またしても「看板に偽りあり」の書。
どう考えても、このタイトルなら、登戸研究所での日々を描く部分がメインになる。けれども、本書全6章で、登戸研究所に関して触れられているのは、第1章「登戸研究所の思い出(昭和二十年四月~八月)」の1章すべてと、第3章「戦火の中で(昭和十七年~昭和二十年)」の一部。
他の4章分および第3章の大部分は「思い出話」。
とケチをつけておいて、内容を検討する。
まずは、「登戸研究所」とはどのような組織であったのか。
これに関しては、非常に大雑把に「〈附〉登戸研究所とは」で触れられている。
「『陸軍科学研究所』の秘密戦・謀略戦用の研究開発部門が、支那事変の勃発直後、神奈川県生田の登戸に実験施設を作った。これがいわゆる『登戸研究所』である。」
「【組織】
登戸研究所は四科で構成されていた。各科の担当分野は次の通りである。
第一科 風船爆弾、殺人光線等の研究
第二科 毒薬、細菌兵器等の研究
第三科 紙幣偽造等の経済謀略戦資材の研究
第四科 新兵器全般の実用化の研究」
そして、著者は、第四科で働いていたわけであるが、この時期(昭和20年4月~8月)、
「所員の半数以上は、疎開先の信州その他に受け入れ準備に行ってい」
たため、ほとんど開店休業状態。
しかも、7月には疎開準備が完了したため、著者は、大学の研究室に戻り、そこで戦時研究を行うよう命令される(つまり、丸3~4か月しか、登戸研究所にはいなかったわけだ)。
したがって、「秘話」と称しているが、「登戸研究所」の実態(風船爆弾、電磁線、紙幣偽造、細菌兵器など)については間接的な話が載っているだけである(当時としても、また聞きにしろ、入りたての新米所員にどこまで全体像がつかめるものか疑問)。
それでは、それ以外の文章は何か言えば、結局は「後智恵」を組み入れた回想録ということになる。
一般に、回想録を読むときの注意として、「後智恵」が入っていないかどうか検討するのが大事なのだが、著者は、そのようなこと(当時の行動や感想・意見などを、そのままに記述すること)は意に介さない。
例えば、こうだ(著者は、よほど戦後の教育改革がお気にめさないらしい)。
「心配なのはGHQの置き土産ともいえる『教育の劣化』(一風斎註・新制大学、六三三四制)である。」
「GHQの真のねらいとは、日本の教育水準を一段階ずつレベルダウンすると同時に、小学校の教員組合を利用して反国家主義・反軍国主義に導き、特に明治以降の軍国主義国家の興隆の歴史を根底から抹殺して、日本人が自信を取り戻すことのないよう洗脳することだという。/しかもGHQの手で作った新しい日本国憲法を、講和独立後も簡単には変えられないよう、あらゆる心理的手段を講じるべく周到に準備を進めているというのである。」
これが昭和20~22年の章に述べられているのは、鼻白む思いである。
意見は意見として、どのような「トンデモ」でも述べるのは結構であるが、それが歴史的な「後智恵」を含んだ回想に書かれるというのは如何なものか。
以上のような「後智恵」「自慢話」(結局は、「後智恵」は「自慢話」にも通じる。というのは、「オレはその当時から、こうなることを見通していたんだ」との自慢にもなるから)「自己演出」(見え透いていて、もっと巧くやってよ、と言いたくなる)「お説教」が、いささか煩わしい。
「トンデモ」にまでは達していないにしろ、一種の「奇書」とは言えるだろう。
また、歴史的資料としての価値はまるでないので、小生のように、タイトルに誤魔化されて読むことのないよう、一言ご注意申し上げておこう。
新多昭二
『秘話 陸軍登戸研究所の青春』
講談社文庫
定価:本体571円+税
ISBN4062738201
どう考えても、このタイトルなら、登戸研究所での日々を描く部分がメインになる。けれども、本書全6章で、登戸研究所に関して触れられているのは、第1章「登戸研究所の思い出(昭和二十年四月~八月)」の1章すべてと、第3章「戦火の中で(昭和十七年~昭和二十年)」の一部。
他の4章分および第3章の大部分は「思い出話」。
とケチをつけておいて、内容を検討する。
まずは、「登戸研究所」とはどのような組織であったのか。
これに関しては、非常に大雑把に「〈附〉登戸研究所とは」で触れられている。
「『陸軍科学研究所』の秘密戦・謀略戦用の研究開発部門が、支那事変の勃発直後、神奈川県生田の登戸に実験施設を作った。これがいわゆる『登戸研究所』である。」
「【組織】
登戸研究所は四科で構成されていた。各科の担当分野は次の通りである。
第一科 風船爆弾、殺人光線等の研究
第二科 毒薬、細菌兵器等の研究
第三科 紙幣偽造等の経済謀略戦資材の研究
第四科 新兵器全般の実用化の研究」
そして、著者は、第四科で働いていたわけであるが、この時期(昭和20年4月~8月)、
「所員の半数以上は、疎開先の信州その他に受け入れ準備に行ってい」
たため、ほとんど開店休業状態。
しかも、7月には疎開準備が完了したため、著者は、大学の研究室に戻り、そこで戦時研究を行うよう命令される(つまり、丸3~4か月しか、登戸研究所にはいなかったわけだ)。
したがって、「秘話」と称しているが、「登戸研究所」の実態(風船爆弾、電磁線、紙幣偽造、細菌兵器など)については間接的な話が載っているだけである(当時としても、また聞きにしろ、入りたての新米所員にどこまで全体像がつかめるものか疑問)。
それでは、それ以外の文章は何か言えば、結局は「後智恵」を組み入れた回想録ということになる。
一般に、回想録を読むときの注意として、「後智恵」が入っていないかどうか検討するのが大事なのだが、著者は、そのようなこと(当時の行動や感想・意見などを、そのままに記述すること)は意に介さない。
例えば、こうだ(著者は、よほど戦後の教育改革がお気にめさないらしい)。
「心配なのはGHQの置き土産ともいえる『教育の劣化』(一風斎註・新制大学、六三三四制)である。」
「GHQの真のねらいとは、日本の教育水準を一段階ずつレベルダウンすると同時に、小学校の教員組合を利用して反国家主義・反軍国主義に導き、特に明治以降の軍国主義国家の興隆の歴史を根底から抹殺して、日本人が自信を取り戻すことのないよう洗脳することだという。/しかもGHQの手で作った新しい日本国憲法を、講和独立後も簡単には変えられないよう、あらゆる心理的手段を講じるべく周到に準備を進めているというのである。」
これが昭和20~22年の章に述べられているのは、鼻白む思いである。
意見は意見として、どのような「トンデモ」でも述べるのは結構であるが、それが歴史的な「後智恵」を含んだ回想に書かれるというのは如何なものか。
以上のような「後智恵」「自慢話」(結局は、「後智恵」は「自慢話」にも通じる。というのは、「オレはその当時から、こうなることを見通していたんだ」との自慢にもなるから)「自己演出」(見え透いていて、もっと巧くやってよ、と言いたくなる)「お説教」が、いささか煩わしい。
「トンデモ」にまでは達していないにしろ、一種の「奇書」とは言えるだろう。
また、歴史的資料としての価値はまるでないので、小生のように、タイトルに誤魔化されて読むことのないよう、一言ご注意申し上げておこう。
新多昭二
『秘話 陸軍登戸研究所の青春』
講談社文庫
定価:本体571円+税
ISBN4062738201