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日本の棚田

日本の棚田・長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください

中国地方の棚田巡り(島根県・松江市の「玉造の棚田」)

2019年10月20日 00時00分06秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・松江市・玉湯町・玉造です。

「玉造の棚田」です。

玉造温泉にほど近い棚田です。

温泉街を抜け、山を一つ越えると、突如視界が開け、大きな棚田が現れます。

稲穂が黄色になってきました。

稲穂が重たくなってきたので垂れてきました。

台風で倒れることがないように祈るばかりです。

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・雲南市の「夕焼け雲」

2019年10月18日 00時00分07秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・雲南市・三刀屋町・三刀屋です。

「夕焼け雲」です。

田んぼの稲も太陽をいっぱいに浴びて、鮮やかなグリーンのじゅうたんを

敷きつめたかのようです。

夕焼け雲と田園風景とのコントラストが、いよいよ夏本番の到来を知らせてくれます。

明日も天気になあ~れ!

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・雲南市の「菅谷たたら山内」)

2019年10月16日 00時00分09秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・雲南市・吉田町・吉田です。

「菅谷たたら山内(さんない)」です。

吉田町のあちこちで盛んにたたら製鉄が行われ、企業だたらとして隆盛を極めるようになりました。

大正10年にその火が消えました。

たたら製鉄の技術者達の日常生活がここで営まれました。

 

菅谷たたら山内に立つ豪壮な入母屋造の建物。

「菅谷高殿」です。

高殿とは砂鉄から製鉄する精錬場のこと。

菅谷高殿は江戸時代の宝暦元年(1751)に建てられ大正10年(1921)まで使われた。

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・雲南市の「田部家」)

2019年10月14日 00時00分08秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・雲南市・吉田町・吉田です。

「田部家」です。

江戸時代に松江藩の製鉄を支えた田部家は「たたら製鉄」操業した。

田辺家の隆盛をみる白壁、石州瓦の土蔵群です。

 

田部家の繁栄とともに、吉田のまち並みはたたら製鉄の「企業城下町」として栄えました。

今でも当時の面影を残す町の姿が見られる。

 

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・奥出雲町の「追谷の棚田」)

2019年10月12日 00時00分07秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・奥出雲町・竹崎です。

「追谷(おいだに)の棚田」です。国の重要文化的景観で日本農業遺産です。

この棚田は「たたら製鉄」の名残です。

もと山でした。山を切り崩して水の勢いを利用する「鉄穴流」という方法で、砂鉄を採取していた場所です。

砂鉄を採取した跡地を遊ばせておくのは、もったいないので棚田を造ったのです。

「鉄穴流」で使った水路を利用しました。

 

普通、田は農家の前や下にあるものなのに、丘陵の尾根上や家の後ろの山上に水田があります。

高い所にあるから「空田(そらだ)」と呼ぶ。

奥出雲町でで収穫される米を仁多米(にたまい)と云います。品コシヒカリです。

奥出雲町のふるさと納税の返礼品でもあります。

 

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・奥出雲町の「稲原・原口の棚田」)

2019年10月10日 00時00分09秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

「稲原・原口の棚田」です。

写真の右端にはお墓があります。

これも「鉄穴残丘」です。

鉄穴流しで削らずに残され、信仰の場として住民に大切にされています。

原口集落には九つの鉄穴残丘が残っています。

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・奥出雲町の「鉄穴残丘」)

2019年10月08日 00時00分11秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・奥出雲町・稲原・原口です。

「鉄穴残丘(かんなざんきゅう )」です。

山々を切り崩し、風化した花崗岩の山をくずし、その土を川に流して砂鉄を採取する「鉄穴流し」が行われるようになりました。

花崗岩が硬くてくずせなかったところはそのまま残したので、鉄穴残丘と呼ばれています。

鎮守の杜や墓地などがあったために鉄穴流しで削らずに残されたことによる特徴的な地形です。

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・奥出雲町の「福頼の棚田」)

2019年10月06日 00時00分08秒 | 島根県の棚田

月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です

 島根県・奥出雲町・大呂です。

「福頼の棚田」です。

「福頼の棚田」の中に浮かぶ奇妙な小島が見えます。古墳の丘の様です。

実はこの丘こそ、かつてこの場所が山であったことを示しているのです。

丘陵を削り続けてきたことで創りだした風景です。

 

「鉄穴(かんな)流し」が盛んに行われていた跡です。

鉄穴流しは、岩石や土に混じった砂鉄をや水路の流れの破砕力を利用して、

土砂と分離させ、比重差によって砂鉄のみを取り出す。

採り出された砂鉄は主にたたら製鉄の製鉄原料に用いられた。

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・奥出雲町の「大原新田」)

2019年10月04日 09時18分46秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・奥出雲町・大馬木です。

棚田の名前は「大原新田」です。棚田百選の一つです。

「大原新田」の展望台から見ました。10年程前来た時にはありませんでした。

江戸時代に鉄師「絲原(いとはら)家」が私財を投入し、鉄穴流し( 砂鉄採取地跡) によりできた土地を

棚田として造成し、現在の棚田になりました。圃場整備をしたのではありません。

 

「大原新田」を正面から見ました。

映画「砂の器」で、北陸から山陰へ、乞食同然の姿で放浪を続ける父子は亀嵩(かめだけ)にやって来る。
亀嵩に入る前に田んぼの中を歩いてくるシーンが撮影されたのが「大原新田」です。

 

 

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中国地方の棚田巡り(島根県・奥出雲町の「雲州そろばん伝統産業会館」)

2019年10月02日 00時00分09秒 | 島根県の棚田

8月上旬に中国地方(鳥取県、島根県、山口県)の棚田を巡った。

その報告です。

 

ここは島根県・奥出雲町・横田です。

「雲州そろばん伝統産業会館」です。

そろばんを製作する工程や工具、さらに世界のそろばんのコレクションなど内容豊富です。

松本清張の「砂の器」にも出てくる雲集そろばんの歴史を語ってくれる施設です。  

「砂の器」の映画では、主役の今西刑事が、被害者三木謙一の足跡を求めて、彼をよく知る村の長老、桐原老人を訪ねます。

桐原老人は、「出雲算盤」の製作の名人でもあった。

桐原老人から三木の在職中の出来事を詳細に聞き出し、事件解決の一歩となった。

 

夏休み中で親子が訪れていました。

そろばんの組み立て中です。

 

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