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ホルマリンのマンネリ感

北海道在住、ホルマリンです。旅行、怪しい珍スポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、昭和レトロなどなど…。

青森ミステリー見聞録 その6

2021-08-03 11:48:30 | 旅行(道外)2020~

木造(きづくり)の散策を終え、駅近くのコンビニで朝食とする。
かねてより食べてみたかった青森のご当地パン「イギリストースト」(製造元:工藤パン)を迷わず選ぶ。
ジャリっとした砂糖入りのマーガリンがサンドされている比較的よくあるパン(大好き)だが、
他よりやや甘めか。もちろん美味しい。

県内では数多くのバリエーションがあり、中でもチーズとトマトソースが挟まれた
「イギリスフレンチトーストピザ風」は「多国籍すぎる」とネタにされていた。
今回の旅行では見つけられず、ちょっと残念。


無料の高規格道路などを通り、午前9時ごろ、青森市中心部へと入る。
青森駅近くに保存されている青函連絡船「八甲田丸」を外観だけ見学し、姉妹船・摩周丸がある対岸の函館に思いをはせる。
津軽海峡の「あっち側」に車で来られたとは、なんとも感無量である。


そして、中心市街地にはぜひ立ち寄りたかった場所があった。


・アスパム(青森県青森市安方1丁目1-40)

青森港に面して建つこの建物、ずいぶんと特徴的な形をしているが、なんでも「AOMORI」の「A」をイメージしているとのこと(横から見ると薄い!)。
地上15階建て、高さ76メートルの正三角形。円形に飛び出した部分は360度展望台。


館内は「青森の観光と物産の情報発信基地」ということで、お土産屋や飲食店、観光情報コーナー、地域の交流スペースなどが入っている。
せっかくなので、ここで実家へのお土産を購入。
なお入口前には、「ねぶた」が載ったご当地ポストがあったのでパシャリ。


△こちらは青森港旅客ターミナルにあったねぶた


午前10時半。

この旅後半のメインである本州の北の果て、下北半島へ向けて出発する。
まず目指すのはむつ市、イタコで有名なかの霊場恐山だ。
ここ青森市から100キロほどか。まずは国道4号線をひた走る。


当初、中学の修学旅行で泊まった浅虫温泉で日帰り入浴したいなと思っていたのだが、時間の関係でパス。道の駅から温泉街を眺めるにとどめた。
宿泊時はなぜか「この旅館には『出る』らしい」と生徒間で騒ぎになり、同じ部屋の5人で布団をくっつけて怯えた。
薄暗い古びた旅館で、怖さでロクに眠れなかったのも今となっては懐かしい。
あの旅館は今もあるのか。


……陸奥湾をぐるりと回り、国道279号「むつはまなすライン」を北上。
車道が狭くなり、沿道の住宅群ののどかな雰囲気も相まって、果ての雰囲気が出てきた。


目指す恐山と、奇岩がつくりだす景勝地「仏ヶ浦」の看板が現れ、異界へ向かっている気分を高めてくれる。

午後0時半ごろ、むつ市中心部に到着。そのまま恐山霊場に続く一本道へと入る。

かなりの高低差がある細い山道がしばらく続き、何度坂を下って上ったか分からなくなった頃、突如視界が開けて湖が現れ、平坦な道に。
思わず速度を上げて進むと「三途の川」と書かれた橋をそのまま渡ってしまった。
急いでUターンして戻る。これはあまり気分がよろしくない。


恐山へ向かう者がまず通らなければいけないのが、現世と霊界を隔てるこちらの「三途川」。
正確には、霊場が面する宇曽利湖(うそりこ)から唯一流れ出ている正津川。
湖が強酸性のためか、川面を覗くと水色とも緑ともいえない不思議な色をしている。
赤色の太鼓橋はかつては渡れたようだが、現在は老朽化により閉鎖されている。



人が亡くなって三途の川までやってくると、「奪衣婆」(左)が身ぐるみをはがし、「懸衣翁」(右)がその衣類を木の枝にかけ、その垂れ具合で罪の重さを計るという。
その後、閻魔様の前へ出されて極楽か地獄か、行き先を決められるそうだ。


改めて気を引き締めて三途の川を渡り、入山受付所へ。いよいよ霊場へと足を踏み入れる。





・霊場恐山(青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2)
約1200年前に、慈覚大師円仁によって開かれた霊場。「比叡山」「高野山」と共に日本三大霊場に数えられる。
火山ガスが噴出する一体の岩肌は地獄に、宇曽利湖畔の白砂の浜は極楽とされ、「人が死ねばお山に行く」という信仰と祈りの場として伝えられてきた。
今も故人をしのぶ信者が、日本各地から絶えず訪れる。


総門をくぐった瞬間から空気が変わり、参道の傍らには巨大な卒塔婆が何本も立つ。想像していた通りの由緒正しき霊場の雰囲気だ。
本尊安置地蔵殿を参拝し、順路に従って地獄めぐりへ向かう。


ここから旅は少しずつ、冥界へ足を踏み入れて行く事になる。



続く。
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青森ミステリー見聞録 その5

2020-12-06 08:03:42 | 旅行(道外)2020~
10月18日(日)(2日目)

午前6時半ごろ起床。
テレビを点けるや否や「北海道苫小牧市でアパートの通路崩落」のテロップが。
全国ニュースである。何というタイミングだろうか。
旅行中ぐらいはあの街のことは忘れさせてほしい。


本日最初の目的地は、すぐ隣のつがる市である。
五所川原の市街地を抜け、片側1車線の国道101号線を走ること約15分。
目印のファミリーマートを見つけて左折し「木造(きづくり)」の町へ入る。


少し古めの住宅や商店などが立ち並ぶ、何の変哲もない住宅地である。
……しかし、駅前通りへ出てみると異様な物体が目に飛び込んでくる。





・JR五能線木造駅(青森県つがる市木造房松)


誰もが一度は目にしたことがあるでろう、あの遮光器土偶の巨大オブジェが駅舎中央に張り付けられている。その高さ17メートル
閑散とした駅前の風景には不釣り合いなほどの存在感があり、壮観だ。
実はフィギュアを部屋に飾っているほど遮光器土偶が好きな私。ずっと来たかった場所を訪問出来て感無量である。
細部までよく作り込まれたディテールにしばし見入ってしまう。


駅舎は1992年に建設。モチーフとなった遮光器土偶(縄文時代晩期ごろ)はここつがる市の亀ヶ岡遺跡から1887年に出土したもので、国の重要文化財に指定。地元では「しゃこちゃん」の愛称で親しまれているのだそうだ。

そんな「しゃこちゃん」および亀ヶ岡遺跡をアピールしようと、この奇抜な駅舎が建てられたというわけだ。
なお、列車接近時にはスリット状になった目が光るというギミックがあったそうだが、現在は子供が怖がるからという理由で停止しているらしい(未確認)。


右足付近が駅舎の入り口になっており、内部は有人のきっぷ売り場と待合室になっている。
駅の訪問記念のスタンプが4種類あって充実しているのが嬉しい限りだ(もれなく土偶付き)。
観光案内所も併設されているようだが、残念ながらまだ時間が早いので開いていなかった。


駅構内の至る所に「しゃこちゃん」がいるので面白い。
誇らしげに掲げられた金色のプレートによると「東北の駅百選」にも選ばれた駅らしい。
……ちなみに遮光器土偶、不思議な眼鏡を掛けたその見た目から宇宙人説も唱えられているが、実際は目の誇大表現なのではないかとのこと。



構内の写真を撮っていると、ちょうどよく五所川原方面に向かう普通列車が到着した。
古びた気動車に、待合室にいた数人の地元利用者が乗り込んでゆく。
この風景だけを見ると、北のはずれの風情あるローカル駅といった趣だ。


さて、駅の隣には縄文テイストな公園もある。
右側の竪穴式住居ふうの立派な建物はなんと公衆トイレ。左側の小さな建物は物置かと思いきや、石造りのベンチが置かれた休憩スペースだった。


(左)「木造ふれあいプラザ」と書かれた、こちらも竪穴式住居風の建物。公民館的な施設だろうか?
(右)駅前通りでひときわ目立つ年季の入った建物。歯科医院のようだが、現在も経営されているのだろうか?




駅周辺を散策してみると、やはり至る所に「シャコちゃん」。町内の掲示板やマンホールにまで。
ちなみに、土偶が出土した亀ヶ岡遺跡は「シャコちゃん広場」の愛称が付けられている。
肝心の土偶本体はというと、東京の国立博物館に収蔵されており、市内には縄文住居展示資料館「カルコ」があるが、展示の土偶は残念ながらレプリカ。
駅からは少し距離もあるので、申し訳ないが今回の訪問はパスだ。



続く。
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青森ミステリー見聞録 その4

2020-11-23 23:17:04 | 旅行(道外)2020~

エジプトのピラミッドよりも古いとされる「大石神ピラミッド」を散策する。
順路を示す案内看板を頼りに獣道となった斜面を登って行くと、すぐに「太陽石」が現れた。
その昔は光っており、反射した太陽を礼拝するための石であったというから重要なものだったのだろう。
……残念ながら現在は苔むし、ただの岩にしか見えないが。


ぐるりと回り込むと、西方1メートルあまりで、割れ目が正しく東西を示しているという「方位石」が。
確かに人工的な割れ目のようなものが見受けられる(スマホのGPSで確認しておけばよかった)。


高低差のある順路を下ると「星座石」とされる大きな岩。
これに「めぼしい星座を記録しておいた」らしい。脇には小さな祠のようなものもあった。




どうもいくつかの岩が合体している(積み上げられている?)ようで、人が通れるように垂直に切り出されたような雰囲気もある。
岩と岩の間を進んでみると、終点には小さな洞窟のような空間が……。何かの儀式に使われていた?
崩れたら嫌なので、上半身だけねじ込んで撮影し撤収。


急斜面の下には、ひときわ大きな「鏡石」。
下方四囲12メートルの巨石で、かつては直立し表面に文字が彫刻されてあったが、残念ながら安政4年7月23日の大地震で倒れ、埋没したとされている(残念!)。
確かに言われてみると倒れたあとのような気もしなくも無い。


以上で大石神ピラミッドの散策は終了だ。
いまいちパッとしないが、要点となる石はすべて簡単に巡ることが出来るので、興味のある方はぜひ。


午前11時。


国道454号線に戻り、十和田湖方面へ車を走らせる。
次なる目的地はつがる市。ひとまず弘前市あたりを目指して山道を抜けることにした。

道中、一瞬であるが秋田県に突入。
2016年に購入したこのスズキエリオであるが、実は元々秋田県で乗られていた個体であった。
図らずも車にとっては里帰りになった訳だが、まさか北海道に送られて4年半後、再び故郷を走るとは車も想像していなかっただろう。

記念に秋田県の看板と記念撮影を…と思いながら進むうちにまた青森県に戻ってしまい、十和田湖畔へ。
奥入瀬渓流方面か「乙女の像」方面かの分かれ道に出たが、中学の修学旅行で訪れた「乙女の像」へ立ち寄りたく、時計回りで湖畔をぐるりと回るルートを選択した。


午後0時15分、「乙女の像」の案内看板に導かれ、湖畔の観光エリアへ到着。
駐車場に車を停めると、当たり前だが周囲の車が東北ナンバーばかりで嬉しくなる。

味のある土産物店を巡りながら散策路を数分歩き、ついに乙女の像へ。実に約13年ぶりである。
当時はとても天気がよく、友人とはしゃぎながらだったのでとても楽しかった記憶があるが、今日はドンヨリ曇り空で自分ひとり。
残念ながら「あれ……こんなもんか」といった感想。


せっかくなので、良い雰囲気の売店で「みそ付きたんぽ(200円)」を頂く。
ようやく真っ当な旅をしている気分になってきた。


午後1時、そのまま湖に沿って進み、道は再び秋田県へ。
青森県に戻ったころには急な上り坂と、時には1.8車線ほどの狭い道。まだまだ山道が途切れる気配はない。
「あらぁ、こんな道を走る覚悟はしていなかったなぁ~」と、ハンドルを握る手に多少力が入る。
2018年、レンタカーで四国の山道を走った時が思い出された。


午後2時半を過ぎる頃には山を下り、黒石市へ突入した。
そのまま弘前市へ向けて車を走らせる。


高くそびえる山は八甲田山であろうか?

3時頃に弘前市へ無事に入るが、ここでトラップが。
本来、弘前市に滞在する予定は無かったのだが、ツイッターのフォロワーさんから「やばいリサイクルショップがある」との情報を頂き、軽い気持ちで覗いたのが最後。
まぁとんでもないほどの絶版トミカ、プラモデルなどお宝のオンパレード。
これで完全に火がつき、市内のお宝系リサイクル店巡りに没頭してしまい、気づけば日没……。
いつのまに財布から5000円以上消えているし……。

いくら荷物が増えても、旅の工程には全く影響ないのが自動車旅の利点である。
いやぁ、大収穫であった。



そのまま弘前市に泊まろうかとも考えたのだが、なるべくつがる市に近づいておこうと決め、市を後にすることに。
こちらも同じフォロワーさんから頂いた「カブセンター(青森ローカルのスーパー)の弁当が美味しいよ!」との情報により、道中見つけた店舗で和風弁当を購入。ぶ厚い厚焼き卵が絶品であった。

その後、リンゴ農園などを横目に住宅街をひたすら進み、五所川原市に着いたところで宿泊を決める。
当てにしていたスーパー銭湯の夜間プランが新型コロナで休止中。
多少焦ったが、すぐ近くのビジネスホテルに幸い空きがありホッと一安心である。
出費は痛いが、まぁ仕方ない。こんな季節に車中泊なんて出来たもんじゃないからね。


1日目、完。


次回、2日目スタート!
巨大土偶、三途の川、超強烈旅館with座敷わらし!

続く。
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青森ミステリー見聞録 その3

2020-11-21 22:12:19 | 旅行(道外)2020~

キリストは弟イスキリを身代わりに処刑を逃れ、ここ新郷村で106歳の天寿を全うしたという衝撃伝説。
伝承館の奥には、その裏付けともいえるいくつかの言い伝えが解説されていた。

まずはこの村をはじめ、青森県南部~岩手県北部の旧南部藩領内に古くから伝わる
ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄。村の入り口の看板にも書かれていたアレである。

他の地域では笛や太鼓などの音が付け加えられ、リズムがアップテンポなのに対し、
新郷村の唄は「ナニャドヤラ~ ナニャドナサレド ナニャドヤラ~」という意味不明な言葉
ただ単調に繰り返すのみ。

神学博士の川守田英二氏は、これは古代ユダヤの軍歌で、ヘブライ語で神を讃える意味であると分析。
「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を掃蕩し~」といった感じである。
旋律もユダヤで古くから歌われてきたそれにそっくりだという。

6月の第一日曜日には「キリスト祭」という村の伝統行事が行われ、
「ナニャドヤラ」は祭のクライマックスに墓の周囲を回りながら披露される。


次に「キリストの子孫」と言われる沢口家である。
キリストはこの村で「十来太郎大天空」と名乗り、二十歳の女性との間に3人の娘を持ったと言われている。その長女が嫁いだとされるのが沢口家。
代々キリストの墓を守っており、その先祖の風貌は「眼は青く、目鼻立ちが日本人離れしていた」という。

考古学、歴史学ジャーナリストの山根菊子氏は、現在の当主・沢口豊治氏の父・三次朗氏の印象について「絵に見るキリストの肖像の生き写しだ。頭の毛がズッと禿げ上がって居り、鼻は高く眼は大きく、
身体のガッチリした風貌はあまりによく似ている」と記載している(『光は東方より』1937年)。

そしてその沢口家の古い戸袋には、六芒星がもとになっていると言われる星形の家紋があった。
形が多少違うのは「沢口家の家紋の桔梗が変化したから」「ダビデの紋章を打ち付けるのは恐れ多いと形を変えたから」などの説がある。
現物は現存しておらず、館内にはレプリカが展示されている。


△キリスト伝説の発端となった「竹内古文書」の複製。

そもそも、この村は元々の名前が「戸来(ヘライ)村」。
お気づきのように「ヘブライ」の発音に似ている。
方言でも、大人の男(父親)を「アヤ」「ダダ」、女性(母親)を「アパ」「アバ」と呼ぶことについて、聖書の「アダム」と「イブ」が訛ったものではないかとも言われている。

先述した子どもの額に十字を描く風習の他にも「足がしびれた時に額に十字を3回描く」「農作業の作業着がパレスチナのそれに似ている」など、挙げるといくらでもある。


キリストの遺言書」なるものも展示されていた。こちらも竹内古文書の中にあったもので、展示品は複製。
布教には努めなかったものの、日本全国を行脚し言語や風俗などを視察する傍ら、庶民救済に尽力したことなどが書かれている。
なお、当時のキリストは禿げ頭白髪で赤ら顔の鼻高、ヒダの多いオーバーを着ていたことから、人々に天狗として敬われていたという。

まさに「真実は神のみぞ知る」である。



さて、「キリストの里公園」のすぐ向かいには「キリストっぷ」なるネーミングセンス抜群の休憩処がある。
せっかくなので開店時間を待って立ち寄ってみた。


開店時間はキリストだけに「十字架ら(10時から)3時まで」(土日限定)。
ロゴをあしらったTシャツやトートバッグ、缶バッジ、そして「ナニャドヤラ」の完全版CDなどを販売している。

所々に散りばめられたユーモアに、それこそバチが当たらないのかと心配してしまったが、
スタッフのおばあちゃんによると、かれこれ開店してから10年ほど経つという。
村の高齢女性グループが運営、維持管理を行っているそうだ。


午前10時40分。


キリストの墓の見学を終え、村の次なるパワースポット「大石神ピラミッド」へ向かうことに。
案内板に従い国道を逸れ、少しばかり進むと細道への入り口が。


車1台ぶんの薄暗い坂道を恐る恐る上って行く。
数百メートルほど走ったところに、ピラミッドの入り口である赤い鳥居が見えてきた。
キリストの墓から車で10分ほどの距離である。

・大石神ピラミッド(青森県三戸郡新郷村戸来雨池)



竹内家(先述)の神代史によると、日本にはエジプトのよりも古い数万年前のピラミッドが7基あるといい、ここ大石神は昭和10年に発見された4基目。
ピラミッドの権威者・酒井勝軍によると、エジプトなどに見られる平面基礎から築き上げたものではなく、三角形の山の頂上に太陽石が置かれ、周囲に列石が配置されたもの。
十和田湖町と新郷村の境にある三角錐型の十和利山(標高990メートル)とを結ぶことで太陽礼拝所としての役割を果たしていたといわれる。


この先、配置された石を巡る散策路が整備されているようだ。
さっそく入ってみよう。

続く。
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青森ミステリー見聞録 その2

2020-11-15 00:33:58 | 旅行(道外)2020~
10月17日(土)午前7時15分。

船内に大音量でチャイムが鳴り、ドライバーは車の運転席で待機するようアナウンスされる。
客室フロアから車まで降りると、自分の車の後ろに大型のトラックがズラリと並び、
大きなアイドリング音を響かせている。
いつの間にこんなに多くのトラックが乗り込んでいたのかと驚く。

自分も運転席に座ってしばらく待っていると、少し大きめの横揺れがあり、程なくしてゲートが開く。
無事に定刻通りに八戸港に到着したようである。
着岸から下船まで思いのほか早く、誘導されるままに順番に船の外へ。
少しあっけなかったが、いよいよ自分の車で本州に上陸だ。


早朝の八戸市街地でいきなり道に迷いつつであったが、地図とにらめっこしながら目的の県道454号線に乗る。
途中で立ち寄ったコンビニの女性店員さんが「りんご娘」の王林ちゃんばりの訛りで接客してくれ、
青森にいることを実感する。
常連と思しきおじいちゃんも半分くらい何言っているのか分からなくてナイスだ。


しばらく道なりに走り、午前9時10分、最初の目的地である三戸郡新郷村に入る。
何やら怪しげな人物のシルエットと「歴史とロマンとキリストの里」の看板が至る所に現れる。


極めつけは「ピラミッド」「キリストの墓」と書かれた青看板。
何やら「ナニャドヤラ~」と呪文のようなものを唱える人の看板もある。
自分はいったいどこに来てしまったのか。

実はここ新郷村、村内になぜか「キリストの墓」と「ピラミッド」があり、
二大パワースポットを観光資源として押し出している世にも珍しき村なのである。


……でも、なぜ青森県にキリストの墓が?
疑問に思っているうちに「キリストの里公園」なる場所へと到着した。
駐車場へと車を停める。


普通の公園かと思いきや、この先にまさかの「キリストの墓」があるらしい。
全くそうとは思えない小道をさっそく進んでみることにする。


公園は小高い山にようになっているようで、ひとけの無い薄暗い小道が坂になって続いている。
数分ほど登っていくと、少し開けた空間に。

そして……。階段を数段登った先に、それは確かにあった。



・キリストの墓(青森県三戸郡新郷村大字戸来字沢口)

皇祖皇太神宮(茨城県磯原村)の菅長・竹内家に代々伝わる「竹内古文書」の記述によると、
ゴルゴダの丘で処刑されたのは実は身代わりとなった弟イスキリで、刑を逃れたキリストは
密かに日本へ渡り、ここ青森県新郷村(旧・戸来村)で106歳の長寿を全うしたという。
そもそも、キリストが日本へ初めて渡来したのは21歳の時。33歳まで修行を重ね、ユダヤへ帰ってその教えを説いて迫害にあったらしい。

一見トンデモ伝説ともいえるこの古文書が発見されたのは昭和6年。
同10年、古代史研究家らが村を訪れて調査したところ、村長の案内で本当にキリストの墓を見つけたというから驚きだ。
小さな村に突然降って湧いた「湧説(ようせつ)」とも言われているが、当時マスコミは大熱狂。
……まぁ、信じるか信じないかはあなた次第だ。


小高い丘を登った向かって右側が「十来塚」と名付けられたキリストの墓。
そして向かい合うように、左側には「十代墓」として弟イスキリの墓まである




二つの墓のすぐ近くに、伝説や村の歴史について展示した立派な施設「キリストの里伝承館」がある。
入場料は大人200円。さっそく入ってみよう。


小ぎれいな館内には、昔の農機具などが並べられ、普通の郷土資料館のような趣もある。
しかし「民家復元コーナー」と名付けられた一角に、不思議な展示物が……。


この地方では、藁で編んだかご「エジコ」をゆりかご代わりにして子育てしていたというが、
子どもの額には十字架が……。
なんでも、生まれて間もない子を初めて外に出すとき、厄除けなどを願い墨で十字架を描くという風習が
古くから言い伝えられてきたというのだ。
……ううむ。

続く。
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