一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(6) ―『いつの日か還る―新選組伍長島田魁伝』

2006-06-29 08:39:48 | Book Review
1900(明治33)年まで生きた新撰組隊士・島田魁(かい/さきがけ)の生涯を描いた伝記小説(おそらく、一番長く生きたのは永倉新八で、大正4年没)。

小説に描かれたことを事実として受け止めることに問題は多々あるのだが、島田の場合は『島田魁日記』などの資料を残しているため、小説も、これを踏まえざるをえない。したがって、細かな描写や私生活の様子にフィクションはあったとしても、基本線で事実を無視するわけにはいかない(もっとも、司馬遼太郎『燃えよ剣』では、島田は屯所のあった不動堂村で死ぬことになっている)。

『燃えよ剣』が出てきたところで言えば、司馬作品は、(1)新撰組の内部(主流派)に視点を置いている、(2)「漢(おとこ)」としての土方を描くために、新撰組の暗黒面には極力触れないでいる、といった特徴がある。

これに対して中村の作品は、島田を主人公、永倉を副主人公としたため、新撰組でも「傍流派」から見た、批判的視点が出てきている。

例えば、「池田屋事件」の端緒となった枡屋喜衛門への拷問に関して、永倉に次のような台詞を吐かせている。
「武士がその武士を責めるのに、あんなすすどい手口まで使うとは見たことも聞いたこともねえ。武州多摩郡の者は人気(じんき)が荒いと聞いちゃいたが、なんだかおれはげんなりしちまって、途中で部屋へ引きあげてしまった。」

高台寺党との「油小路の戦い」関する島田の感想は、こうだ。
(おのれの足を喰らう蛸のように元同志たちと斬り合いばかりしていては、われらもいつか伊東らと同じ運命をたどりかねぬぞ。)

とは言え、明治維新後の島田も永倉も、新撰組の人びとに対して悼む気持ちに変わりはない。
永倉は、多摩の高幡不動に「殉節両雄の碑」を建立するのに力を貸しているし、板橋宿に近藤・土方の記念碑を立てている。
また、島田は、新撰組の紙碑とでも言うべき『島田魁日記』を残している。

最後になるが、明治以降の島田らしいエピソードを、この書から引いておく。
1880(明治13)年のある日、時の海軍卿榎本武揚が、島田に一度会いたいとの使者を寄越した。
島田は、
「会いたくば、先方から出向いてくるのが礼儀というもの。おれが出かける必要が、どこにあるのだ」
と言って、ニベもなく断わったという。
しかし、以下の島田の内心独白は、おそらく作者のフィクションであろう。
「おれがさような途(みち)を選んだならば(明治政府に使えたなら)、若くして賊徒の汚名のもとに死に、地下に眠っている友人たちはどうするのだ。死すべきところを生きながらえただけでも相済まぬことなのに、おれが、この島田魁がかつての敵になど仕えられるか!」

中村 彰彦
『いつの日か還る―新選組伍長島田魁伝』
文春文庫
定価:本体840円(税込)
ISBN4167567083