消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

嗚呼、急いで冬タイヤに履き替えねば!/追掲載・評論家西部邁さんの死去

2018年01月21日 12時55分10秒 | 日記
 23区も積雪か…関東平野部、22日大雪の恐れだと!

 こりゃまずい!
 ブログ、更新しようとパソコン立ち上げたら、雪が降る、だと!
 ブログなんかいじくってる場合じゃねえな。

 インフルでほったらかしになっていた冬タイヤへの履き替えをなんとかせねば!

     昨シーズンは12月21日に履き替え!はこちら





 評論家の西部邁さん死去 多摩川で自殺か、保守派の論客
                               東京新聞  2018年1月21日 20時27分

 保守派の論客として知られる西部邁(にしべ・すすむ)さんが21日午前8時37分、搬送先の東京都内の病院で死去した。東京都大田区の多摩川で自殺を図り、溺死したとみられる。78歳。北海道出身。
 警視庁によると、21日午前6時40分ごろ、大田区田園調布5丁目の多摩川河川敷で、長男から「父親が飛び込んだ」と110番があった。駆け付けた警察官が救出した際には意識がなく、河川敷で遺書が見つかった。長男が捜索願を出していた。
 近年は著作などで、自殺をほのめかすような記述もしていた。
 東大卒。専門は社会経済学。テレビの討論番組などで保守の論客として活躍した。(共同)

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 1972年、永田洋子ら京浜安保共闘と森恒夫ら共産主義者同盟赤軍派が合同した「連合赤軍」の粛清事件が発覚しました。連合赤軍により殺された男女同志の大量死者が群馬県の山中から発掘されたのです。
 この粛清事件の発覚は、さまざまな人間に大きな影響を与えました。それまでの数年、全国の学園で巻き起こっていたいわゆる学園闘争はがーんと火が消え、あっという間に収束していきました。
 各種の人びとにも大きな影響を及ぼしました。まわれ右した人、横道にそれた人、回り道を行く人、立ち止まる人。

 西部さんもそのひとりでした。
 1960年当時の共産主義者同盟(いわゆるブント。もっと遅い時期には加藤登紀子さんのご主人になる藤本敏夫氏が委員長となる)で活動していました。まあ、ひとくくりで言ってしまえば連合赤軍とやや近しい立ち位置にいたということになりますが、この粛清事件を契機として、180度回れ右をして、やがて保守派の論客として立つことになります。

 彼の訃報に接して、「ああ、そうかい、西部さんも死んだか」とつぶやくだけのおらは、立ち止まったまま馬齢を重ねている次第です。