今回は、ストレートな書評ではなく、見解の相違を明らかにする。
勝海舟の行動および意図に関することである。
新政府軍の江戸城総攻撃を控えて、海舟は幾つかの手を打った。
海舟の腹は、開城止むなしとするもの。
そのために、海軍兵力での決戦を回避、「主戦派の暴発を極力抑えてきた」。
というのも、徳川家の存続を図るためには、「戦争をせずに談判交渉で、できるかぎり有利な譲歩を政府(一風斎註・維新政府)からかち取ろうともくろんでいたからである」。
打った手の1つは、イギリス公使パークスに働きかけること(この件に関しては、半藤一利『それからの海舟』に詳しい)。
この工作によって、薩摩側に立っていると思われていたパークスが、
「恭順している者を攻撃すべきでないとし、また居留民の安全も保証できないようでは新政府を信頼できない」
と言いだしたのである。
もう1つの手は、宮廷への工作である。
静寛院(皇女和宮)から宮廷の親近者や公家へ、輪王寺宮(後の北白川宮)から大総督宮(有栖川宮熾仁親王)へ、山内容堂・松平慶永(春嶽)などの諸侯へ、といった工作ルートであるが、海舟はこの工作には深くは関与はしていないようだ。しかし、その工作の成否に関しての報告は受けていたことであろう。
しかし、最悪の事態を想定する必要はある。
それが「焦土作戦」だった。
「もし敵が自分らの嘆願を受入れずに、あくまでそうした策(一風斎註・自軍の進んだ後の市街に火を放ちながら、一挙に江戸城目がけて襲いかかるという新政府軍の作戦)を用いるなら、自分の方から敵の進路の市街を焼いて妨害しよう」
という作戦。
――余談ではあるが、勝は長崎海軍伝習所時代に、オランダ人士官からナポレオンに攻め込まれたモスクワ郊外での、ロシア軍の作戦を聞いていた可能性がある。
ここからが、小生の異論である。
著者は、「難民を救うように手配した」勝の策を、
「それにしても江戸の市民こそいい迷惑である。彼らは家財とひきかえに一体なにを得ることができるであろうか。勝にとっては徳川家およびその家臣の存亡がなによりも優先し、一般の市民などは生命さえ助かれば、まずそれでよいと考えていたにすぎなかったのである。」
と評価する。
けれども、「一般の市民」などは、この時代存在しない。
火事に慣れた下層町民に家財などはあってなきがごときもの、「生命さえ助かれば」それで充分だったのではないのか。
また、彼らにとって火事は、その後の復興によって手間賃も上がり、仕事のチャンスも増える、絶好の機会でもあったのである。
であるから、家財を失うことを恐れるのは、上層町民あるいは「お歴々」と称せられる上級旗本層だけなのだ。
ましてや、気の効いた上層町民などは、深川辺りに復旧用の資材を用意している。
となると、焦土戦術で一番迷惑するのは、かえって上層旗本層だけではないのか(中層、下層の旗本・御家人などは、下層町民と事情はさほど変わりない)。
どうやら著者は、江戸時代の常識を忘れ、近代戦(「沖縄戦」辺り)を想定して、「一般市民」は常に被害者である、という固定観念にとらわれ過ぎているのではないかと、小生には思えてならない。
佐々木克
『戊辰戦争―敗者の明治維新』
中公新書
定価:本体735円(本体700円)
ISBN4121004558
勝海舟の行動および意図に関することである。
新政府軍の江戸城総攻撃を控えて、海舟は幾つかの手を打った。
海舟の腹は、開城止むなしとするもの。
そのために、海軍兵力での決戦を回避、「主戦派の暴発を極力抑えてきた」。
というのも、徳川家の存続を図るためには、「戦争をせずに談判交渉で、できるかぎり有利な譲歩を政府(一風斎註・維新政府)からかち取ろうともくろんでいたからである」。
打った手の1つは、イギリス公使パークスに働きかけること(この件に関しては、半藤一利『それからの海舟』に詳しい)。
この工作によって、薩摩側に立っていると思われていたパークスが、
「恭順している者を攻撃すべきでないとし、また居留民の安全も保証できないようでは新政府を信頼できない」
と言いだしたのである。
もう1つの手は、宮廷への工作である。
静寛院(皇女和宮)から宮廷の親近者や公家へ、輪王寺宮(後の北白川宮)から大総督宮(有栖川宮熾仁親王)へ、山内容堂・松平慶永(春嶽)などの諸侯へ、といった工作ルートであるが、海舟はこの工作には深くは関与はしていないようだ。しかし、その工作の成否に関しての報告は受けていたことであろう。
しかし、最悪の事態を想定する必要はある。
それが「焦土作戦」だった。
「もし敵が自分らの嘆願を受入れずに、あくまでそうした策(一風斎註・自軍の進んだ後の市街に火を放ちながら、一挙に江戸城目がけて襲いかかるという新政府軍の作戦)を用いるなら、自分の方から敵の進路の市街を焼いて妨害しよう」
という作戦。
――余談ではあるが、勝は長崎海軍伝習所時代に、オランダ人士官からナポレオンに攻め込まれたモスクワ郊外での、ロシア軍の作戦を聞いていた可能性がある。
ここからが、小生の異論である。
著者は、「難民を救うように手配した」勝の策を、
「それにしても江戸の市民こそいい迷惑である。彼らは家財とひきかえに一体なにを得ることができるであろうか。勝にとっては徳川家およびその家臣の存亡がなによりも優先し、一般の市民などは生命さえ助かれば、まずそれでよいと考えていたにすぎなかったのである。」
と評価する。
けれども、「一般の市民」などは、この時代存在しない。
火事に慣れた下層町民に家財などはあってなきがごときもの、「生命さえ助かれば」それで充分だったのではないのか。
また、彼らにとって火事は、その後の復興によって手間賃も上がり、仕事のチャンスも増える、絶好の機会でもあったのである。
であるから、家財を失うことを恐れるのは、上層町民あるいは「お歴々」と称せられる上級旗本層だけなのだ。
ましてや、気の効いた上層町民などは、深川辺りに復旧用の資材を用意している。
となると、焦土戦術で一番迷惑するのは、かえって上層旗本層だけではないのか(中層、下層の旗本・御家人などは、下層町民と事情はさほど変わりない)。
どうやら著者は、江戸時代の常識を忘れ、近代戦(「沖縄戦」辺り)を想定して、「一般市民」は常に被害者である、という固定観念にとらわれ過ぎているのではないかと、小生には思えてならない。
佐々木克
『戊辰戦争―敗者の明治維新』
中公新書
定価:本体735円(本体700円)
ISBN4121004558