一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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今日のことば(15) ― 陸奥宗光

2005-11-02 00:01:47 | Quotation
「わが国民の熱情は、諸事往々主観的判断のみに出で、毫も客観的考察をいれず、ただ内を主とし、外を観ず。進んで止ることを知らざる形勢なり。」
(『蹇蹇録(けんけんろく)』

陸奥宗光(1844 - 97)
紀州藩士の息子として和歌山に生まれる。伊達小二郎、陸奥陽之助とも称する。
神戸海軍塾で海舟に学び、1867(慶応3)年には海援隊に加わり、坂本龍馬、桂小五郎、伊藤俊輔(博文)とも交友を結ぶ。
当時の陸奥は、海舟の『氷川清話』では「うそつきの小二郎」とさんざんな言われようで、完全な小僧扱いされている。
明治維新後は、官界で活躍したが、西南戦争時に挙兵の密謀を行ったとして禁獄に処せられる。
このように、一癖も二癖もある、山っ気の多い人物であるが、見るべきものは見ていると評価せざるを得ない(たとえエリートによる民衆観の臭いはあったとしても)。

上記の発言は、「陸奥外交」によって引き起こした日清戦争後の「三国干渉」に際してのことば。
彼は、外務大臣として、下関条約はそのままとして、別個の条約として遼東半島を清国に還付すべき、との意見を貫いた。これに対して、当時の日本国民は「三国干渉」に怒り、ロシアへの敵愾心を高めた。正しく「進んで止ることを知らざる形勢」だったのである。
これが、国民世論を日露戦争へと導くことになる。

*「『蹇蹇録』は、明治期に外務大臣をつとめた陸奥宗光が記した著作です。 内容は、日本帝国の外交の舞台裏、とりわけ明治27年(1894年)から明治28年(1895年)の日清戦争と三国干渉に関する真相をまとめたものです。」(「国立公文書館 アジア歴史資料センター」HPより)

参考資料 猪木正道『軍国日本の興亡―日清戦争から日中戦争へ』(中央公論社)