日本の棚田

日本の棚田・長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください

フイリッピンの棚田巡り(マニラ市内)

2022年07月31日 00時00分07秒 | フィリッピン

また、コロナが蔓延してきた。

年寄りは静かに暮らすしかない。どこへも行けない。

2015年4月に「フイリッピンの棚田巡り」を行った。その報告です。

ここはマニラ市内です。

フィリピンでは、「カレッサ」と呼ばれる馬車がまだ活躍しています。

首都圏マニラ等では、観光用になっていますが、地方都市では、 普通の交通手段として存­続しています。

 

フィリピンを代表する乗り物といえば、「ジプニー」。 小型乗合バスです。

フィリピンのどこへ行ってもジプニーを見かけます。庶民の生活とともにある移動ツール。

路線バスや電車などの公共交通機関が発達していないマニラ。

特に縦横無尽にどこでも走れるジプニーは、利便性という点でも、フィリピン人にとってありがたい存在です。

「トライシクル」です。フィリピン流バイクタクシーです。

近距離の移動に最適!バイクの横に人用の荷台があります。

走っているトライシクルは手を上げれば来てくれます。

 

 

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フイリッピンの棚田巡り(マニラ市内)

2022年07月29日 00時00分08秒 | フィリッピン

また、コロナが蔓延してきた。

年寄りは静かに暮らすしかない。どこへも行けない。

2015年4月に「フイリッピンの棚田巡り」を行った。その報告です。

ここはニノイ・アキノ国際空港です。

成田から約4時間30分。 日本との時差は1時間。未だ2時頃です。

日本語ガイドと運転手が道先案内人です。飛行場に迎えて頂きました。

イフガオ州・バナウェの棚田へ向かいます。

マニラから車でおよそ10時間もの距離がある。

今日は飛行場から約100Km先(約4時間)のカバナッアンまで専用車で行きます。

マニラ市内・バクララン教会です。

人口9000万人のうち約95%がカトリック信徒のフィリピンでは、

イースター(4月5日)前の一週間は聖週間で大型連休でもあり、

多くの人が故郷に戻り家族との時間を過ごします。

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「秩父まつり会館」

2022年07月27日 00時00分05秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・秩父市・番場町です。

向かったのは、秩父市内の「秩父まつり会館」です。

毎年12月2日・3日に行われる秩父夜祭に関する笠鉾・屋台を主とした関係資料を展示しています。

秩父まつり会館の外観です。

笠鉾かさぼこが描かれています。

山車展示室に入ると・・・
実物の屋台と笠鉾が、目の前にドーンと展示されています。

2階からも、屋台と笠鉾を見ることができます。

しかも、かなり間近で見られるのです。

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「坂本集落」

2022年07月25日 00時00分03秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・秩父市・大滝・坂本です。

「栃本関所」です。

埼玉と山梨を結ぶ国道140号は、古くは「秩父往還」という武州と甲州・信州を結ぶ街道でした。

往来監視する目的で戦国時代に武田信玄によって設けられた関所で、国の史跡に指定されています。

栃本から右へ折れると白泰(はくたい)山を越えて信州へ、左へ行くと雁坂峠を越えて甲州に至ります。

栃本関所の周りには古い建物が残る「栃本集落」です。

集落の急な斜面につくられた畑に、当地の昔からの生活が偲ばれます。

 

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「旧大滝村立大滝小学校上中尾分校」

2022年07月23日 00時00分05秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・秩父市・大滝・上中尾です。

「旧大滝村立大滝小学校上中尾分校」です

標高750メートルを超える、険しい傾斜の土地にある山村です。

そのような山間の集落・上中尾に一棟の木造校舎が建っている。

昭和7(1932)年5月に竣工した。

昭和56(1981)年に児童数の減少に伴い閉校。

学校の隣に民家がひっそり佇んでいた。

今は誰も住んでいない。

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「麻生集落」

2022年07月21日 00時00分01秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・秩父市・大滝・麻生です。

「麻生集落」です石垣のある集落です。

武州の国と甲斐の国を結ぶ「秩父往還(ちちぶおうかん)」沿いです。現在の国道140号線沿いです。

深い谷を望む山の斜面にあり、秩父の山村に多い落人集落の一つである。

麻生加番所跡」です。

麻生番所はこの先の栃本集落に設けられた栃本関所の追加番所です。

信州などからの抜け道が幾つかある事から栃本関所だけでは通行の監視が不十分で麻生の集落に追加番所を設けた。

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「石間・半納集落」

2022年07月19日 00時00分07秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・秩父市・吉田・石間・半納です。

「石間・半納集落」です。

沢戸と半納はどちらも石間の小字だが、石間川を挟んで反対側の山の尾根にある。

ふたつの集落の空中の距離は 1 km ほど。

半納の家々もほとんどが2階建ての養蚕農家である。

大きな母屋が目立ち、すくなくとも近世においてはかなり豊かな村だったのではないかと推測される。

「半納」という地名は、年貢が半納、つまり半分に免除された土地という意味である。

蔵にはそれぞれの屋号が記されている。

 

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「石間・沢戸集落」

2022年07月17日 00時00分08秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・秩父市・吉田・石間(いさま)・沢戸です。

「石間・沢戸集落」です。

石間川をさかのぼって車を走らせていた時、立ちはだかる山に家々が聳えている光景が眼前に現れ圧倒された。

沢戸集落である。

 落人伝説の残る山岳集落「石間沢・戸集落」です。

「天界の村」にはやはり落人伝説がつきものなのであろうか。

山の上から沢戸の集落を見渡した。「天空の里」です。

戸数は二十軒程といったところだろうか。

山の南東斜面に密集して家々が建っている。

車では集落へ入るのは無理である。

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「東秩父・居用の棚田」

2022年07月15日 00時00分09秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・東秩父村・大内沢・居用です。

「東秩父・居用の棚田」です。

次の目的地に向かうため少し進むとビニールの苗床があった。

小さな苗床です。夏至の頃にまだ苗床で稲の子供を育てています。

植える田んぼも小さいです。家族用のお米を作るのですネ!

都会に暮らす息子に送るのかな?

 

 

 

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埼玉県の棚田と山里を巡る「東秩父の棚田」

2022年07月13日 00時00分06秒 | 埼玉県の棚田

コロナのおかげで3年ぶりの棚田巡りを行った。

近場の神奈川県の後、埼玉県の棚田と山里を巡った。その報告です。

ここは埼玉県・東秩父村・大内沢・堂平です。

「東秩父の棚田」です。

堂平地区の棚田は東秩父村北部を流下する大内沢川支 流にあり、 標高が220~250m、

畦畔は石積みで造られており、 各圃場間の段差は約0.5~2.0m である。

10年程前は谷筋を駆け上がる様な40枚前後の棚田があったが、

今は棚田の面影はない。

東秩父にも都会の波が押し寄せ、農家を継ぐ人々は都会に出て行ってしまった。

 

 

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