![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/94/21b5951f05f245a9c6e3015fcf90b05a.jpg)
私的読書年表小史 60年代後半~70年代 雑誌篇 その2の4
1975年4月 通巻198号 定価当時200円
この号では巻頭に草野心平の詩 「海上富士」 鷲巣繁男の「記憶と少年」、吉原幸子「ゆめ (三)」など
表紙の目次も入れて20頁の薄い冊子で、本棚に紛れると容易に探し出せなくなる。久しぶりに見つかったこの雑誌、40年前に買ったからには、そして捨てずに手元に残ったからには、私は何か強い衝動にかられて手にいれたものに違いない。それで、それが何だったのか思い出そうと巻頭の草野心平の詩から再読してみた。
以下引用
「 海上富士
草野心平
紺碧の海の。
水平に。
深く沈み。
ギギーンと高く。
山桜色の雪肌の。
朝の。燦燦を浴びての。
その。
全体。 」
かえると、富士山についての連作のある詩人だけあって、この詩だけでも、珈琲一杯を文字に代えた意味はあったのだが、この20頁の小冊子はそれだけではなかった。
この雑誌の14頁~15頁に詩人高橋新吉が、友人だった詩人尼崎安四、筆名は尾崎安四?からのはがきを紹介していた。
ここで高橋新吉は贈った『高橋新吉詩集』 1952年 創元選書 のお礼のはがきのことについて書いているのだが、尼崎安四が、優れた詩人であったことを皆に伝えたくて、彼の1篇の詩をそこで紹介しているのである。
雑誌をここまで、読んできて、ようやく私は、『歴程』を買い求めたのは、この高橋新吉の友人のことだったのだと、思い出しているのだ。
「 古彫微笑
尾崎安四
仏陀は何も持っていない
囲んでいるものは 暗い 不安な 静寂である
黄金の燭台もなく 絹の幔幕もない
恐らく 仏陀は何も必要としないのだ
一切を持つゆえに 空虚なのかも知れぬ
暗い静寂のなかに埃をかぶって
白い夜明が近づくのさへ期待していないやうだ
巷のどよめきが聞え
私たちの新しい生の苦悩が始まっても
仏陀ひとりは暗い静寂の中に残っている
長い孤独の中で 不可思議な微笑を失わずにいる 」
(※注 ゐ は い に転換しています ブログ主)
『歴程』 で書いていた高橋新吉について ダダ・シュルレアリスムの詩人など調べるうち、彼の交友関係が眼にとまり、この号を神田界隈か、新宿紀伊国屋書店あたりで買ったのだろう。高橋新吉によって、ほとんど無名なままに亡くなった詩人尼崎安四のことを知ったのだ。
1970年代末には、尼崎安四の詩集が編まれているようだ、一度は仏教の門をたたき、僧になろうとしたが疑問を感じたのか、詳細はよくわからないのだが、僧にはならなかったらしい。
尼崎安四もまた坂口安吾とはまた別なかたちで、仏教をみつめていたようだ。
『美学』 84号 1971年 美学会編 美術出版社 当時定価250円
これは、深田進の「メルロオ=ポンティ 『講義録』の書評が掲載されていたので求めたのだろう。
この「美学会」の事務局は東京大学文学部美学研究室にあるので、この1971年3月31日発行の編集後記には、大学紛争について短い文が記されていた。
「大学紛争後平静に戻った当研究室で、ふたたび仕事をはじめたのが昨年(1970年)3月、丁度1年となる。その間支障もなく、ここに無事第21巻を閉じることを喜びたい。」
これを読むと比較的紛争の傷跡はなかったように事務局では認識していたようである。
巻末に1969年の美学関係文献目録というものが例年通り、15頁にわたり掲載されている。
その多くは会員制の学会誌や、大学紀要に掲載されたもので、一般人の目には触れないし、私もそれらの学会誌を探索するほど専門分野の関心が高まらなかったわけで、美学研究者は、こんなところにも細心の留意を払っているのだなと妙に感心したのだ。ただ美学関係文献といっても範囲は広いので、哲学系美学でなければ、美学の守備範囲ではないというわけではない。
そう思って、1969年の美学関係文献目録の中を眺めてみることにした。あとで単行本や著作集などに収録されたものもあり、1969年の日付をもつ本や論文で私が買い求め読んだものもいくつかあるようだ。
磯田光一 『正統なき異端』 仮面社
磯田光一 『文学・この仮面的なもの』 頸草書房
竹内芳郎 『文化と革命』 森田書店
西脇順三郎 『詩学』 筑摩書房
長谷川宏 「言語の現象学」 『理想』437号
丸山 静 「言語と文学」 『文学』 37-9
北沢方邦 「音楽における不変なもの・・・・・構造主義的スケッチ・・・・」 『思想』542号
坂崎乙郎 『幻想芸術の世界』 講談社
三上次男 『陶磁の道』 岩波書店
矢内原伊作 『ジャコメッティとともに』 筑摩書房
佐藤忠男 『黒沢明の世界』
山口昌男 「道化の民俗学」 『文学』 37-1~8
美学という美学会の視線でみると、1969年は15頁もある文献の山になっているのだが、多くは大学紛争のまっただ中で、論文どころではなかったのかも知れないし、従来の学問の視覚からみた文献案内にとどまり、「1969年の美学」を全くとらえ損ねているのかも知れない。これは、1969年の雑誌や、書籍をできるだけ集積した上で検討してみたい。もっとも、果たして「1969年美学」はあったのか?という問いも問題外の愚問であった可能性はあるのだが。
ただ、山口昌男編集の 『未開と文明』 1969年2月 平凡社 が1969年の美学文献から抜け落ちているのはどうしてなのだろう。「道化の民俗学」の連載が、文献一覧に載っているのだから、山口昌男の『未開と文明』 の長大な解説論文を文献一覧に掲載しないのは、単純に文化人類学の仕事に分類してしまっているからなのだろうか。研究室が1970年3月まで再開されなかっただけとは言えない、従来の学問の守備範囲という学問の蛸壺化の閉塞情況が、「美学」という分野で起きていなかったとは言えないのではないだろうか。それとも、外国文献の翻訳紹介の項目に入れて、そこには、『未開と文明』があったのだろうか。
▲ 左は『比較文学研究』 26号 1974年 東大比較文学会 朝日出版社 当時定価1200円
右は『文学』 49巻9号 「特集 ロシア革命と現代文学」 1979年 岩波書店 当時定価960円
比較文学研究の方は、小宮彰の「安藤昌益とジャン・ジャック・ルソー・・・・・文明論としての比較研究・・・・・・」が目にとまり、入手したものだ。それ以来、比較文学とはご無沙汰状態。
比較文学については疎いので、最近まで、『比較文学研究』と『比較文学』の区別も、別学会であることも知らぬまま、何十年も暮らしてきたようだなぁ。いよいよ私の耄碌度もくるところまできたかというところだが。
どちらの学会も健在で、ホームページに創刊以来のバックナンバー目録を完備している。探せば古い時期のものを除いて、入手できるかも知れない。
もっとも、日本文学・西欧文学・文化・思想史についても現在の超アカデミズムに絡むだけの知恵も情熱も持ち合わせていないし、比較文学というよりは、比較史・思想(史)の方により魅力を感じているので、『戦後史再発見双書』の刊行予定項目にあった、豊下楢彦さんの「比較占領史」や、アメリカ史研究の中野聡さんが研究しているような宗主国と植民地文化の絡み合いの諸関係・・・・例えば『フィリピン独立問題史 ・・・独立法問題をめぐる米比関係史の研究』や、『歴史的経験としてのアメリカ帝国』などの分野に関心が向かうことになりそうだ。
もちろん 西成彦 『森のゲリラ』 1997年 岩波書店や今福竜太 『クレオール主義』 1991年青土社 増補版 筑摩学芸文庫 2003年 などの比較文学の本領発揮の成果には大いに納得。
ロシアとロシアの歴史の悪魔化が最近メディア界でも顕著なので、1979年『文学』誌で取り上げたような「特集 ロシア革命と現代文学」 なんていうのは、これから特集をくむことはなくなるかも知れない。岩波書店の『文学』は、月刊から、変更、また大判になったが今も健在で、うれしい限り。
下の月刊 『国文学 解釈と教材』 学燈社 、『国文学 解釈と鑑賞』 至文堂 どちらも、21世紀出版文化の厄災に見舞われ廃刊。80年代から2000年あたりにかけては、『国文学 解釈と教材』 学燈社の方は、私は定期購読していたのだが。
この2誌は文学好きの一般読者向けのものであるが、日本語を常用する市民に対して長期にわたり日本文学についての啓蒙的な仕事をしたのではないだろうか。大学のレポート作成でお世話になった人も多いだろう。この2誌の廃刊で、文化について、文学についてさらに世代間の意思疎通に変化がもたらされるのではないか危惧される。
『国文学 解釈と鑑賞』 『国文学 解釈と教材の研究』
▲ 『国文学 解釈と教材の研究』 1973年3月号目次 定価480円
▲ 『国文学 解釈と鑑賞』 特集 吉本隆明と江藤淳 1973年 10月 至文堂 定価480円
つづく