※両サイドのフェンスを塗り替えると、門扉(門柱)も塗装メンテしたくなり~
続いて作業することにしましたが、門扉(鋳物)はサイズもあるし
二人でないと取り外しも無理でした。
※土日のボランティア活動は別場所でしたが、車で分30以内だったので助かり
※残りのフェンスや門扉を外しては出かけ、1日目の活動を終えては塗り~
ガレージ(幅)や塀・門の周辺など植え込みを考慮し、自分達で図面を描いて決めた
庭(外構工事/デザイン)でしたが、年数が経つに連れ’いろいろとメンテナンスも必要な時期でした。
>門から左側に取り付けているフェンスは、もう少し紅葉を楽しんでいるので・・・
今月も終わりになると、殆ど落葉してしまいました。ガレージの入口(間口)は、車の出し入れが
しやすいように幅を広く取ったので、左側のフェンスは2枚だけです。
※一晩置いては、また2日目出かける前に取り付ける~の繰り返しで何とか11月末までに
自分達で塗装(色/アイリッシュグリーン)メンテ’完了しました。挿し木から育てた’塀沿いの木々達と同じ色系ですが・・・
間にフエンス5枚を取り付けた塀の続き、一番端の裏口通路の扉も塗装しました。
裏口はボックスなので取り付けするのに、結構重かったです。
こちらは、門から右側の全体(フエンス5枚)画像~塀はこの夏に、高圧洗浄済ませてはいるのですが・・・
ささやかな庭は殺風景ですが、来春も緑が生い茂ってくれることを願っています。
拙いブログですが、来月も宜しくお願いします。
***********************************************************************************
早や今年も、残りひと月ほどになりましたね。急に寒くなり、慌ててコタツを用意しました。
塀沿いのフェンス(アルミ鋳物)、塗り替えなくても「このままでも、いいんじゃない?」と思いましたが
結局は(話合い)取り外し、今年最後の塗装(メンテナンス)をすることになりました。
とりあえず雨が止んだし、今日は家にいたので!門から右側のフエンス5枚だけを外し、こんな感じに
塗り替え~ブロックとブロックの間の1枚ずつを外しましたが、取り外した部分の画像は3枚分です。
門から左側に取り付けているフェンスは、もう少し紅葉を楽しんでいるので
取り外しは、後回し~自分達で我流メンテするから、材料費だけで済むけれど
プロに頼めばそんな訳には行きませんよね。でも後々大丈夫なように
上手く出来るかな?素人の作業なので、何をするにも心配です。
門扉の正面の色づき(黄)は、切れ込みの深い青枝垂れ(モミジ)です。
春は綺麗なグリーン葉ですが、秋はイチョウのような黄葉から次第に赤っぽい葉に染まってきます。
紅葉が進むと葉も汚くなり、直ぐに落葉します。鉢植えで育てている赤枝垂れ(モミジ)は
春よりも赤が濃くなりますが、すでに落葉しているので画像はなし’です。
>左側は、もう少し紅葉を楽しんでいるので後回し~
落葉した品種もありますが、毎年’日々変化する色づきを追いかけています。
※9月は南禅寺・10月は三千院などに出かけましたが、紅葉には早過ぎたので
今月(11/20)また、京都の紅葉「嵐山・大覚寺・龍安寺散策」を楽しんできました。
京都は相変わらず観光バスがいっぱい”海外の観光客も多かったです。
嵐山の入口「渡月橋」・・・鎌倉時代・亀山上皇が中秋の名月に、舟遊び~
月が橋を渡っているように見えた~橋の上空を移動する月を眺めて~
「くまなき月の渡るに似る」と詠まれたことから名が付いたようです。
撮影スポットも多いけれど、橋を渡る人達で溢れていました。
正面が小倉山・右奥が愛宕山・左手前の山が岩田山・・・もし間違っていれば、ゴメンナサイネ!
渡月橋の上下流が大堰川・それより上流は保津川・下流は桂川・・・(クリックして下さい)
趣味仲間と嵐山に行った時は、電車で時間制限なしだったので~松尾芭蕉ゆかりの落柿舎や
風情のある竹林の小路などゆっくり歩けましたが、今回はバスでの参加(団体)~
そちらの散策は出来ませんでしたが、当日気の合ったお友達ともご一緒にランチ
お洒落な小物雑貨や縮緬細工など、沢山のお店巡りも出来たので満足でした。
嵐山の京・お土産店が軒を連ねるメイン通りは、年中混雑していますね。人’人’人’ばかりなので、下はカット!
平安時代・嵯峨天皇の離宮(ご成婚の新室)とされていた「嵯峨院」・・・その後嵯峨天皇の皇女・正子内親王が
離宮を寺に改め、大覚寺となったようです。嵯峨御所と呼ばれた大覚寺門跡、正式には
旧嵯峨御所大覚寺門跡と呼ぶそうです。御所の佇まいが感じられるお寺です。
弘法大師(空海)が離宮内に五大明王を安置するお堂を建てたことに始まり、弘法大師(空海)を宗祖と仰ぐ
真言宗大覚寺派本山”般若心経写経の根本道場としても知られていますが、明治の初頭まで代々天皇
皇統のお方が門跡(住職)を務められた格式高い寺院。いけばな発祥の花の寺・いけばな嵯峨御流の
総司所(家元)でもあります。難しい内容はパンフレットの説明を元(参考)に、記事にさせて頂きました。
「阪神淡路大震災」以降登録(土・日の休日ボランティア)した市民ボランティア活動で、被災地ほか
大阪や京都へも出かけていました。災害ボランティア以外でも京・嵯峨野区のある施設にも
ボランティアとして一年間通ったことがあり、その頃何度か大覚寺にも訪れていました。
訪れた回数が一番多い’皇室ゆかりの寺院です。
大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工林泉(林や泉水などのある庭園)
人工とは思えないほど自然の林泉庭園・・・大沢池に映える嵯峨野の山々も、凄く素敵でした。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して
造られたところから庭湖とも呼ばれる。本堂や大沢池周辺の広大なエリアの
紅葉と幻想的な光の競演も、素晴らしい景観のようです。
※この後徳大寺家の別荘を宝徳2年(1450)管領細川勝元が、譲り受けて寺地とし
妙心寺の義天玄承を開山として創設された大雲山龍安寺・・・
何げなくシャッターを押した’途中の案内板、かなりピンボケでした。
案内図の白壁と木組が、調和した建物(庫裡)の奥が石庭・・・
「庫裡(庫裏)」とは、寺の台所も兼ねる僧侶の居住場所とのこと。
山門を通り抜けると、徳大寺家によって築かれた鏡容池が広がっていました。かってはおしどりが
群れ遊んだところから呼ばれた心が和む「おしどり池」・・・何年も前に訪れたことがある石庭!
鑑賞した記憶はあったのに、この池の記憶はありませんでした。鏡容池を中心とする
回遊式庭園でもあるのに、昔の記憶のなさに情けない限りでした。
※応仁の乱に焼失し、明応8年(1499)勝元の子・政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で
方丈・仏殿・開山堂などを失った。現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。
方丈の前庭は、枯山水の石庭として著名で臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹である。
※この石庭は、東西25m・南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したものです。
極端なまでに象徴化されたこの石庭の意味は謎に包まれており、見る人の自由な解釈に委ねられています。
ここも大勢の人でいっぱい”ゆっくり~石を数えてはいられないほど混んでいました。
画像では15個は確認できませんが、東から5 2 3 2 3(七・五・三の庭とも?)と配置されているそうです。
座って眺める場所もなく、人の姿が写らない角度から石を撮る(難しかった)だけで精一杯でした。
※室町末期(1500年ごろ)、特芳禅傑などの優れた禅僧によって昨庭されたと伝えられています。
また石庭は、菜種油を混ぜた土で造られた油土塀によって囲まれ、時の経過による油の変化が
独特の風合いを醸し出しています。(パンフレットより)
我が家の紅葉では毎年物足りないので、京都の紅葉が楽しみでした。
出かけるのは好きですが、記録は苦手~今迄何処へ行っても、記事にしていなかった
ことが多かったです。たまに記事にしたお出かけも、あったのですが・・・
ネットのお友達のレポートを拝見し「記録に残すのもいいなぁ~」と思うようになり
9月くらいから気が向いたお出かけだけ、少し残し始めました。
平日空いた時間も、することが沢山あって貧乏暇なし’です。
お出かけのするのも、その一つですが・・・今度の土日(28/29)も
別々のボランティア活動で出かける予定です。仕事に関連がある
ボランティア活動なので、頑張ってきますね。
続いて作業することにしましたが、門扉(鋳物)はサイズもあるし
二人でないと取り外しも無理でした。
※土日のボランティア活動は別場所でしたが、車で分30以内だったので助かり
※残りのフェンスや門扉を外しては出かけ、1日目の活動を終えては塗り~
ガレージ(幅)や塀・門の周辺など植え込みを考慮し、自分達で図面を描いて決めた
庭(外構工事/デザイン)でしたが、年数が経つに連れ’いろいろとメンテナンスも必要な時期でした。
>門から左側に取り付けているフェンスは、もう少し紅葉を楽しんでいるので・・・
今月も終わりになると、殆ど落葉してしまいました。ガレージの入口(間口)は、車の出し入れが
しやすいように幅を広く取ったので、左側のフェンスは2枚だけです。
※一晩置いては、また2日目出かける前に取り付ける~の繰り返しで何とか11月末までに
自分達で塗装(色/アイリッシュグリーン)メンテ’完了しました。挿し木から育てた’塀沿いの木々達と同じ色系ですが・・・
間にフエンス5枚を取り付けた塀の続き、一番端の裏口通路の扉も塗装しました。
裏口はボックスなので取り付けするのに、結構重かったです。
こちらは、門から右側の全体(フエンス5枚)画像~塀はこの夏に、高圧洗浄済ませてはいるのですが・・・
ささやかな庭は殺風景ですが、来春も緑が生い茂ってくれることを願っています。
拙いブログですが、来月も宜しくお願いします。
***********************************************************************************
早や今年も、残りひと月ほどになりましたね。急に寒くなり、慌ててコタツを用意しました。
塀沿いのフェンス(アルミ鋳物)、塗り替えなくても「このままでも、いいんじゃない?」と思いましたが
結局は(話合い)取り外し、今年最後の塗装(メンテナンス)をすることになりました。
とりあえず雨が止んだし、今日は家にいたので!門から右側のフエンス5枚だけを外し、こんな感じに
塗り替え~ブロックとブロックの間の1枚ずつを外しましたが、取り外した部分の画像は3枚分です。
門から左側に取り付けているフェンスは、もう少し紅葉を楽しんでいるので
取り外しは、後回し~自分達で我流メンテするから、材料費だけで済むけれど
プロに頼めばそんな訳には行きませんよね。でも後々大丈夫なように
上手く出来るかな?素人の作業なので、何をするにも心配です。
門扉の正面の色づき(黄)は、切れ込みの深い青枝垂れ(モミジ)です。
春は綺麗なグリーン葉ですが、秋はイチョウのような黄葉から次第に赤っぽい葉に染まってきます。
紅葉が進むと葉も汚くなり、直ぐに落葉します。鉢植えで育てている赤枝垂れ(モミジ)は
春よりも赤が濃くなりますが、すでに落葉しているので画像はなし’です。
>左側は、もう少し紅葉を楽しんでいるので後回し~
落葉した品種もありますが、毎年’日々変化する色づきを追いかけています。
※9月は南禅寺・10月は三千院などに出かけましたが、紅葉には早過ぎたので
今月(11/20)また、京都の紅葉「嵐山・大覚寺・龍安寺散策」を楽しんできました。
京都は相変わらず観光バスがいっぱい”海外の観光客も多かったです。
嵐山の入口「渡月橋」・・・鎌倉時代・亀山上皇が中秋の名月に、舟遊び~
月が橋を渡っているように見えた~橋の上空を移動する月を眺めて~
「くまなき月の渡るに似る」と詠まれたことから名が付いたようです。
撮影スポットも多いけれど、橋を渡る人達で溢れていました。
正面が小倉山・右奥が愛宕山・左手前の山が岩田山・・・もし間違っていれば、ゴメンナサイネ!
渡月橋の上下流が大堰川・それより上流は保津川・下流は桂川・・・(クリックして下さい)
趣味仲間と嵐山に行った時は、電車で時間制限なしだったので~松尾芭蕉ゆかりの落柿舎や
風情のある竹林の小路などゆっくり歩けましたが、今回はバスでの参加(団体)~
そちらの散策は出来ませんでしたが、当日気の合ったお友達ともご一緒にランチ
お洒落な小物雑貨や縮緬細工など、沢山のお店巡りも出来たので満足でした。
嵐山の京・お土産店が軒を連ねるメイン通りは、年中混雑していますね。人’人’人’ばかりなので、下はカット!
平安時代・嵯峨天皇の離宮(ご成婚の新室)とされていた「嵯峨院」・・・その後嵯峨天皇の皇女・正子内親王が
離宮を寺に改め、大覚寺となったようです。嵯峨御所と呼ばれた大覚寺門跡、正式には
旧嵯峨御所大覚寺門跡と呼ぶそうです。御所の佇まいが感じられるお寺です。
弘法大師(空海)が離宮内に五大明王を安置するお堂を建てたことに始まり、弘法大師(空海)を宗祖と仰ぐ
真言宗大覚寺派本山”般若心経写経の根本道場としても知られていますが、明治の初頭まで代々天皇
皇統のお方が門跡(住職)を務められた格式高い寺院。いけばな発祥の花の寺・いけばな嵯峨御流の
総司所(家元)でもあります。難しい内容はパンフレットの説明を元(参考)に、記事にさせて頂きました。
「阪神淡路大震災」以降登録(土・日の休日ボランティア)した市民ボランティア活動で、被災地ほか
大阪や京都へも出かけていました。災害ボランティア以外でも京・嵯峨野区のある施設にも
ボランティアとして一年間通ったことがあり、その頃何度か大覚寺にも訪れていました。
訪れた回数が一番多い’皇室ゆかりの寺院です。
大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工林泉(林や泉水などのある庭園)
人工とは思えないほど自然の林泉庭園・・・大沢池に映える嵯峨野の山々も、凄く素敵でした。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して
造られたところから庭湖とも呼ばれる。本堂や大沢池周辺の広大なエリアの
紅葉と幻想的な光の競演も、素晴らしい景観のようです。
※この後徳大寺家の別荘を宝徳2年(1450)管領細川勝元が、譲り受けて寺地とし
妙心寺の義天玄承を開山として創設された大雲山龍安寺・・・
何げなくシャッターを押した’途中の案内板、かなりピンボケでした。
案内図の白壁と木組が、調和した建物(庫裡)の奥が石庭・・・
「庫裡(庫裏)」とは、寺の台所も兼ねる僧侶の居住場所とのこと。
山門を通り抜けると、徳大寺家によって築かれた鏡容池が広がっていました。かってはおしどりが
群れ遊んだところから呼ばれた心が和む「おしどり池」・・・何年も前に訪れたことがある石庭!
鑑賞した記憶はあったのに、この池の記憶はありませんでした。鏡容池を中心とする
回遊式庭園でもあるのに、昔の記憶のなさに情けない限りでした。
※応仁の乱に焼失し、明応8年(1499)勝元の子・政元が再興したが、寛政9年(1797)火災で
方丈・仏殿・開山堂などを失った。現在の方丈は、そのとき西源院の方丈を移築したものである。
方丈の前庭は、枯山水の石庭として著名で臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹である。
※この石庭は、東西25m・南北10mの空間に白砂を敷き詰め、15個の石を配したものです。
極端なまでに象徴化されたこの石庭の意味は謎に包まれており、見る人の自由な解釈に委ねられています。
ここも大勢の人でいっぱい”ゆっくり~石を数えてはいられないほど混んでいました。
画像では15個は確認できませんが、東から5 2 3 2 3(七・五・三の庭とも?)と配置されているそうです。
座って眺める場所もなく、人の姿が写らない角度から石を撮る(難しかった)だけで精一杯でした。
※室町末期(1500年ごろ)、特芳禅傑などの優れた禅僧によって昨庭されたと伝えられています。
また石庭は、菜種油を混ぜた土で造られた油土塀によって囲まれ、時の経過による油の変化が
独特の風合いを醸し出しています。(パンフレットより)
我が家の紅葉では毎年物足りないので、京都の紅葉が楽しみでした。
出かけるのは好きですが、記録は苦手~今迄何処へ行っても、記事にしていなかった
ことが多かったです。たまに記事にしたお出かけも、あったのですが・・・
ネットのお友達のレポートを拝見し「記録に残すのもいいなぁ~」と思うようになり
9月くらいから気が向いたお出かけだけ、少し残し始めました。
平日空いた時間も、することが沢山あって貧乏暇なし’です。
お出かけのするのも、その一つですが・・・今度の土日(28/29)も
別々のボランティア活動で出かける予定です。仕事に関連がある
ボランティア活動なので、頑張ってきますね。