アジール的道中観が、近世になってもまだ生きていた。
それを証しするのが、近松門左衛門(1653 - 1724)の心中ものにおける「道行文」である。
この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、ご存知、『曾根崎心中』である。
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く
夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生(こんじょう)の 鐘の響きの聞き納め
寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり
ここにおいては、彼岸と此岸との境もあいまいになり、〈この世〉はすなわち〈あの世〉、〈あの世〉はすなわち〈この世〉、という世界が文章の力によって現出する。
すなわち、道中=アジール(聖域)という観念があったればこその〈道行文〉であろう(しかも、ここには境界における〈両義性〉という観念が、前面に立ち表れてくる。それは、社会の世俗化の進行に伴い、道中=〈聖域〉観が薄らいだために、鮮明になったものではないのか)。
そのような観念は、世俗化が進む中でも、歌舞伎において痕跡をとどめている(藝能が神事から発生したからか?)。
例えば、『仮名手本忠臣蔵』の「道行旅路の花聟(みちゆきたびじのはなむこ)」*。
*『仮名手本忠臣蔵』自体は、人形浄瑠璃として1748年に初演されたが、この「道行」は、1833年に江戸歌舞伎で所作事として挿入されたもの。清元に「落人」という別名があるように、判官刃傷の責任を感じたお軽と勘平が、お軽の実家へと落ちてゆくさまを描いたもの。
まさしく、この道中も、ハレの世界からケの世界への(歌舞伎的に言えば、「時代物の世界」から「世話物の世界」への)、世界移動の過程なのである。
この過程において、2人は両義的な存在となり、境界を移動するのである(鷺坂伴内と「花四天」は、「時代物の世界」から境界への闖入者?)。