前記事文末に、決定的追記をいたしました!
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2017-12-21 09:44:45
クリスティ、ドイルなどなど ハヤカワ読んで少年、いや少女時代
過ごした 私は 最近鈍くなった頭を よいしょと回して この案件を
テキトーに推理しました。
伊豆君様、もう この方達 終わっています。
貴男、貴女もね。
私は感じますね、貴男、貴女の**を。
オイヽ(`Д´)ノプンプン
なぞは全て解けた。
つまりだな、このかばってくれた女性(の想像)に便乗したのが、
T氏なんですね。
あとね、自ブログの読者登録のお誘いされたページ、
私izukunに教えましたよね。
で、私は断った、T氏にね、米にも書いた。
読書登録は数じゃない、
また、誰に誘われて嬉しい、
そこまでポリシーが無いわけでもないの。
だってそうなったらもう数じゃん、数にこだわっている事じゃん。
というワケで、izukunチャーリーはしばらく、
あの素晴らしい詩を拝読するといいかもしれない。
世界観が変わるぞ、これからもよろしくね♡
終わっていますね、人間界では。
しかし、浮かぶ瀬もあるところが、素晴らしい。
オイヽ(`Д´)ノプンプン こりゃ五階だよ、六階か。誉めてんでしょ、誰が読んでも誉めてる!
で、いきさつは少し違うんよ。女性の想像じゃなくて、そもそもなりすまし説は教祖様がこの女性宛にご自身でメールしてるんよ。気の毒だったね、ふりまわされて。
読まなくたって、もうすっかり世界観が変わっちまったよ。読者登録しただけで、なんというか、どこが力がみなぎってくるのがフツフツと感じられる、そういう師走の朝でございました!
自ら、あちこちに書いていらっしゃったので、
そうでしたの、、、
T氏が上手ですね。
>どこが力がみなぎってくるのがフツフツと感じられる、
まぁ、素敵、そのままアドレナリン全開で、
フルスロットルよ、チャーリー、
事件は次もあるぞ♡
よろしくネ!
あ、ホームズ、エレメンタリー見なくてはっ!
御機嫌よう!
ブログのランキングとか読者登録数だけではなく、ツイッターでもフォロワー数に拘る人が時々います。例えばフォロー返しをしてもらえないとフォローを外したり、フォロー返しをしてもらえたらこっそりフォローを外す人もいるようです。いったい何のためにツイッターをやっているのかと呆れます。
それと共に、優しい言葉に惹きつけられて真実が見えなくなってしまう人の怖さも痛感しています。
どちらの方も、ご自身の性格が関わっているということに気づかない限り、他人に振り回されて「自分の人生」を生きることができないのでしょうね。
前返コメ中、「どこが力が」は山形しゃべりでなく、「どこか力が=なんとなく力が」つう意味ですたい。
まあ、この件もようやくさっぱりではないけれど、終わりのようなんで、ホッとしてます。来年は、焚き火を見たら回れ右、もう一回右でいくと固く決心しました。
きょうは、山のモン庭先出入り自由をなんとかせんと、ということで、猪野のやつはどうしようもないにしても、せめてバーロ鹿だけは締め出そうと、杭打ちと薔薇線張りをやって、いま上がってきたとこですたい!
むかし、F国姓名という生保の営業所長やっていた同級生の職場に立ち寄ったら、営業成績の棒グラフを一生懸命いじくってました。
つまらんことはやめろ、と言いましたら、そうしてスタッフを競わせないと成績が振るわんそうで、しゃあないからやってるということでした。
これが人と人の間ではなく、自分の中で数字にとらわれると、どこまで悲惨になるか、底が知れない場合が多いようです。
数字をあげるために、それこそなんでもやることになるそうですよ。
おらも預金額が日に日に、右肩上がりにずんずん上がっていくのが楽しみで楽しみでねえ、
もうコメと味噌と捕獲したイノシシ肉だけで何年も暮らしております。uso ですけど。
では、また。
確かに、今とは多少口跡が異なるようですが、以前から読者登録数を増やすことにこだわっていたのは間違いないようです。
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私もこの時カチン!と来ましたが、そこは抑えて対応しています。
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私は、現在通常に「詩」と称して書かれている散文を詩とは認めてナイ(↓以前のコメントから再掲)ので、この事件を知ったとき早々に読者登録を解除しました。
あとは各自がそれぞれ判断すればいいかと思います。
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(以下、詩作に関する私の考えを再掲します)
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詩はもともと朗読するものだった。
音の響きを楽しむものだから・・・その点からすると詩作の原則に忠実に作ってあるものは、聴くと耳に心地よく響く、たとえ意味不明でも私はそれでイイと思います。
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蛇足だけど詩という文学のスタイルが廃れつつあるのは言葉の持つ力(昔は「言魂」と言われた)が失われてきた所為だと私は思います。昔の人たちは「花」と聞くとそれだけで咲き誇る桜とか牡丹とかのイメージが(かなり)激しく浮かんできたに違いないのです。
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いま、日本で書かれている散文詩のスタイルは、音の響きに殆ど関心を払ってナイので、私はこれらを本来の「詩」とは認めたくナイのです。
ちゃんとした詩は音の響きに気を遣って作られています。
日本では形式がキチンと決まっていませんが英語や漢文では厳密な規定があります。あえて日本語で本来の「詩」といえる例を挙げるとすると、柿本人麻呂とか、近代では中原中也とか・・・。
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そういう訳で、詩作に傾いたブログは散文詩が殆どなので私はあまり読みません。
いま、本来の「詩」の形式を残しているのは一部の「歌詞」と子供向けの「ことばあそび」くらいカナ?と思います。
こうせつさんがらみの、ごこうせつ、しかとうけたまわりました。まあ、こうせつにかかわらず、なにか創作するのはいいですよね!
あしたは、こうせつ云々が報じられている当地ですが、こうせついちばまで買い物に出ます。では。