こないだ、耶馬渓町(中津市に合併)の「青の洞門」に行ったのである。無料の駐車場があるので、有難く利用させていただきました。特に行楽シーズンでもなく、平日なので空いています。今は労することなく車で目的地まで行けますが、昔は写真の右上に写っているような険しい山道を通っていたので、滑落による死亡事故も多発していたそうです。
現在でも山の上に行く道があり、昔より整備されているとはいえ歩く場合は自己責任です。以前、福岡のローカル番組「ドォーモGT」では、「徒で参ろう」(かちでまいろう)というシリーズがあり、今やTV・ラジオで大人気の「なかじー」達が、この危険な山道を歩くという、とんでもなくクレージーな放送をした時がありました。それを見たとき、機会があれば行ってみたいなとは思いましたが、今回は雨も降っていることだし、パスすることにします。(行かんほうがいいぞ)
安全な観光コースを歩きましょう。
青の洞門というのは自然に出来たわけではなく、手彫りで掘った人工的な洞窟です。説明書きによると「江戸時代に始まった灌漑用水の建設によって山国川の水がせき止められ、この辺一帯は水位があがりました。そのため通行人は競秀峰の岩壁に作られた鉄の鎖を命綱にして、大変危険な道を通っていました。旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人や馬が命を落とすのを見て心を痛め、京保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めました。寛永3年(1750年)には第一次落成式が行われ、開通後は人は4文(約70円)、牛馬は8文(約140円)の通行料を徴収したという話が伝わっており、日本で初めての有料道路とも言われている」とのことです。
日本初の有料道路は、現在無料で通ることができます。洞門部分は狭いため、信号機が設置されていて交互通行となっています。車道と人道部分は分離されており、歩くと昔の掘った跡を見ることができます。
一部はコンクリート壁になっていますが、手彫りの跡が分かります。
ここが、初めて岸壁に開けた明り取り用の窓です。
あ、まだ掘ってましたか。和尚様、ご苦労様です。
現在でも山の上に行く道があり、昔より整備されているとはいえ歩く場合は自己責任です。以前、福岡のローカル番組「ドォーモGT」では、「徒で参ろう」(かちでまいろう)というシリーズがあり、今やTV・ラジオで大人気の「なかじー」達が、この危険な山道を歩くという、とんでもなくクレージーな放送をした時がありました。それを見たとき、機会があれば行ってみたいなとは思いましたが、今回は雨も降っていることだし、パスすることにします。(行かんほうがいいぞ)
安全な観光コースを歩きましょう。
青の洞門というのは自然に出来たわけではなく、手彫りで掘った人工的な洞窟です。説明書きによると「江戸時代に始まった灌漑用水の建設によって山国川の水がせき止められ、この辺一帯は水位があがりました。そのため通行人は競秀峰の岩壁に作られた鉄の鎖を命綱にして、大変危険な道を通っていました。旅の途中に耶馬渓に立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人や馬が命を落とすのを見て心を痛め、京保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めました。寛永3年(1750年)には第一次落成式が行われ、開通後は人は4文(約70円)、牛馬は8文(約140円)の通行料を徴収したという話が伝わっており、日本で初めての有料道路とも言われている」とのことです。
日本初の有料道路は、現在無料で通ることができます。洞門部分は狭いため、信号機が設置されていて交互通行となっています。車道と人道部分は分離されており、歩くと昔の掘った跡を見ることができます。
一部はコンクリート壁になっていますが、手彫りの跡が分かります。
ここが、初めて岸壁に開けた明り取り用の窓です。
あ、まだ掘ってましたか。和尚様、ご苦労様です。
30数年前のゴールデンウィークに行きました。
青の洞門の少し先に「ユースホステル山国屋旅館」というのがあり、そこに泊まりました。
途中でユースの経営は止めて旅館一本にしたそうですが、数年前に旅館も止めたとか継続とかはっきりしない話しも聞きますが、建物はのこっているようです。
築90年以上とかの古民家のような建物です。
その日はユースは全部で10人位で、男女が8畳程の和室で深夜まで大宴会をしました。でも旅館の人は来ませんでした。
フルフェイスメット被りながら飲んでいる人までいました。
翌日は数人で更に先の羅漢寺まで歩き、また元に戻って青の洞門を歩いてから中津行きのバスに乗りました。
禁断のユースでの宴会、悪いことでしたが当日めちゃくちゃ楽しくて今でも鮮明に覚えています。
残念ながら時代の流れで、当時のYHはほぼ無くなってしまったようですね。