▲『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』 1巻表紙カバー 2013 早川書房 2000円+税
(黒色の文はブログ主のコメント、ないしは本の乱暴な要約、茶色の文は著者たちの文 です。また緑色の部分は章立て、小項目タイトルなどです)
オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1ー2-3 付箋メモ
数日で『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』 2巻・3巻の付箋貼りを完了する予定でいたのだが。以外と手こずり、付箋貼りは10月12日早朝までかかってしまう。引用参考文献で、日本語訳のあるものを、手持ちの本で探しておこうなんて気持ちを起こしたのがいけなかった。あれやこれやと探しているうちに、本の寄り道が始まってしまっていた。
ということで、1週間のブランクを取り戻すべく気になる付箋部分の紹介を再開。
膨張の始まり ー 「自明の運命 マニュフェスト・デスティニー」
「19世紀のジャーナリスト、ジョン・L・オサリヴァンは北米全体に領土を広げることを「自明の運命 マニュフェスト・デスティニー」と呼んだが、それfが果たされるアメリカは海外へと目を向けた。リンカーンとジョンソン両大統領の国務長官を務めたウイリアム・ヘンリー・スワードは、アラスカ、ハワイ、カナダ、カリブ諸島とコロンビアの一部、それにミッドウェー島も領土に組み入れる壮大な構想を打ち出している。」 (25p)
「スワードが夢に描いている間にもヨーロッパ諸国は実行に移し、19世紀後半には手の届くものすべてを奪いとった。先陣を切ったイギリスで、19世紀最後の30年間で、19000平方キロメートルあまりの領土を取得し、その面積はアメリカの国土を大幅に上回った。フランス・・・・ドイツ・・・・・
1878年の時点でヨーロッパの列強とその植民地が地表の57%を支配するまでになり、1914年にはそれが84%という驚くべき数字に達している。」 (25-27p)
19世紀末~20世紀初頭においては世界は大国のやりたい放題だった時代です。こんな状況ですから、アメリカも大国に遅れず、「すぐに行動を起こして遅れを取り戻すべきだと訴えた」米国国会議員もいたのは何の不思議もないのかもしれません。しかし1880年代から1890年代は、アメリカでは富裕層と庶民の二極分化が進んでいた時代で、米国に農民同盟、人民党などが活動していた時代でもあった。人民党は1894年の国政選挙で得票数を2倍に伸ばし、下院議員7名、上院議員6名を当選させている。
そんな間にあってもアメリカの構想(野望?!)は着々と進められていく。
1890年代のアメリカの国内不況・経済危機を解決するのは、労働者に国内の富を再配分するのではなく、海外市場開拓だ!とばかりに、海軍創設とその補給基地確保、国益にかなう国家にするための露骨な干渉や戦争に乗り出していく。
1889年 太平洋に浮かぶ島の港町パゴパゴ併合
1890ー1896年 アメリカ海軍刷新
1893年 ハワイ王国女王を退位に追い込みハワイ共和国樹立。
1898年 アメリカ ハワイを併合。時の大統領ウィリアム・マッキンレー、これらの膨張を「自明の運命 マニュフェスト・デスティニー」と呼ぶ。
アメリカの先住民を追い散らし、太平洋西岸にたどり着いたアメリカは、休む間もなく、帝国主義への道を全開していく。
ここからがアメリカの帝国主義の本番なのか、そもそもアメリカ大陸への入植・開拓が、帝国主義的ではないのかという問題はさておき、(ブログ主はそもそもの最初から、アメリカ大陸入植・建国は帝国主義(的)であったと考えていますが、これは異論もあるので、いつか、いつか論じてみたいのですが)
1898年のアメリカ・スペイン・キューバ・フィリピン戦争は、「自由・民主主義を広める活動」からの大きな逸脱であることは誰の目にも明らかな史実であると思う。
まずカズニックとストーンらの簡潔な整理を読もう。
「1898年4月25日、スペインの圧政からキューバを救うという名目でアメリカはスペインに宣戦布告。アメリカから何千キロも離れたマニラ湾で戦いの火蓋が切られる。ジョン・デューィ提督はスペイン艦隊を撃破した。」(33p)
「戦争の余韻が収まったとき、アメリカは世界を股にかける帝国としての礎をすでに着々と固めていた。ハワイの併合を終え、プエルトリコ、グアム、フィリピンもスペインから獲得している。」 (35p)
フィリピンの「征服」
「フィリピン人はエミリオ・アギナルドの指揮のもと、長年スペインの支配に抵抗してきた。そのため、アメリカが自分たちの独立を助けてくれるものと信じて疑わなかった。フィリピン人は憲法草案を作成」(35p)
1899年 1月23日 アギナルドを大統領としてフィリピン共和国樹立
1899年 2月4日 アメリカ軍マニラでフィリピン攻撃開始
アメリカの新聞は、開戦理由をアメリカ側が挑発を一切していないのに、フィリピン人が、非武装のアメリカ兵を攻撃し、兵士22名を殺害した上に、125名から200名を負傷させたためと、報じた。という。これはまさしく、プロパガンダ・イエロー新聞そのものですな。
「当時、フィリピン譲渡の見返りに、アメリカがスペインに2000万ドルを支払うという条約がすでに調印されていたが、それを批准するかどうかで、アメリカ議会は紛糾」 (36p)
結局は、議会に必要な賛成の議席を1票上回って、フィリピン植民地をスペインから獲得。
あれ、アメリカはスペイン植民地を解放するという名目で、スペイン艦隊に対し、参戦、勝利したのですよね。キューバやフィリピンを解放するはずだったのじゃなかった?
この頃にはアメリカ大陸西海岸まででは足りないと、イギリス・フランスの植民地獲得を横目でみながら、アメリカ議会の面々は植民地獲得のため多数派攻勢かけて、ついに議会の3分の2を占めて、「フィリピン獲得」条約批准に成功。スペインから領土獲得。
もちろん、強欲な人々だけでないのはどこの国も同じ、アメリカにもこんな議員がいた。
「マサチューセッツ州選出のホーア上院議員は、このままでは、アメリカが「下劣で凡庸な帝国」になり下がり、「被統治民と属国を物理的な力に物言わせて支配するようになる」と警告した。「こうして国家ではひとつの階級が、永遠に支配階級となり、他の階級は、永遠に服従しなければならない。」
「(アメリカは)フィリピン人が自らの手で築いた共和国を打ち砕いた。フィリピンの独立を奪い、フィリピン人が参画しない政府を、フィリピン人の意思に反して、アメリカ人が力ずくで樹立した」。」 (36p)
もう一人の上院議員リチャード・ペティグルーの言葉はこうだ。
「フィリピン独立に対するアメリカの裏切りを「今世紀最大の国際犯罪」と非難」 (37p)
この発言紹介記事は『ニューヨーク・タイムズ』 1899年2月6日付であるから、実に、アメリカの裏切り民主主義の二重基準は100年を超える歴史があるわけだなぁ。
最後に序章の本文から。
少し長いので、下にピックアップ。1901年11月のフィリピンのマニラに派遣されたアメリカ新聞記者のレポートである。
▲ 『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』 1巻41p
フィリピン自身が憲法草案を作り、独立宣言をしたのに、フィリピンは、その後どうなったのか、アメリカは何をしたか?
また、フィリピンでのアメリカ軍とフィリピン民衆の独立戦争を自分の目で確かめたインディアナ州選出のベヴァリッジ上院議員が1900年1月初めアメリカ上院議場での演説を下に掲げる。
▲ 『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』 1巻38p
序論だというのに世紀に切り替わりの戦争「アメリカ・スペイン・キューバ・フィリピン戦争」の内実を単刀直入できりこんでいる。
1900年という年の初め、この上院議員のことば、それも、経験豊富とされる上院議員がアメリカ国会議事堂で放ったことばは、その後のアメリカの狂信的帝国主義を彩る正真正銘の言辞であり、宗教的色彩に満ちたプロパガンダである。
実に「暗澹たる20世紀」に向けての出発であったと思う。
アメリカの特別の地位と使命観には思わず悪寒が走る。いつもの大統領就任式で、聖書に手をあてて宣誓するのは、まさかこんな悪魔のような誓いが込められているのじゃあるまいね。
先行する英国・仏・露などの帝国主義に対して、アメリカはこれらの国々を批判するだけの、世界中の帝国主義・植民地支配にあえぐ人々から支持を得られるような民主主義の論理を、その後20世紀の百年で提示していたのだろうか。?あるいは21世紀の10数年で、アメリカは世界に対して何をしてきたのだろうか?カズニック・ストーンと共に、しかと確認しなければなるまい。
序論はこの後、キューバ介入、ラテンアメリカへの止まらない軍事介入の流れを追っている。
とはいえ、いつまでも19世紀の世界を記す序論の中で怒り狂っていても仕方がないので、次回から本章の1章に入りたいので、このあたりで・・・・
おまけ
▲ 日本でのアメリカ帝国主義成立史を扱った本で比較的新しいのはこの本か
高橋章 『アメリカ帝国主義成立史の研究』 1999年 名古屋大学出版会 5800円+税
次回は第1章 第一次世界大戦 ー ウィルソン vs レーニン
続く
「