一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

「道行」雑考 その2

2005-11-23 12:09:28 | Essay
▲人形浄瑠璃『曾根崎心中』のお初と徳兵衛

アジール的道中観が、近世になってもまだ生きていた。
それを証しするのが、近松門左衛門(1653 - 1724)の心中ものにおける「道行文」である。
この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、 
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く
夢の夢こそあはれなれ
あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生(こんじょう)の 鐘の響きの聞き納め
寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり
ご存知、『曾根崎心中』である。
ここにおいては、彼岸と此岸との境もあいまいになり、〈この世〉はすなわち〈あの世〉、〈あの世〉はすなわち〈この世〉、という世界が文章の力によって現出する。

すなわち、道中=アジール(聖域)という観念があったればこその〈道行文〉であろう(しかも、ここには境界における〈両義性〉という観念が、前面に立ち表れてくる。それは、社会の世俗化の進行に伴い、道中=〈聖域〉観が薄らいだために、鮮明になったものではないのか)。

そのような観念は、世俗化が進む中でも、歌舞伎において痕跡をとどめている(藝能が神事から発生したからか?)。
例えば、『仮名手本忠臣蔵』の「道行旅路の花聟(みちゆきたびじのはなむこ)」*。
*『仮名手本忠臣蔵』自体は、人形浄瑠璃として1748年に初演されたが、この「道行」は、1833年に江戸歌舞伎で所作事として挿入されたもの。
清元に「落人」という別名があるように、判官刃傷の責任を感じたお軽と勘平が、お軽の実家へと落ちてゆくさまを描いたもの。

まさしく、この道中も、ハレの世界からケの世界への(歌舞伎的に言えば、「時代物の世界」から「世話物の世界」への)、世界移動の過程なのである。
この過程において、2人は両義的な存在となり、境界を移動するのである(鷺坂伴内と「花四天」は、「時代物の世界」から境界への闖入者?)。

「勤労感謝の日」とは言うものの……。

2005-11-23 00:31:22 | Essay
今日は「勤労感謝の日」、といっても別に労働組合の記念日や、アメリカのサンクス・ギビング・デイやレイバー・デイにちなんだ祝日というわけではない。
戦後、このような名前に変わったが、戦前は「新嘗祭(にいなめさい/しんじょうさい)」といった宮中行事。

一般の神社での「秋祭り」、収穫感謝祭といったところか。記紀伝承にまで遡れば、天皇家の先祖であるアマテラスからニニギへ穀霊が授けられたことを伝える儀式とされている由。であるから、宮中では最高の神官である天皇が、天地の神に新穀を捧げ共食するという。

だから、別に労働への感謝ではなく、穀霊を授けてくれた神々への感謝、というわけだ。それを「勤労」としたところにいささか無理があるし、何となくGHQ
(General HeadQuarter:連合軍最高司令部)を慮ってという感もある(「国民の祝日」が制定されたのは1948(昭和23)年だから、まだ占領下(Occupied Japan!)。

このほかに、戦前派には「建国記念の日」(紀元節)、「春分の日」(春季皇霊祭)、「秋分の日」(秋季皇霊祭)、「文化の日」(天長節/明治節)がある(「春分の日」「秋分の日」の天文学的な移動はあっても、基本的にこれらは〈移動祝祭日〉になっていない!)。

特に問題があるのは、やはり「建国記念の日」だろうね。根拠などなく、単に記紀神話を解釈して、この日にしただけだから。

「国」っていうのが、「日本」だとすれば、その国名が生まれたのは8世紀。その当時、現在の東北地方は自国として意識されていなかっただろう。
近代国家(=国民国家:nation state)としては、19世紀の誕生。まがりなりにも、北海道から九州・沖縄までも国土と意識されたのは、明治時代からなんだから、歴史的に「建国」といえば、この時点を採るべきでしょう。

特に北海道や東北地方、沖縄に住んでいる人たちは、どう思っているんでしょうねえ、自分たちを勘定に入れていない「建国記念の日」なんてものを。