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▲浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社
浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー1
浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー1
▲ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 ほか
華族第1号
明治2年6月17日 公卿142家+諸侯285家、合計427家が華族第1号
この華族第1号を構成しているものは江戸時代の公卿、諸侯と同じものではない。
江戸時代公卿は京都朝廷に仕える上級、中級の延臣たちのこと
公は大臣
卿 は参議あるいは三位以上の延臣
これが時代が下るにつれ意味が広がる。
諸侯 とは江戸幕府に直接臣従した表高万石以上の武家 大名
慶応3(1867)年10月15日の大政奉還に時点での公卿、諸侯の数は137家、諸侯270家、差し引き公卿は5家、諸侯は15家増加。大政奉還以後消滅した家が1家(上総請西藩主林家)で増加諸侯16家。
華族第1号をもう少し細かく分類すると4種
公卿華族
諸侯華族
新公卿華族
新諸侯華族
五家公卿 松崎万長、北小路俊昌、岩倉具経、玉末真弘、若王子遠文
王政復古、戊辰戦争の論功行賞で公卿となったのが岩倉具経、玉末真弘(操 通称) 錦の御旗の図案は玉末真弘が考えたと言われる。
お手盛りの華族作り。本家岩倉具視の露骨なコネ人事。
本家侯爵、五家の華族を出す。公卿社会では下級だった岩倉家は王政復古のおかげで一気に日の当たる場所におどりでた。
僧侶が還俗してできた公卿 若王子家、興福寺関係の華族
貧乏華族
松崎家、北小路家は、爵位(男爵)返上する。体面が保てない理由。
芸道の家業収入が明治に廃止。
家業 特定の公卿の家に認められた芸道 独占的に教え、収入があった。
飛鳥井家 蹴鞠
西園寺家 琵琶
久我家 按摩の元締め
吉田家 神職
岩倉具視が三条実美にあてた書簡には、負債をもった在京都華族負債15万円、東京在住華族200万円。貨幣価値を現在の1万倍とすると、200億円の負債。明治10年までに負債を生じた公卿華族は43人
庶民からは「箸より重たいもは持ったことのない」などと非難された華族たちもいた。
この本のサブタイトル「名誉と体面の明治」であることが早くも見えてきた。
つづく
「華族1000家全一覧」が『別冊歴史読本』 2007年 新人物往来社 にある。この本、浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 と会わせ読むと、華族百科になる。原敬のように華族を断固として拒んだ人物もいる。華族制度が、近代の負の遺産であることも分かる。 ▼
▲『華族歴史大事典』 2007「年6月 新人物往来社 448頁 定価1900円+税
華族制度の資料や、華族制度についての当時の民間の華族論などは 以下の本に収録されている。
▲遠山茂樹編 『天皇と華族 日本思想体系 』 1988年 岩波書店 定価4700円