「水は真に実質において死の代わりとなっている。(中略) 穏やかな水の中の死はいくつかの母性的特徴を持っている。(中略)ここでは水が誕生と死の両義的イマージュを混合している。 水は、無意識的記憶と予見的夢想とに充ちた全体なのだ」
(『水と夢』)
G. バシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)
フランスの哲学者、科学哲学者。
彼の思想について論じるには、荷が重過ぎるので、ここでは省略して、いくつかバシュラールに関係する、意外な文章をご紹介する。
まずは、丸谷才一の堀口大学論「扇よお前は魂なのだから」から。
「水の女が堀口の詩におびただしく現れることは、彼の詩を好む人なら誰でもよく知つてゐる。たとへば『古風な幻影』は、
夕ぐれわれ水を眺るに
流れるオフェリヤはなきか?
シモアスの水に白鳥すまず
水衣(みづぎ)まとはぬレダとてもなきに……
とはじまり、
オフェリヤの墓と思ひて水を見る
夕ぐれの来て影をうつせば
で終る。(中略)
この水の女への執着は、文学史的には堀口と浪漫主義文学とのゆかりのしるしになるだらうし、バシュラールふうに言へば「火よりも女性的で均一である元素」すなはち水、もつとさかのぼれば乳といふ母性的な水に対する彼の憧れの証拠」
次は、蕪村を引用しての安岡章太郎。バシュラールの名は出てこないが、
「そういえば、蕪村の『春風馬堤曲』には、
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懐抱別に春あり
の句がある。川と母とは、誰しも心の中で一緒になって思い出されるものらしい。」
(『僕の東京地図』)
参考資料 ガストン・バシュラール、小浜 俊郎・桜木 泰行訳『水と夢―物質の創造力についての試論』"L'eau et les reves : essai sur l'imagination de la matiere" (国文社)
『丸谷才一批評集』第五巻「同時代の作家たち」(文藝春秋)
安岡章太郎『僕の東京地図』(文化出版局)
(『水と夢』)
G. バシュラール(Gaston Bachelard, 1884 - 1962)
フランスの哲学者、科学哲学者。
彼の思想について論じるには、荷が重過ぎるので、ここでは省略して、いくつかバシュラールに関係する、意外な文章をご紹介する。
まずは、丸谷才一の堀口大学論「扇よお前は魂なのだから」から。
「水の女が堀口の詩におびただしく現れることは、彼の詩を好む人なら誰でもよく知つてゐる。たとへば『古風な幻影』は、
夕ぐれわれ水を眺るに
流れるオフェリヤはなきか?
シモアスの水に白鳥すまず
水衣(みづぎ)まとはぬレダとてもなきに……
とはじまり、
オフェリヤの墓と思ひて水を見る
夕ぐれの来て影をうつせば
で終る。(中略)
この水の女への執着は、文学史的には堀口と浪漫主義文学とのゆかりのしるしになるだらうし、バシュラールふうに言へば「火よりも女性的で均一である元素」すなはち水、もつとさかのぼれば乳といふ母性的な水に対する彼の憧れの証拠」
次は、蕪村を引用しての安岡章太郎。バシュラールの名は出てこないが、
「そういえば、蕪村の『春風馬堤曲』には、
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懐抱別に春あり
の句がある。川と母とは、誰しも心の中で一緒になって思い出されるものらしい。」
(『僕の東京地図』)
参考資料 ガストン・バシュラール、小浜 俊郎・桜木 泰行訳『水と夢―物質の創造力についての試論』"L'eau et les reves : essai sur l'imagination de la matiere" (国文社)
『丸谷才一批評集』第五巻「同時代の作家たち」(文藝春秋)
安岡章太郎『僕の東京地図』(文化出版局)