一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

最近の拾い読みから(1) ― 『歴史探偵かんじん帳』

2006-06-22 08:13:31 | Book Review
「『日本語には、外国語に直訳できない言葉がむやみに多いんだな。“いっそ小田急で逃げましょか”の〈いっそ〉、“どうせ二人はこの世では花の咲かない枯れすすき”の〈どうせ〉、それから、せめて、という言葉。“カチューシャ可愛や別れのつらさ、せめて淡雪とけぬ間に”の〈せめて〉。これらをどんなに苦心して説明してみても、外国人に論理的にわからせるのは困難なことでね』
教授はこのあとそれこそ綿々と、これら言葉の底にある日本人の心理や心情や論理の流れを説明したくれたが、残念ながら略。非常に印象深く残ったところだけを書くことにとどめると、
『人はたえず挫折と妥協と忍耐の日常をすごしている。〈どうせ〉とか〈いっそ〉とか、覚悟しつつもなかなかいっぺんに思いきれない。そこに、〈せめて〉の心情が大きく浮かびでるというわけさ』
これには心から同感した。せめて一言、せめて一目でも、せめて子供にだけは、せめて二人でいるときは、エトセトラ。なんとわれらのまわりには多くの〈せめて〉があることか。」(半藤一利『歴史探偵かんじん帳』)

歴史探偵の半藤氏は、この〈いっそ〉と〈どうせ〉と〈せめて〉の論理が、終戦時にもはたらいたと指摘する。
連合国の、ポツダム宣言という無条件降伏の要求に対して、
「しかし、〈どうせ〉降伏しなければならないのなら無条件ではなく、〈せめて〉国体の護持という条件だけはつけようではないか」
というのであった。
この日本側の論理が通用しなかったのは、ご承知のとおり。

さて、現今の情勢を見ると……。

日銀の福井総裁である。
〈どうせ〉「報酬月額の3割を半年間返上する」のだから、〈せめて〉「職務を全う」(地位をそのままに)させてほしい、との論理。
自己責任を放棄する論理の立て方は、敗戦時とちっとも変わっていないように思えるのは、小生の僻目か。

半藤一利
『歴史探偵かんじん帳』
毎日新聞社
定価:本体1,325円(税込)
ISBN462031112X