一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

おことわりを一言

2006-06-02 12:22:17 | Non Section
livedoor Blog の閲覧障害により、
「~/もっと音楽を!」へアクセスできない状態です。
復旧までまだ時間が掛かりそうですので、
こちらに、6月1日、2日分の記事掲載を行ないます。
ご了解ください。

一風斎啓白

「ピアノ・エ・フォルテ」(17) - C.-V. アルカン『短調による12の練習曲』

2006-06-02 12:17:13 | CD Review
ALKAN
Piano Works
Ronald Smith
(EMI CLASSICS)


シャルル-ヴァランタン・アルカン(1813 - 88)なんて知らないよ、という方がほとんどでしょうか。

奇しくも G. ヴェルディや R. ヴァグナーと同年生まれ、ピアノ曲の方面で言えば、F. リストよりは2歳若いということになります。
そのリストやジョルジュ・サンド(1804 - 76)とも親交のあったヴィルトゥオーゾ・ピアニストですが(「ピアノのベルリオーズ」との異名をとった)、「人間嫌い」(misanthrope) だったそうです(もっとも、それで演奏家をやっていけるのか、という疑問があるが)。

そのため、生涯はいまだに謎に包まれていることが多く(ユダヤ教の経典タルムードの研究に熱中するあまり、書棚が倒れて、その下敷きになって亡くなったとのお話がある)、これから作品も演奏されていくことでしょう(1970年代末から、やっと再評価が始まったそうですから、E. サティとも似ている)。

さて、『短調による12の練習曲 op.39』(1857) ですが、「練習曲」とは名乗っているものの、実際には演奏会用に作られた技巧的な作品です(リストの練習曲がそうであるように)。

全12曲は、
 第1曲 風のように
 第2曲 モロッソスのリズムで
 第3曲 悪魔のスケルツォ
 第11曲 序曲
 第12曲 イソップの饗宴
と名づけられています。
えっ、第4曲から第10曲がない、ですって。
そうなんです、まず、今回取り上げる第4曲から第7曲は、「ピアノ独奏のための交響曲」(4楽章) と、第8曲から第10曲は同様に「協奏曲」(3楽章) になっているんですね。

この辺、リストの影響がありありと見られます。
何しろリストは、ベートーヴェンの第9交響曲をピアノ編曲(1851)している位ですから。

形式上は、第1楽章「アレグロ」、第2楽章「葬送行進曲」、第3楽章「メヌエット」、第4楽章「フィナーレ(プレスト)」と、しっかり交響曲しています。
ただし、如何せん、オーケストラの多様な音色をピアノで表現するのは、無理でしょう(アルカン自身、オーケストレーションの教育を受けていないのではないでしょうか)。

したがって、意図は壮とするものの、やはりロマン派のピアノ曲として聴くのがよろしいようで。

(お勧め度★★★☆☆)
でございます。

「ピアノ・エ・フォルテ」(16) - A. ドヴォルザーク『5つのバガテル』

2006-06-02 12:14:05 | CD Review
Dvorak
Dohnanyi
Kodaly
Suk
Martinu
CZECH
CHAMBER
MUSIC
Domus
(Virgin CLASSICS)


アントニン・ドヴォルザーク(1841 - 1904)は、本ブログで初登場。
しかし、楽曲の方は、このブログらしく、あまり知られていない『弦楽三重奏とハルモニウムのためのバガテル』(1878) です。

いくつか説明をしておくと、ハルモニウム(Harmonium) というのは、リード・オルガンのことで、いわゆる足踏み式のオルガン(昔、学校にあったオルガンです。もっとも、お若い方はご存じないか)。

そのハルモニウムと弦楽トリオ(ここでは、2挺のヴァイオリンとチェロ)とが演奏するのですが、この音色がなかなか溶け合っていて、悪くない。
作曲者の指示だと、ハルモニウムかピアノとあるそうですが、ピアノだとその部分がもっと際立って聴こえ、全体があたかも1つの楽器のような効果は得られないでしょう。

バガテル(Bagatelle) は、元々は「つまらない」「ささいな」との意味だそうで、作曲者が自分の小品を謙遜して言ったことばなんでしょうね。
ちなみに、ベートーヴェンにもバガテルと名乗った作品(『7つのバガテル op.33』『6つのバガテル op. 126』など)はあるけれど、あの人には謙遜は似合わないね。そうなるとむしろ今度は、ことばのニュアンスとして、変な自負のようなものも感じられてくる。
ドヴォルザークの場合は、どちらの気持ちが強いんでしょうか。

さて、この5曲からなるバガテルは、いかにもドヴォルザークらしい楽曲。
第1曲は、チェロのピチカートに乗せて、ハルモニウムとヴァイオリンとがメイン・テーマを演奏し、楽器を引き継いで変奏曲のように進行していきます。
このテーマ自体、民俗歌謡のような雰囲気のもので、同じテーマが第3曲でも繰り返されます。
この辺りは、しみじみとした雰囲気があって、落ち着いて聴いていられます。

第2曲は「メヌエット」なのですが、都会や宮廷のそれではなく、作曲者の意図からすれば、鄙びた踊りなのでしょう(ただし、ドムスというグループの演奏は、結構、小洒落ているので、鄙びた雰囲気には欠ける)。

第3曲は先述したように、第1曲のテーマの再現から始まります。
再現が終ると、別の民俗歌謡のような旋律が演奏されますが、こちらは結構、ダイナミックなアクセントが付けられています。

第4曲では、ゆったりした旋律、各楽器がカノンを「歌っていく」ことから、ハルモニウムの音が、一番ハッキリ分るのじゃないかしら。
こう聴いてみると、ハルモニウムの音は倍音成分を含んだ、柔らな音だということが分ります(基本的な原理としては、リードのある管楽器と同じですから、クラリネットに一番近いのかしら)。

第5曲の冒頭のリズムは、第1楽章のそれと同じですが、やがて、より弾んだものになっていきます。
中間部では、そのリズムを生かしたまま、しんみりした雰囲気に包まれますが、元のテーマに戻り、いきいきとした雰囲気は、夕日が沈むように静まっていき、終幕を迎えます。

演奏グループの「ドムス」は、1979年に創設されたピアノ四重奏団。
ヴァイオリンの1人が東欧系の名まえである以外は、英米系ですので、必ずしも東欧・中欧音楽の専門グループではないようです。
そのためか、演奏に民族色は薄く、どちらかといえばフォレ(ピアノ四重奏曲のアルバムあり)に向いているのではないでしょうか。

ということで、
(お勧め度★★★☆☆)
であります。

「軍楽」から西欧音楽導入が始まった。その6

2006-06-02 09:04:46 | Essay
田中不二麿(1845 - 1909)
元尾張藩士。明治の教育行政家。

幕末から明治維新期の最優先課題として、西欧最新軍事技術の日本への導入が図られたのだから、軍楽隊という形で、まずは西洋音楽がもたらされたのも当然のことと言えよう。

その後、もう一つの西洋音楽の受入れ口として、音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)が文部省に設置された(明治12年)が、それも軍事とまったく無関係といえないのが、明治という時代の特徴であろう。

初代の音楽取調掛長となったのは、伊沢修二(1851 - 1917)。
彼は、西欧音楽導入のため、明治初期にアメリカに留学、そこで音楽の教師だった. L. W. メイソン (Luther Whiting Mason. 1818 - 96) を招き、まずは小学校での音楽教育の基礎づくりに当たる。
当初の目標は、『小学唱歌』の完成ではあったが、その根底には、旧来の日本のリズムと音階とを改め、西欧式とすることによって、陸海軍でのそれと整合性を持たせるという意図があった。

同様のことが、体育の分野でも行なわれ、それは明治11(1878) 年に体操伝習所の設立として形を現した。
体操伝習所の設立を計画したのは田中不二麿(1845 - 1909)であり、体操伝習所の初代主幹としてより具体的な構想を描き、それを軌道に乗せたのが、またしても伊沢修二なのである。

体育の分野でも、その根底に、国民皆兵を実施するに当たっての国民の体力増強、集団行動の訓練などがあったのは見やすい道理であろう(江戸時代、駆けること、行進することさえ、一般的な行動習慣にはなかった。そもそも、歩き方自身が西洋式とは異なり、「なんば」といわれる〈右手―右足、左手ー左足〉を組にする歩行法であった)。

音楽・体育を通じての〈身体からの西欧化〉が、明治初期の教育行政家・伊沢修二の最重要課題だったのである。