一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(4) ―『御前会議――昭和天皇15回の聖断』

2006-06-26 10:45:27 | Book Review
沖縄戦の終結は、1945(昭和20)年の6月23日。
つい先日61年目を迎え、「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。

この日から8月15日の敗戦までの間、アジア・太平洋戦争の終盤期の数か月があったわけだ。

昭和天皇が戦争終結(和平交渉)を考慮し始めたのも、ちょうどこの頃であるようだ。
「天皇が和平について真剣に考えるようになったのは、『木戸幸一日記』によれば、5月25日夜の空襲で皇居を焼かれ、沖縄戦の情勢もほぼ絶望的となった6月9日のことであった。この日はじめて『御文庫にて拝謁、対策につき種々言上、思召(おぼしめし)を拝す』と和平問題にふれた記事が登場している。」(大江志乃夫『御前会議』)
*半藤一利『昭和史』では、6月15日の昭和天皇の「御不例」(体調不良による静養)で、敗戦止むなしの決意を天皇が行なったとの推察をしている。

しかし、昭和天皇の念頭にあった、もっとも重大なことは、三種の神器をどうするか、であった。
「7月31日、天皇は木戸に、『先日、内大臣の話[し]た伊勢大神宮のことは誠に重大なことと思い、種々考えて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思う。(中略)万一の場合には自分が御守りして運命を共にする外ないと思う』と告げた。
(中略)
『昭和天皇独白録』には、『敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の圧制下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない。これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った』とある。」(大江、前掲書)

しかし、無条件降伏のポツダム宣言を受諾する決断につながったのは、広島被曝でも長崎被曝でもなく、ソ連の参戦であった(それまで、ソ連を通じて連合国との和平交渉が可能であると、政府・軍部の首脳たちは考えていた)。
「『ソ聯が我国に対し宣戦し、本日より交戦状態に入れり、就ては戦局の収拾につき急速に研究決定の要ありと思う故、首相と充分懇談する様にとの仰せあり』と、天皇はソ連の参戦ではじめて即時和平に踏みきる決心がついた。」(大江、前掲書)
のである。

昭和天皇のこの和平決断を重視するあまり、戦争中も「平和主義者」であったとすることは、歴史を見誤ることとなるだろう(占領統治をしやすくするために、天皇を平和の象徴としたのは、アメリカの政策の一環だった可能性が強い→こちら)。

大江志乃夫
『御前会議――昭和天皇15回の聖断』
中公新書
定価:本体640円(税込)
ISBN4121010086