『古代史の論点』 全6巻 1998年~2000年 小学館 ▲ 『列島の古代史』 全8巻 2005年~2006年 岩波書店 その1は小学館の 『古代史の論点』 の目次構成 その1は 『古代史の論点』 . . . 本文を読む
『国家形成過程の諸変革』での和田晴吾の基調講演は、都出比呂志への業績への賞賛といってもよかった。もともとこのシンポジウムは、都出のために用意されていたようだ。もうひとつの2番目のシンポジウムの「吉備の埴輪」の具体相に興味をそそられた。 . . . 本文を読む
考古学研究会主催の2回にわたるシンポジウムの記録集 『国家形成過程の諸変革』 2000年 考古学研究会「国家形成過程の諸変革」 1999年10月3日 考古学研究会 関西例会100回記念記念シンポジウム 「吉備の埴輪 ー倭の五王と吉備の大首長の時代」 1999年11月13日 岡山例会 第4回シンポジウム . . . 本文を読む
今年に入って、高田貫太の「垂飾付耳飾をめぐる地域間交渉 ー九州地域を中心に」 という論文の抜刷を入手した。熊本古墳研究会の創刊号に掲載していたものだ。今週は次の古書到着の前に、これから参考文献入手のために、いくつかメモをしておこう。九州の遺跡は、甲冑その他、渡来文物も多いので、『九州島における中期古墳の再検討』 2007年 九州前方後円墳研究会 を探しあて、これを見ている。第10回研究大会は、宮崎で開かれ、和田晴吾が基調講演を、「古墳時代中期」と題して話をしたようだ。 . . . 本文を読む
『弥生から古墳へ 日本の古代はこうして始まった』 1996年 同朋舎出版 弥生時代から古墳時代の移り変わりはどのように考えたらよいのか、日本の古代はいつから始まるのか。1994年2月13日に行われた弥生文化博物館三周年・近つ飛鳥博物館完成記念シンポジウムに基づく記録集。コーディネーター金関恕の司会のもと、佐原真・田中琢・大庭脩・佐々木高明らが、基調講演のあと、白熱した討論が続く。弥生と古墳時代を分けるものはなにか、あるいはこの区分法がよいのか、佐々木高明の銀河系政体論など、長時間の討論も刺激的 . . . 本文を読む
前之園 亮一 「倭の五王の通宋の開始と終焉について」 2001 『古代国家の政治と外交』 2001年 吉川弘文館 に収録。なぜ倭の五王の通宋が413年の遣使に始まり、478年に終わるのか、先行する研究整理に加え、前之園 が、辛酉革命説・戊午革運説からみた説を検討しながら、派遣の開始と、その終焉の意味をさぐる。 . . . 本文を読む
東日本での初期須恵器については、1980年代に三県シンポで資料集成がされた。その後陶邑では、大庭寺窯跡の調査があり、それまでの須恵器の編年観におおきな変更を迫るものになってきている。九州古文化研究会研究会ではそれ以前から、初期須恵器に関わる論考の特集をして、須恵器の導入には多様な動きがあった可能性を指摘していた。そのようなことから、小田富士雄の「須恵器文化の形成と日韓交渉・総説編」が掲載されたこの号を買っていたのだったが。 . . . 本文を読む
三国志 魏書東夷伝中に倭人名は多く記されていながら、卑弥呼の墓の記述があるほかは、魏から官爵を与えられた倭人が、卑弥呼の墓とともに、(初期)古墳に埋葬されているという発想はなかなか、直接的に結びついてきたわけではなかった。その点、東潮は『邪馬台国の考古学』で大胆かつ魅力的な世界を描きだしたように思える。 考古学の成果を語るのに安易に文献に寄りかかってはいけないということ。また一方文献的な探求は、自説に有利な部分の補強のためだけに考古学の成果を使用してはならないということを理解した上で、歴史叙述する可能性を探るのは、意味のないことではあり得ない。 その点、東潮は中国・朝鮮考古学・古代文献史にも、日本考古学にも通じている。 「難升米は黒塚古墳の被葬者であった」のではないかと、この著で披露している。これが考古学的・文献史的な共通理解として研究者間に納得得られれれば3世紀後半の一定点として、古墳時代の開始問題や、初期国家像のフォーカスが合ってくるはずである。 まずは、魏から難升米が受け取った黄幢は、どのように考えればよいのだろうか。 . . . 本文を読む
東潮 の『邪馬台国の考古学』角川選書503角川学芸出版 (2012年)が出版された。 国立歴史民俗博物館刊行の研究報告第151集(2009年発行)共同研究『三国志』魏書東夷伝の国際環境 が版元売り切れのため今年(2012)に入ってようやく古書店から入手した。巻頭論文である東潮の「三国志東夷伝の文化環境」を読んでいたところ、報告書の43頁に倭国王と邪馬台国系列という表が掲載されている。 この表には、倭国王系列の王墓として、卑弥呼(箸墓)ー壹與(西殿塚)ー行燈山ー渋谷向山 古墳系列と、邪馬台王系列 の墳墓として、勝山ーホケノ山ー石塚ー天神山ー桜井茶臼山ーメスリ山 を掲げている。そして、天神山古墳の同列(同時代という意味か)には黒塚が掲載されている。そしてその脇には 難升米 の文字がゴチックで添え書きしてあるではないか! その論拠は何か?「国立民俗博物館」2009年の報告書では三国志がメインテーマであり、黒塚のことは東潮のこの論文に詳しく説明されていない。 果たして「黒塚」は難升米の墓なのか。『邪馬台国の考古学』ではそれをあきらかにしているだろうか。 . . . 本文を読む
5月22日のブログで、太田博之「埼玉中の山古墳出土の有孔平底壺系円筒形土器」『考古学雑誌』90-2 2006年 のことをメモしていたのだが、朴天秀の論考や、彼の著『加耶と倭』を再読しようと、あれこれ探していたところ、偶然「韓半島南部に倭人が造った前方後円墳」の論考をネット上で見つけた。九州国際大学 国際関係学論集 第5 巻 第1・2 合併号(2010)に掲載されたものだ。倭人が造った前方後円墳をより具体的な事象と関連させて論じていて、とても興味をそそられたのだ。 . . . 本文を読む
太田博之「埼玉中の山古墳出土の有孔平底壺系円筒形土器」『考古学雑誌』90-2 2006年 を面白く読んだ。稲荷山古墳から出土した鉄剣は古代史上の大きな発見で、倭の五王についての新しい知見をもたらした。中の山古墳は稲荷山古墳に比べると大きさも小さく、考古学の世界では、「韓国の前方後円墳」ほどは話題になっていないようだ。 しかし、記紀における「武蔵」は韓半島と往来する人物なども記述され、地域史を考える上で「記紀」は一考の価値があるようだ。 . . . 本文を読む
調査の進展につれ各地で帆立貝形の古墳の内容が明らかになってきている。『季刊考古学』上で連載していた頃拾い読みしていた沼澤豊「帆立貝式古墳築造企画論」もまとめられ、『前方後円墳と帆立貝古墳』雄山閣 2006年秋に出版された。先に遊佐和敏『帆立貝式古墳』 同成社 1988年 もある。 相変わらず王墓の比定の困難さの中で、この帆立貝形古墳の盛衰を列島各地から探ることができれば、ヤマト(共立)政権の変容があぶりだされるのではないか。 . . . 本文を読む
円筒埴輪の編年はめざましいものがある。川西宏幸「円筒埴輪総論」1978 による編年以降、近年では古市・百舌鳥古墳群の研究が進んだ。古墳時代中期の埴輪の細分によって、謎とされる倭の五王についての文献からの探求とあわせ、より具体的な古墳比定の再考に重要なてがかりが得られるのではないか。畿内の埴輪編年に期待したい。 . . . 本文を読む