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浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー6

2017年06月20日 | 日本近現代史

                     ▲浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー6

 

浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー6

 

▲ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 

 

今回は2章の末 新華族 Fグループ と まとめ


新華族 Fグループ

華族令公布(明治17年7月7日)とともに華族になった士族は29家。

華族令公布前に華族になったのは以下の三家。三家の昇格理由はいずれも維新における功績。

大久保家は 大久保利通 → 大久保利和

木戸家は 木戸孝允→ 木戸正二郎

広沢家は 広沢真臣金次郎 → 広沢金次郎 が跡継ぎによって華族になった。

この三家が、華族昇格になった直接のきっかけは、大久保利通が暗殺されたことにある。

生前の大久保利通は正三位内務卿、明治政府の柱石。しかし身分は士族。

国家に多大な勲功あるものには士族であっても高い爵をを授ける旨の規定により華族になった。

木戸孝允は明治10年5月26日に死去しているが、大久保家の華族昇格にともない、薩摩への対抗意識もあった長州木戸の華族昇格も決まった。広沢家も長州閥。広沢金次郎は幼少で、家督を継ぐのが遅れた。

 

まとめ

明治2年6月から明治17年7月までの間に華族となった七十六家についてその成立には歴史的背景があったこと。

華族の創出は、旧社会の特権階級を、新時代(明治時代)に創設し、その特権階級の秩序のなかに組み込む作業であった。

従来の公卿、諸侯が華族とされた明治2年6月17日は、薩長土肥以下の諸藩の版籍奉還が認められた日。

従来特権の喪失と新特権の創出があった。

大久保・木戸・広沢の三家の華族への昇格という先例が出来。その後、政・官・軍・財界の中枢にいる士族や平民たちが次々に華族になっていく。「新華族」の誕生。

(浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 (70~74頁))

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明治華族の創出は江戸時代までの権力(幕府)と権威・伝統(天皇・公家)の機能分担が、近代天皇制の創出により、補弼分担の制度を整えながら、やがて、政治・官僚・軍事・財界の主要な人脈を束ねる力となっていく。

 

 



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