これも古い話題ですが、我が家で眠っている受信機です、高校のクラブで使っていた思い出の受信機です。
これで夕方のラッシュアワーのような7MHzに出ていたのですから自然と耳フィルタが鍛えられるわけです。
免許が来て初めてCQを出した時に21MHzでWに呼ばれてアタフタしたのもこの無線機でした。
この50BLineも宮古市で勤務していた時代にローカル局のご厚意でいただいたもので非常に状態の良いものでした。
FR-50BはFR-50のマイナーチェンジ版でAGCなどずいぶん使いやすくなりましたが機械的には真空管のシールドケースが省略されたり、メカフィルが1段になったりしています。
内部はケミコンをリキャップした程度で快適になりました。
現代での実用性はありません、7MHzのラグチュウを聞くのには不自由はしませんが周波数は読めませんしQRHがあります。
送信機も7MHzで20W程度出ますがキャリア漏れがありフルパワーでは周波数の引っ張りも見られます、電源がいかれているのかと思いますが、もともとフルパワーは出さずに10Wで使う送信機なのかもしれません。
FR-50Bは初心者向けの第一局発可変の入門機でした。
『動いたっていいじゃないか,“VFO”だもの.』
みつを(違
Very Furatsuku Oscillator とか言ってましたね.
高価なクリスタル運用からVFO搭載へ
FD-AM3 は良く動いた
働いたの間違いではない Hi Hi
離れた周波数の交信は当たり前だったから
複数相手のラグチューは大変だった!
本当に良く動くVFOでしたね、バンドスイッチを触るとフラフラ、窓を開けて風を入れるとスーっと動く。
これは既に私達がもっと安定なVFOを知っていたからで、これしかなかったらこれでやっていたのでしょうね。
実際に当時はこれでQSOしていたわけで、ショートQSOなら気にならない、多少ずれたら合わせれば良い、おおらかな時代でした。
動くと言ってもAMのVFO-1よりはずうっと安定だったわけで(笑
FD-AM3はQSO中に100k位動きましたね、ラウンドQSOをしていると合わせるのがスタンバイのたびに受信機のダイアルを合わせるのが大変でした。
当時としてはTRIOの9R59Dくらいしか対抗馬が無かったんじゃないかな?
ちょっとしてJR310が出ましたが、子供がお年玉も含めて必死に我慢すればなんとか手が出せそうな受信機でした。
VFO-1はYALに在りましたねHi
出力のでかさが半端なくて、そのままアンテナに繋いで国内QSOができましたよHiHi
そりゃ59Dと比べたら一応、SSBを考慮したダブルスーパーですから、当時の私の目には50Bも高級受信機に見えましたよ(笑
でもJR-310にはかないませんね、当時の310のデザインには憧れましたね、美しいとも思いました。
VFO-1、出力が私の6m用送信機と同じくらい有ったような。
ダイヤルがなんとも・・・バーニヤダイヤルしか使えなかったので・・・なんとも高級機と言う感じでした。
最近、オークションを覗くと、昔々欲しかった無線機が出品されていたりして・・・・何とか買える値段で・・・
うーーーっと買いたいのを堪えるのが・・・・
でも・・・・・欲しかったなー・・・
まだSWLの頃、自作の5球スーパーで喜んでいたら友人がFR-50Lineを買ってもらいました、後光が射して見えました。
それから3年後に開局しましたが時代はFT-101やTS-511の時代になっていました。
でも50も50Bも現役でした、310を使っている人もいました。
私は自作の送受信機でした、開局の第一声は6mでした、よくあんな送信機で電波が出たなと感心します。
昔欲しかった無線機も持っていてもオブジェ状態、せめて599と900とM2だけは完動の状態で置いておきたいです。
とくに599はサイクル21を共にした戦友なので大事にしたいです。
この手直しした50Bの配線は高周波向きではないと言われました、見た目優先で配線してしまいました(笑
50MHzが聞けたのがその後の方向性に影響したかも.
ムデンの5エレの性能の悪さのおかげでアンテナ作りの楽しさを知りました.
そしてTR-1200..
めvと私の原点はそのあたりですねHi
JR-310はバランスの良いデザインでした、高級感が漂っていました。
50MHzで十和田-盛岡間の交信は昭和50年代に入ってからですが当時私もルソーの6eleと66Bの差に驚きました。
自作の送信機とTR-5000で頑張ったのが50MHzの原点です。