、西アフリカでは、狩人が、しばしば登場する。モシ王国の起源神話も、北のマンデ語系王国の王位継承争いに敗れて放浪する象の狩人と、南のマルブルシ王国から出奔した王女が出逢って結ばれ、生まれた男児が、モシ王国の始祖になったことを物語っている」

「マンデ語系社会が生んだ最大の帝国である、14世紀を頂点として栄えたマリ帝国の創設者スンジャータ大王も、放浪する狩人が、怪獣を退治して、土地の首長の娘と結婚して生まれた子だ」

「史実はともあれ、神話・伝説という土地の集合的意識の表象のなかでは、狩人は王権の由来に執拗なまでに結びあわされている」

2 外来王と土地の王

「古参原理」

「よそものの狩人に王権の由来を結びつける、王国起源神話ないし伝説fがある一方で、先住民の長老である、「土地の主」が政治的統合の核となっている社会」

「その土地にもっとも古くから住みついている集団の最長老者が、権威をもち、住民が、その権威に従うもの」

「土地の神聖視、祖先を媒介とする土地の精霊との儀礼を通じての関係が、その権威の基になっている」

 

「優越原理」 

「強力な外来者による支配」 外来王

「この相反する二つの原理が、ときに相補う形で、形成された王国も、モシ王国をはじめとして、西アフリカ内陸に多く見いだされる」

 「土地の新参者による支配は、なによりも武力の優越によって可能になるのであり、実力が第一で、年齢も原則として問題ではない。最高首長(王)から、地方首長、末端の村の首長まで、何層かの位階をなしている。王国と呼びうるような集権的な政治組織では、下位の首長は、最高首長(王)が、任命する。だが、最高首長はである王は、複数の王位継承権保有者の間での、分裂の可能性も孕んだ争いのあと、自立した機関であるキングメーカーたちによって選定される。そして、古参原理である土地の王が、この選定を認証する儀式を行い、新王が、優越原理を正統的に受け継いだことを確定するのである。」

3 王権を構成する二原理 

「王権はモシ語では、二種のことばで表される。ひとつは「ナーム 」、他は「パンガ」。 新しく即位した王はナーム・ティーボ(王権の象徴物)を先王から受け継ぎ、土地の主による認証を含む一定の儀礼上の手続きを済ませることによって、ナームを食べる、つまり身につける。「ナーム 」はその王朝の合法的な王であること、正統性を表しているのである」

「ナーム」と言うことばに結びあわされているのは、調和であり、秩序感覚だ、、王権に「権威」と「権力」という二つの面を考えるとすれば、ナームは権威に対応する性格を多く持っているといえるかもしれない。

これに対し「パンガ」は実質的に王が具えている力、より具体的には、武力であり、暴力だ。モシの諺に

「パンガ」が道を行けば道理は草むらに身をひそめる。というのがあるが、これとほぼ同じ対照表現の「嘘が道を行けば、真(まこと)は草むらに身をひそめる」 ということばもあり、これによってみても、バンガが邪(よこしま)な、権力を意味していることが窺える。 王は誰よりも強大な、バンガの体現者として畏怖されているのである。 」 

なかなか、示唆的な含蓄に富んだ王権の二重性の「権威」と「権力」の確認であると思う。世界の多くの王権はそもそも、この「聖性・正統性・調和性」 と 「根源的暴力」の表裏一体性が絡みあって歴史的に存在しているものではないかと思われるのだ。日本の古代王権の省察も、そのどちらかに偏らない分析と歴史的意味が要求されるに違いない。

この3巻に含まれる論考では、巻頭に故網野善彦の序説、日本史における水田一元史観の批判があった。今谷明の「王権と都市」も論争に一枚噛みそうな論説を提示、国家成立の要件・条件に、大規模な宮殿・王都・都市(都)の成立を挙げる人も多いが、それらを欠く事例を挙げ、王権と都市の存在形態は、必ずしも一様ではないことを論じている。中澤克昭 「狩猟と王権」 は古代王権と狩猟の主なる文献を渉猟して、参考文献も豊富、この件に関する重要な資料を提供している。 新城理恵 「絹と皇后」は中国の国家儀礼を皇后のジェンダーからみた王権を論じる、このような切り口は斬新で、王権の多様な存在形態・多様な権威の理解にも一石を投じるのではないか。

 

 

 

 

 



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